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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第二章 第四話「煙宿~②不夜城~」
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418.「煙を超えて」

 ぞわぞわと、妙な寒気(さむけ)が全身を()っている。立っているのが気怠(けだる)い。横になれたらどれほど気分がいいだろうか。


 けれど、駄目だ。それはこの勝負の負けを意味する。


 ポールはニヤニヤと腕組みをしてこちらを(なが)めていた。その目に浮かんでいるのは悦楽(えつらく)である。


 彼の口にしたことを必死で整理した。今わたしがこんな体調になっているのは、水蜜香(すいみつこう)が原因である。この部屋の床には微細(びさい)な穴が()いており、その下でずっと水蜜香が()かれていた、というわけだ。強烈な香りを誤魔化(ごまか)すために、ポールはこれ見よがしにパイプを吸っていたのだろう。


 ふと、気が付いた。そういえばポールは、この勝負のはじめに『我慢比べ』と言っていたっけ……。


 なるほど。水蜜香に満ちた部屋に閉じ込められているのは、彼も同じだ。過剰摂取(かじょうせっしゅ)にどれだけ耐えられるか――もとより彼は、この馬鹿げた勝負に持ち込もうとしていたに違いない。


「それにしても、大人しく聞いてくれて助かったよ。おかげでお前は、サーベルを拾えないくらいクラクラになってやがる」


 (くや)しいが、彼の言う通りだった。思えば、眩暈(めまい)を感じたときにおかしいと気付くべきだったのだ。同じ空間でポールが吐き出した煙ごときで、こちらの体調に変化が起きるなんておかしな話じゃないか。けれどもそのときは、彼の話に意識を向けて深く考えなかった。繰り広げられた長話さえ、きっと彼の戦術なのだろう。


「ひ……卑怯者(ひきょうもの)……!」


「卑怯? 笑わせるんじゃねえよ。俺はルールを破っちゃいねえ。話に気を取られたお前が悪いんだよ、ド素人め。いいか? 俺は()()でも勝たなきゃならねえんだ。うちの若えのが(たば)になったって(かな)わねえ奴は、こうやって煙()けにしてでも黙らせる必要がある。それによぉ、俺だって条件は同じなんだぜ?」


 がくん、と足の力が抜け、思わず足踏みした。少しでも気を抜いたら、崩れ落ちてしまう。


 悔しい。なんだか、涙が出てくる。それなのに、ちっとも不快感がない。それどころか――決して認めたくはないことだったが――ときおり意識がふわふわとして、なんともいえない気持ち良ささえある。


「どうだい? いい気分だろ? 頭のなかで音楽が鳴ってるか? 神の声は聴こえるか? 脳神経がスパークして、感情が(おさ)えらんねえだろ?」


「そんなことない!」


 びりびりと、自分の声が鼓膜(こまく)を揺らす。なんて分かりやすい強がりだろう。


「そうツンツンするなよ。素直(すなお)になればもっと気持ちいいぜ? なんなら、肌に触れてやろうか? そうすりゃ、一発で天国に昇れるぜ」


 冗談じゃない。そんな誘惑(ゆうわく)に負けたら、なにもかも終わりだ。この勝負だけの問題じゃない。一過性(いっかせい)の快楽に(おぼ)れてしまうようじゃ――。


 あれ。わたしはポールに勝って、『針姐(はりねえ)』とココを救い出して、それから……どうするんだっけ。


 思考が乱れ、記憶が混濁(こんだく)する。なのに鼻を通過する香りはやけに鮮明(せんめい)で、肌は痛いほど敏感(びんかん)になっていた。足が震え、両腕で自分自身をぎゅっと抱きしめてしまう。身体だけが別の意思を持ったかのように、無意識に動いている。


「もう立ってるのも限界だろ? いいよ、座っちまえ。理性(りせい)だってギリギリだろ? 楽になりゃいいじゃねえか」


 ポールは(なか)ばうんざりしたように言う。彼の口にした言葉の意味さえ、よく分からない。なにか考えようとするたびに、頭が拒否反応を起こしているみたいに思考が霧散(むさん)する。


 わたしは今、さぞや間抜(まぬ)けな顔をしていることだろう。もう身体のどこに力が入っているのかさえ、はっきりしない。今にも(くじ)けそうな足を、なんとか維持(いじ)しているだけ……。


「あなたはどうして……立ってられるの?」


「あ? ああ、そりゃ簡単なことだ。俺は水蜜香に耐性があるんだよ。そのせいで、ガッツリ吸わねえと天国の門を叩けねえ。いけず(・・・)な神様だよ」


 耐性……。ずるいじゃないか、そんなの。自分だけ圧倒的に有利な勝負じゃないか。


 そういえばこれは、相手を床に倒したほうの勝ちなんだ。なら、身体の動くうちに状況を打破(だは)しなきゃ……。


 踏み出した足が、ぐにゃりと(ひざ)から折れる。バランスを崩し、(あわ)ててもう一歩踏み出したが、足がもつれ――。


「おいおい、『ほろ酔い桟橋(さんばし)』の阿呆(あほう)な酔っ払いよりひどいぜ、お前」


 言われなくても分かってる。転倒(てんとう)のリスクを(おか)してまで踏み出した足だったが、ポールとの距離を一メートルすら縮められなかった。たかが五メートルが、こんなにも遠いものだなんて……。


「あんまり頑張るなよ。見てて(つら)くなっちまう」


「……うるさい」


「なんだ、口も元気ねえじゃねえか。ま、そりゃそうか。この部屋の水蜜香の濃度(のうど)はよぉ、割とヤバいことになってるんだぜ? ウブな田舎娘を(ほう)り込んでみろ、あっという間にブッ壊れた娼婦(しょうふ)になっちまう」


 無心(むしん)で一歩、踏み出した。唇を噛み、意識を(たも)ちながら。


「なんだってそんな必死になるんだよ。まったく理解が出来ねえ。そんなに二人を助けてえのか? 『煙宿(けむりやど)』が壊されるとしても?」


 一歩、また一歩と進む。そのたびに身体が大きく揺れ、持ちこたえるにもかなりの体力を使った。


「俺はこの勝負じゃ負けなしだ。いいか? お前に勝ち目があるわけねえんだよ。だってそうだろ? お前はフラフラで、俺は多少マシに動ける。胸倉(むなぐら)(つか)んだって、今のお前じゃどうにも出来ねえだろうが」


 薄く、浅い呼吸。確実な一歩。それだけを頭に強く()り込む。気を張って歩いているはずなのに、全身がどろどろに溶けそうだ。頭のなかで、誘惑が叫びをあげている。もう(あきら)めろ、休め、床に転がれば楽になれる、理性なんて飛ばしてしまえ、と。


 ノイズだ。全部。


 たとえわたし自身の強い欲求だとしても、目的に(はん)する声になんて、耳を(かたむ)ける価値すらない。


 目的……目的? 考えはじめると途端(とたん)に見えなくなってしまう。ただ、なにか(・・・)がわたしを駆動(くどう)させている。誘惑を振り切る強さで。


「それ以上近寄るんじゃねえ! いいか? さっきも話した通り、俺は『煙宿』を守らなきゃなんねえんだ! これを最後の犠牲(ぎせい)にしなきゃ、ビスクが余計(みじ)めになっちまう!」


 さらに踏み出す。ポールとの距離は、手を伸ばせば届きそうなほど近付いていた。


 ここから自分がなにをすべきなのか――分かっている、と言うと嘘になる。ただ、どう動くべきかは本能が教えてくれた。わたしはずっとお節介(せっかい)()きだったし、それは簡単には変わらない。つまり……こんな状況にあってもわたしはわたしでしかないのだ。


 ふらり、と足の力が抜けて前傾(ぜんけい)する。今力を()めるべき場所は、理解していた。


「おい! なにしやが――」


 倒れ込もうとしたわたしは、ポールのシャツに必死でしがみついた。本当は胸倉を掴みたかったけれど、贅沢(ぜいたく)は言えない。


 ポールが語った言葉。そこに嘘は(ふく)まれていない。状況的には決して信用すべきものではなかったが、なぜか、そう確信出来た。多分、これも水蜜香(すいみつこう)錯覚(さっかく)なのだろう。それでもいい。


 わたしの手を離そうともがくポールを、じっと見据(みす)えた。


「わたしが、その連中をなんとかする。『針姐』も、ココも、『煙宿』も、あなたも――全部全部救う」


 感情の針がおかしくなっているらしく、涙が止まらなかった。ただ、言葉に(いつわ)りはない。人攫(ひとさら)いを排除しなければ町に平和が訪れないと言うのなら、そうするまでだ。


 ポールは抵抗をやめ、ただひたすら絶句(ぜっく)していた。




 どのくらい()ったろう。やがて、わたしは倒れ込んだ。わざと仰向(あおむ)けに倒れたポールに引っ張られて。

◆改稿

・2018/09/21 誤字修正。

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