416.「哀しみの癒やし方」
ポールに敵対する連中に攫われた病弱な少女……。彼女が味わった地獄を思うと、胃の底が冷えた。物も語らず、食事さえ口にせず、まるで人形のようになったことを鑑みるに、なにがあったのかは想像に難くない。
しかし、だ。
この話の信憑性なんてどこにもない。水蜜香で頭を満たした男の語る人情劇など、とてもじゃないが真に受けるべきものではない。その涙も、自己暗示によって流れたに違いない。
もう一分はとうに経過していた。それでもわたしが踏み込まなかったのは、ひとえに、彼の話がまだ半分だったからだ。ビスクの死については分かったが、その先がある。
『神隠し』――否、人攫いの理由だ。
「続きは?」
「そう急かすなよ……。いいか? 簡単な話じゃねえんだ。ひとつひとつ充分に咀嚼して、涙と一緒に呑み込んでもらわなきゃ困る」
「無駄話はたくさんよ。肝心の部分だけ聞かせてくれればそれでいいの。……それとも、時間稼ぎでもしてるの?」
ポールはこちらの問いに答えず、落としたパイプを拾ってしげしげと見つめている。その指は、相変わらず震えていた。
「さて、と……。ビスクが死んでからのことを、少しずつ話してやろうじゃないか。俺が――そしてレオンがどうなったか」
じっとポールの顔を見つめる。ヨハンのように正確に嘘を見抜けるほどの才能はないけれど、わたしだって鈍感な人間ではない……はず。とにかく、ポールの一挙手一投足に意識を集中して、語られる物事の真贋を見極めよう。
幸いなことに、彼はいまだ魔術を行使する気配を見せていない。
「連中が現れたのは、ビスクが死んで間もなくのことだった。翌日だったかもしれないし、一週間後だったかもしれねえ。その辺はよく覚えてねえんだ。そりゃそうだろ? 俺は最愛の娘を亡くしたんだ。傷なんか癒えるわけがねえし、哀しみに暮れているうちは、時間なんてあってないようなもんだ。昨日も、今日も、明日も、全部同じってわけ。だから、何日後だろうとマトモに頭を働かせらんねえうちは『死んで間もなく』で間違いねえわけよ」
「……ねえ。本題だけ話して、って言ったでしょ。あなたの言葉遊びに付き合っていられるほど気は長くないわ」
「ハハ! 随分とひどいじゃねえか。まあ、なんだっていい……話を先に進めよう。その連中は、俺に取引を持ちかけたんだ。一丁前にな。それがどんな取引か、想像つくか? というよりお前は、どこまで知ってる?」
正直に話すべきかどうか迷ったが、とぼけて見せたところで、この長話が引き延ばされるだけだ。それに、わたしがどこまで知ってるかなんて、この状況では重要な秘密ではない。
「あなたたちが『神隠し』と称して、人攫いをしていることは知ってるわ」
すると、ポールは甲高い笑い声を上げた。耳の奥に、不快な高音がこだまする。
「いいじゃねえか。物知りは好きだ。……もう察しはついてるだろうが、俺が連中と交わした取引は、お前の言う『人攫い』のことさ。あいつらは人材を欲しがってた。そして『煙宿』には、消えたって気にもされねえような奴ばかりが集まってる。いい仕事場だろうな、連中にとっては。ま、攫われた奴らがどうなるのかなんて俺は知らねえが」
人材を集める謎の集団。どこまでも不穏な響きだ。単なる労働力としてなら、わざわざ『神隠し』と言ってまで攫う理由がない。表向きに出来ない理由があるに違いない。
「あなたたちは人を差し出す代わりに、なにを得たの?」
それが重要だ。愛娘を亡くしてショックを受けていたからって、なんのメリットもない取引に応じるわけがない。
「利益か。俺たちが得たのは、些細なものさ。ところで、そのときの俺とレオンは、頭のなかがビスクのことでいっぱいだったのさ。今だってそれは変わらねえが、さすがに『煙宿』全部を天秤にかけられるモンじゃねえ」
「だから、なにを受け取ったのよ」
サーベルの切っ先を向けると、ポールは興醒めしたようにため息をついた。
「脅しには慣れてる。刃物なんて何百回も見てきた。無駄な脅迫はやめようじゃねえか。お互い気分が良くならねえだろ?」
確かに、ポールが動じる気配はない。わたしだって、実際彼に斬り傷を負わすつもりなんてないのだ。それに、なんだか腕が気怠い。
刃を床に向ける。するとポールは何度か頷き、下品な笑みを浮かべた。
「よし、よし。お前はアレだな。実は物分かりがいいな?」
「どういたしまして。全然嬉しくないけど」
「ま、いいさ。……続けよう。俺とレオンは、別々のものを受け取ったのさ。定期的に人を渡す代わりにな。……さて、ここで記憶ってモンが大事になる。最初に言ったと思うが、思い出はときどき掬い上げて、撫でてやらなきゃならねえのさ。けど、哀しいことに、人間の頭は万能じゃねえ。どうしたって褪せやがる。段々、細かい部分に粗が出てくるんだな。そんなことくらい、ツレを亡くしたときに嫌ってほど味わったさ。だから、ビスクもそうやって俺のなかで、スカスカの抜け殻みたいになっちまうのが耐えられなかったんだよ」
またもポールの頬を涙が伝う。
大切な人を二度も亡くし、哀しみに打ちのめされた。それを疑うほどわたしは冷徹ではない。薄れゆく記憶に苦しみ、ようやく乗り越えた先にあったのは、あまりに大きな悲劇……。それさえも、時間は奪い去ってしまう。時間によって傷は癒やされるかもしれないが、同時に、記憶の鮮度は落ちていく。
「……連中の提案は画期的だった。記憶を保存しておく道具――そいつを俺にくれるって言うのさ。まあ、当たり前だが、そんな便利なモンを信じるわけがねえ。断ろうとしたんだがな、一度使わせてやるなんて言いやがる。で、物は試しだ」
言葉を切り、ポールは余韻に浸るように、うっとりと目をとろけさせた。
「道具自体はチンケな花瓶さ。こいつを覗き込めだなんて言うもんだから、まあ、やってやったさ。どうにでもなれ、だ。……目を疑ったよ。死んだはずの娘が、すぐ目の前にいやがるんだ。いや、正確には違う。目の前のビスクは死んだ当時よりずっと幼かったし、どうも、俺自身のいる場所だって違う。まるで一瞬で過去に飛んだみてえなのさ。肌に触れることも出来りゃ、会話することだって……。ビスクに再会して……俺は泣いちまったよ。男泣きさ。恥なんてありゃしねえ。で、ビスクはなんて言ったと思う? 『泣かないで、パパ』だ。……本当に、俺には勿体ないくらいの、よく出来た子だったよ」
過去を映す花瓶。それを覗き込みさえすれば、記憶のなかの愛娘と再会することが出来る。
なるほど。あまりに魅力的な道具だ。
「で、あなたは取引に応じたのね?」
「ああ……。なにを犠牲にしたって、それを手に入れる必要があると思ったんだよ。とんだエゴイストさ。知ってるよ、責められなくても。……それから俺は、何日も花瓶のなかで過ごした。夢心地さ。その間にレオンは妙なことをしていたようだが、まあ、咎めることじゃねえさ。あいつにはあいつなりの、哀しみの癒やし方がある。たとえビスクが死んだからって、はいサヨナラ、なんて可哀想だろ? それに、娘が認めた男だ。見捨てたりするわけがねえ」
レオンなりの、『哀しみの癒やし方』か。
考えて、ふと、脳裏に人形が浮かんだ。きっと、あれこそがレオンの慰めだったに違いない。
小屋で彼が繰り返していた『大丈夫』という言葉が、耳の奥に蘇る。彼はきっと、婚約者を守り切れなかった自分を何度も責めたのだろう。そしてまだ、ビスクの死は彼の人生に影響し続けている。あの人形の存在が、彼の傷を雄弁に語っているように思えた。
◆改稿
・2018/09/21 誤字修正。




