415.「悪党の娘」
壁も床も天井も、なにもかも真っ白な空間。ガラスに囲われた小部屋で、わたしとポールは五メートルほどの距離を置いて向かい合っていた。彼も接近戦は避けたいのか、一瞬で決まるような間合いは拒否したのだ。
「いいか、一分だ。それまで動くんじゃねえよ。あと、サーベルもきっちり鞘に納めやがれ」
雑な口調で命じる彼は、その年齢に似合わず小者感がたっぷりだ。もうじき老人と言っておかしくない齢だろうに、もう少し余裕を持ってほしい。保身の見え透いたスケールの小さな命令ほど、がっかりするものはないから。
「……分かったわよ。ほら、これでいいでしょ」
サーベルを納めると、彼は満足気に煙を吐き出した。水蜜香の匂いがなんとも不愉快である。肺が不純なものに満たされていく感覚だ。ほとんど無意識に、呼吸を抑えていた。
「よし。それじゃ、はじめよう――と言いたいところだが、色々と聞きたいことがある」
「なによ。正直に答えるつもりなんてないわ。早くあなたを倒して『針姐』とココを救い出さなきゃならないの」
ポールはケタケタと耳障りな高笑いを上げると、ふっ、と冷静な顔つきになった。「救うか……そうか、救うんだな。お前が頑張って二人を救い出したところで、無意味に終わったらどう思う?」
「……なにが言いたいのよ」
「つまり」ポールは唐突に両腕を広げ、大袈裟に天井を仰いだ。その目は虚ろで、まともに景色が映っているとは思えない。「お前の頑張りの結果、上手いこと人質が救われる。……すると、だ。『煙宿』に次の朝は来ねえのさ。俺たちのユートピアが丸ごとディストピアに変わっちまう」
あなたがボスをやってる以上、『煙宿』はどこまで発展してもディストピアよ。そう言い放つつもりで口を開いたが……どうもポールの様子がおかしい。彼の瞳に、光るものが見えた。
「ああ、俺は――どうしてあんな奴らとつるんじまったのかなぁ」
つうっ、とポールの頬を涙が流れる。相変わらず、天を抱えるかのごとく両腕を広げて。
『奴ら』というのは、レオンの婚約者の死後に現れたよそ者のことだろう。
「もう一分経ったわ。同情を買いたいなら、相手が悪かったわね」
ならず者の手口なんて分かってる。こちらを油断させた隙に、ろくでもないことを仕掛けてくるのだ。しかし――ポールの身に宿った魔力は、魔術を行使するような動きを見せていなかった。
うぬぼれるわけではないけれど、わたしのように魔力を察知出来る人間は少ない。口先で惑わして不意を打つつもりなら、魔術をいつでも使えるように整えておくのが普通だ。けれども一向に、攻撃の気配がない。
決して信用するわけではないけれど、少しは耳を傾けてもいいかもしれない。奴がその気になった瞬間、一気に距離を詰めて、脛を鞘で打てばそれで終わりだ。ポールが大人しく敗北を認めてくれるかは怪しいけれど、『決して敵わない』と思わせることくらいわけはない。
「そう言うなよ。俺は、俺は――哀しかったんだ。考えてもみろ。ツレが命がけで産んでくれた一人娘が、死んじまったんだぜ。昔から身体が弱くってよぉ、そりゃあもう、大事に大事に育ててきたんだよ。男手ひとつでさぁ……」
話半分に聞きつつ、周囲に注意を配る。
ガラス越しにこちらを見つめるザッヘルと視線が合った。なんとも不安そうな目付きだ。
大丈夫、わたしは負けない。
「レオンは……良い奴だ。不器用で、一途で、なにより学がある。最初は、いけ好かねえ奴だと思ったけどよぉ。あいつは、ビスクにたくさんのことを教えてくれたんだ。料理も、花の名前も、裁縫も……。俺には出来ねえことだ。まあ、ちょっぴり妬くよな。言葉はろくに通じねえけど、色男で、スマートだ。こりゃもう、役割が違うとしか言えねえよなあ。そう――役割だ! 俺は俺の役割を悟ったのさ。無骨で、泥臭くて、卑怯。それが俺だ」
ポールは自分の胸を掴み、焦点の合わない瞳を宙に這わせた。そこからこぼれる雫は、本当に涙なのだろうか。
サーベルを抜き放ち、用心して彼を見つめていたが、魔力はしっとりと落ち着いている。魔球ひとつ放つ気配がない。
「レオンはレオンの方法で、ビスクを豊かにしてやった。で、俺は俺にしか出来ない方法でビスクを守ってきたのさ。大事に、大事に。レオンを気に入ったのも、俺と似つかない奴だった、ってのが理由かもな。……こんな町で病気がちの小娘が幸せ生きていくなんて、難しいことだと思わねえか? つまり、だ。俺はビスクに『安全』を与えてやれる。けれど、『人生の豊かさ』なんてのは教えられねえんだよ。綺麗なモンを遠ざけて生きてきたからな。本を買ってやろうにも、なにがいいのかさっぱり分からん。ところがレオンは、とことん正解を突くんだな。俺は、ビスクがあんなに楽しそうに笑ったり喋ったりするのを見たのは、はじめてだった。感動したよ、心から」
悪党の道しか知らない父と、博識な恋人。レオンのあの様子からは想像出来ないが、ポールの口振りだと、上手く付き合っていたらしい。
信じるかどうかはさておき、まったく関心の湧かない話ではない。
「そんなに大事にされてるのに、どうして――」
言いかけて、言葉に詰まった。
「どうして死んだのか、って? いいさ、教えてやる。昔話は嫌いじゃねえ。たまには記憶を掘り起こして撫でてやらなきゃ、ありがたみが消えちまう。想い出ってのはそんなものだろ? いいか? 昔のことを思い出して、丁寧に輪郭をなぞるんだ。声、指先の動き、寝息、呼吸のリズム、まばたきの仕方、上手いものを食ったときの顔、機嫌のいいときの歩幅……つまり、全部だ。ビスクがくれた全部が、俺のなかで生きている。そりゃ、思い出すのは辛く苦しいことさ。けどな、そうしなくちゃ終わっちまうんだよ、人間が。思い出されることすらなくなったら、生きていた事実まで、いつか消えちまう。そうなったら、そいつの人生は丸っきりゼロだ」
極端な考えだ。たとえ誰も思い出さなくなっても、どこかに生きた痕跡は残る。否応なく。ひと振りの剣として、一冊の本として、朽ちゆく家屋に刻んだ小さな傷として。あるいは――強烈な教えとして。
脳裏に、月光で染めたような淡い金髪が揺れた。おだやかな微笑とともに。
どうして今、テレジアのことが思い浮かんだのだろう。
「死は、ひとつの物語だ。そう簡単に全部を伝えきれるモンじゃない。ただ、ビスクに限って言えばシンプルな悲劇――」
床にパイプが跳ねた。ポールが取り落としたのだ。その手は、ぶるぶると震えている。
「さすがに効くねえ……まあ、いいさ」
なんだかわたしまで頭がくらくらする。ポールの吸っていた水蜜香のせいだろう。わたし自分が、不健康な煙に対してどれだけの耐性を持っているかなんて知らなかったけど、吐き出された煙で眩暈を感じるくらいには弱いようだ。
ポールは震える手をぎゅっと掴んで、首を横に振った。
「その日、俺は取引のために『煙宿』を空けた。大事な大事な取引だ。それこそ、この町の命運を左右するくらいにな。相手はそれなりのやり手だったからよぉ、ビスクを連れていくような危険は冒せねえ。だから、レオンに全部任せたんだ。……取引は成功。ご機嫌で帰還した俺が見たのはなんだったと思う?」
ポールは目を見開き、自分の手のひらをじっと見つめた。
「ぐしゃぐしゃに潰されたアジトと、磔にされたレオンさ。……ビスクは影もかたちもなかったよ。その頃は今よりも敵が多くてねえ、心当たりなんて山ほどあった。で、しらみつぶしに探してようやくビスクを拉致したクソどもを見つけたのさ。そいつらを血祭りにあげて、ようやく感動の再会だ。ああ、わが娘よ! なんて具合に」
刹那、ポールの目が暗く淀んだ。落ち窪んだ瞳から、滂沱の涙が溢れ出す。
「都合のいい玩具だったろうな、病弱な娘なんざ……」
ビスクがどんな目に遭ったかなんて、想像するのも苦しい。
「ビスクは、なにを話しかけても反応しやがらねえし、口もきかなかった。『煙宿』に連れ帰って無理矢理飯を食わせようとしたんだがなぁ、呑み込めやしねえんだ。そのうち、眠るように死んじまったよ。なんにも語らずに」
◆改稿
・2018/09/21 誤字修正。
◆参照
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。魔王の血を受けており、死後、『黒の血族』として第二の生命を得たが、クロエに討伐された。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて
・『魔球』→魔力球、魔力弾、魔力塊とも呼ぶ。初歩的な攻撃魔術




