410.「衣裳部屋と神隠し」
『煙宿』の片隅に建つ針治療の店。ただでさえ陽の射さない室内の奥の奥。暗がりを延々と歩いた先で、わたしはかつてないほど――ときめいていた。この胸の高鳴りをどう表現すればいいのか分からないほどに。
『針姐』が去ってから、わたしはひと眠りした。起きたときには日暮れ時で、なかなかに絶望感を味わったのだが、無暗に動き回ったところで有益な情報は得られるはずもないと自分を励ましたものである。遅すぎる朝食として串焼きを、シンクレールとヨハン、そしてココと一緒に摂ったのだが、ご馳走に感激したココから嬉しい申し出があったのだ。
曰く『今までアタシが作った服、見てみる?』。
ココは『煙宿』で名の通った服職人らしく、デザインから裁縫まで全部自分でおこなうとの話である。湯上りに用意してもらった服も、彼女の仕立てた物らしい。かくしてわたしは、期待感たっぷりに、彼女の衣裳部屋を訪れたのである。
「どう? お嬢、どう?」
キラキラと瞳を輝かせるココへ惜しみない称賛を与えたかったのだが、なかなか言葉が出てこない。部屋全体がドレッサーの中みたいだった。空間を仕切るように色とりどりで様々なデザインの服がかけられている。『針姐』の着ているような、袂を合わせて帯で留める服もあれば、レースたっぷりの可憐なワンピースまで多種多様。そして、どれもが細部まで凝っていた。スカート一枚取っても、襞の具合まで計算されている。
「コレなんかお嬢に似合いそう! あ、このスカートを合わせれば……いやいや、そうなると上はブラウスで――」
ココは楽しそうに、パタパタと忙しなく服を取ってはわたしに合わせ、ニコニコしたり真剣に悩んだりしている。『針姐』もオシャレではあったが、あの性格だ。服選びに時間をかけたり、ココの意見を聞いたりすることもないだろう。彼女にとっては、こうして一緒になって服を楽しんでくれる相手は珍しいのかもしれない。
「このシャツの襟、すごく可愛い!」
「でしょでしょ! ココちゃんの自信作なのです!」
「このスカートの生地、なんだろう……柔らかい」
「絹だよ~。こっちのは羊毛で、こっちは麻」
「このブラウスは魔力が織り込まれてるみたいだけど」
「ほんのり風の魔術が入ってるんだよ~。通気性抜群なんだから!」
「ちょっと着てみてもいい?」
「もち!」
うきうきした気分で色んな服を着てアレコレと話していると、ふと、不思議な感覚になった。こんなに素直な気持ちになったのはいつ以来だろう。わだかまりなく、素敵な服に夢中になるだなんて。
騎士になってからというもの、気軽に服を眺めるなんてことはなかった。いつだって周囲の目を意識していたから。騎士としてあるべき毅然とした態度――それに縛られていたのかもしれない。ファッションにはそれなりに気を遣ってはいたものの、戦闘に差しつかえるようなものは決して選ばなかったし……。
『最果て』の商業地――マルメロで服を買ったときだって同じだ。長旅に支障をきたしそうなものは、どれだけ魅力的に思っても頭から追い出したのである。だからこそ、こうして現実的な問題を考えることなく夢中になるのは、我ながらびっくりしてしまうほど楽しい。
そして……楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。気が付くと、何時間か経過していた。
「ありがとう、ココ。普段は服を見るような時間もないから、楽しめたわ」
なんだか言葉が、しんみりとした調子を帯びてしまった。切なくならないように意識はしたのだが、どうしても感情が溢れてしまう。それを察したのか、彼女は励ますように言った。
「どういたしまして! アタシも楽しかったよ! どれが一番気に入った?」
「んー……」どれも甲乙つけがたい。「今着てるのが一番好きかも」
昨日湯上りに用意してもらった服が、なんだかんだ一番に思えた。
「なら、あげる」
「え? いやいや――」
「いいの! お嬢は色んなところを旅してて、ろくに服を選ぶ余裕もなかったでしょ。だから、ココちゃんからのプレゼントですっ!」
「ほ、本当にいいの?」
「うん!」
ココは満面の笑みで返す。ただでさえ世話になったり迷惑をかけているのに、いいのだろうか……。
それから何度か押し問答をしたのだが、結局ありがたく受け取ることになった。実を言うと気に入っていたので、本当に嬉しい。
夜になり、ココは『針姐』の手伝いに行ってしまった。わたしも、いつまでも衣裳部屋でときめいている場合ではない。これからのことを決める必要がある。
「随分楽しそうだね。なにかあったの?」
部屋に戻るや否や、シンクレールがにこやかに言った。おおかた、わたしの表情がゆるんでいたのだろう。
「ココに服をもらったの。今着てるやつ」
言って、柄にもなく一回転して見せた。ふわり、と裾が翻る。うん、ばっちりだ。
「そりゃいいね。よく似合ってるよ」
「えへへ」
ついつい照れ笑いをしてしまったけど、気にしない気にしない。わたしは今、最高の気分なんだ。
「上機嫌ですなあ。お嬢さんが元気だとこっちまで気力が回復しますねえ」と、ヨハン。
巧妙に隠しているけど、嫌味だろう。まったく共感が籠っていない。
「ところで、昨日の晩はどうだった? 僕らと別れてからのことなんだけど……」
シンクレールは相変わらず心配性だ。なにかトラブルに巻き込まれたんじゃないかと思っているんだろう。まあ、的中してるんだけど。
「そのことなんだけど――」
昨晩わたしが見た光景をすっかり語ってみせると、案の定、シンクレールとヨハンは眉をひそめた。
「そりゃ、妙な話ですなあ」
「うん、同感だ。僕がいれば氷漬けにして尋問してやるのに」
シンクレールはどうやら、わたしがレオンの取り巻きに組み伏せられたことを根に持っているようだ。そもそも最初に失礼な真似をしたのはわたしなんだけどな……。
「魔紋に、『神隠し』……まったくの無関係ではないでしょうな」
「ええ。そこだけ切り取ればね」
ヨハンは顎に手を添え、じっとこちらを見据えた。「おおかた、人形のことが気にかかっているんでしょう? お嬢さんは」
「そう。だって、おかしな話じゃない? 婚約者そっくりの人形だなんて……」
それに、レオンの様子……。人形を抱き、ぼそぼそと言葉をこぼす彼は、単純に精神の病と言い切れるものではなかった。なにか、わたしの知らない事実がいくつも積み重なってああなっている。そう思えてならない。
「お嬢さん」言葉を切り、ヨハンは身を乗り出した。そして、人さし指を立てる。「紐解ける部分だけを考えたほうがいいですよ。人形を抜きにすれば、この件はそれほど難しい話ではありません。つまり、魔紋と『神隠し』――このふたつに注視すればいい」
魔紋と『神隠し』か。確かに、レオンの小屋に侵入した二人組は、影もかたちもなく消えてしまった。となると、『神隠し』にあったと考えるのが自然である。そして、あの場所でそれを可能にする要素は魔紋くらいだ。
「でも、人を消滅させるような魔術なんてないわ。もし可能だとしても、無音で使うなんて出来ないでしょうし。そもそも、そんな強力な魔術を魔紋として設置するなんてありえない」
「消滅、と考えればおっしゃる通りです。……が、姿をくらますだけなら、いくつか方法がありますよ。お嬢さんも身に染みて理解しているのでは?」
身に染みて……。
「もしかして――転移魔術?」
「ご名答」
なるほど。確かに、消滅ではなく移動であれば、あの場所から姿を消すことが出来る。となると、二人組はどこへ行ったというのだろう。
わたしの疑問を察したのか、ヨハンは肩を竦めた。
「さすがに行き先までは分かりませんが――」不意に、彼の表情が苦々しく歪む。まるで、なにか心当たりでもあるみたいに。「たとえば、人攫いに渡せばそれで終わりですな。一時的に檻のような場所に転移させ、定期的に人攫いが檻から回収する……。『神隠し』がはじまったのと、レオンさんが妙な連中と関わり合っている噂が立ったのは、同時期らしいですからねえ」
「でも……なんのために? 攫うのも攫わせるのも、理由が見えないわ」
ヨハンは長いまばたきを一度して、深いため息をついた。
「そういったビジネスがあるんですよ。事実として」
そう締めくくると、彼は黙って天井を仰いだ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる土地。正式名称はハルキゲニア地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『マルメロ』→『最果て』にある、商業の盛んな街。タソガレ盗賊団のアジトから近い。詳しくは『47.「マルメロ・ショッピングストリート」』にて




