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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」
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409.「皮下の闖入者」

 黒い(もや)は、あっという間にザッヘルの手足にまとわりついた。直後、彼の身体がびくりと跳ねる。目は大きく()かれ、食い縛った歯の隙間(すきま)から言葉にならない音の断片(だんぺん)(あふ)れ出た。


「ザッヘルさん!」


 咄嗟(とっさ)に彼に寄ろうとしたが、『針姐(はりねえ)』の腕に押しとどめられた。


「平気や。驚くのも分かるけど、仕方のないことなんよ。『墨虫(すみむし)』が墨を食うときは、どうしても痛む」


 ()り込まれた墨は、皮膚(ひふ)の奥にじわじわと根を張る。先ほど『針姐』が言ったことだ。根を張った墨を、この黒い靄が食っているということは……。


「墨虫は器用な子やから、墨だけを綺麗に食う。けどねえ、どうしたって苦しみはあるんよ。そりゃ、いくら(こま)かい虫でも、皮膚に入ってくるわけやから」


 目に見えないほど微細(びさい)な虫。それらが大量に皮下(ひか)へ入り込む……。想像するだけで、なんだか(かゆ)くなってきた。


 ザッヘルは床に転がり、身体を丸めたかと思えばガクガクと手足を伸ばしたりと、身悶(みもだ)えを繰り返している。(まぶた)はきつく閉じられ、目尻(めじり)に涙が浮いていた。小指を切ったときでさえ、彼はこんなにも苦しまなかったはずだ。


 いくつもの痛みが継続し、(のが)れることさえ出来ない――そんな生き地獄を味わっているのだろう。


「そろそろ終わりやね。墨虫は食事が速いんよ。もっと味わって食うたほうが気分もええと思うんやけどねえ。ウチの旦那(だんな)もそのほうが嬉しいやろうし」


 嬉しいだなんて、ザッヘルの苦痛を見てよく言えるな……。しかしながらそんな想いも、(もや)が晴れると吹き飛んだ。


 床に転がったザッヘルは荒い呼吸を繰り返しながら、ゆっくりと目を開ける。苦悶(くもん)(ゆが)んだ口元が、ゆるゆると脱力し――とろん、と余韻(よいん)(ひた)るような恍惚(こうこつ)とした顔つきに変わった。


 あんなに苦しんでいたのに、この変わりようは一体……。


 正真正銘(しょうしんしょうめい)、痛みを好んでいるということなのか。まったく共感出来ない。


 目が合うと、彼の瞳がうっとりと細くなった。


「まぁた嬢ちゃんは、ウチの旦那を(よろこ)ばして……」


 そんなに(さげす)んだ表情をしたつもりはないけれど、ザッヘルの顔を見るに、感情が漏れ出ていたらしい。


 痛みも軽蔑(けいべつ)もご馳走(ごちそう)だなんて……。


「そ、それにしても、墨虫はどこにいったの? もしかするとまだ身体のなかにいるんじゃない?」


「いや、それはないんよ。(やっこ)さんは食事が終わると、さっさと地の底に帰るのさ。礼儀(れいぎ)もクソもない。まあ、それぐらいさっぱりしてたほうがウチも気分ええけどねえ」


 地の底というと、例の井戸だろう。霧散(むさん)したように見えたが、それぞれ微細なひと粒ひと粒が住処(すみか)へ戻ったというわけか。


「実に興味深いものを見せていただきました」とヨハンはぺこりと頭を下げる。「しかし、これで終わりではないのでしょう? 墨を消したとなると――」


「そ。墨を塗り直す。そうやって塗り替えしとったら、神経を壊すようなことにはならんからなあ。上手く使うってのは、こういう意味なんよ」


 なるほど。墨が身体を(むしば)む前に取り払って、もう一度墨を塗りこめる。墨消しを(おこた)らなければ、その効果を半永久的に使うことが出来るというわけか。痛みは大きな代償(だいしょう)に思えるけど、それすらザッヘルにとってはご褒美(ほうび)なのだから(あき)れてしまう。


 ふ、と思いつきが口からこぼれた。


「ねえ。ザッヘルさん以外にも、(すみ)を塗ることって出来るのかしら?」


「もちろん。墨に魔力を()めればええだけやし。ちょちょいのちょいや。ま、ほかのモンには『墨に魔力を籠める』なんて出来んらしいけど」


 腕のいい絵描き。『毒食(どくじき)の魔女』の言葉が脳裏(のうり)に浮かぶ。『針姐(はりねえ)』の持つ能力は、間違いなくかなり特殊な部類に入る。仕組みが分からないのでなんとも評価は難しいけど、誰にでも出来る技であれば、『針姐』を()して『腕がいい』なんて言わないはずだ。


 彼女にしか出来ないその力が、もしかすると役に立つかもしれない。


「『針姐』の墨は、身体強化だけなのかしら?」


「そ。腕力(わんりょく)上げたり、動きを速めたり……全般的なモンやな。どこまで出来るかなんて分からんよ。自分でも全部把握(はあく)しとる力やないからなあ。……ウチより魔術に詳しくて知恵のある奴だったら、ほかの使い(かた)も思いつくんやない?」


 なんだかぞんざいな口調だった。あまり追及(ついきゅう)してくれるな、という意味に聴こえてならない。


「その墨は……どれくらい払えば(ほどこ)してもらえる?」


 すると、『針姐』は怪訝(けげん)な目付きになった。警戒心がありありと表れている。こちらの考えが読まれたのかもしれない。


「お嬢さん、なにを言ってるんですか」


 ヨハンは(あき)れ顔をしていたが、気にするつもりなんてない。わたしは今、ある直感に打たれているのだ。


 ――墨でわたしの身体を一時的に強化すれば、もしかするとルイーザと渡り合うだけの力が得られるかもしれない。悠長(ゆうちょう)に力を高める時間もなければ、彼女に追いつける保証だってないのだ。なら、リスクを承知(しょうち)で実力を底上げ出来る手段が必須(ひっす)だ。アリスが魔銃を強化し、魔女から魔術を教わったように。


「なに考えとるか知らんけど、これは商売やないよ。ま、どうしてもって言うなら――」『針姐』は(から)っぽになった瓶を(おび)にしまい、冷えた笑いを口の(はし)に浮かべた。「金貨百枚。それだけ積みゃあ、()けたるわ」


 がっくりと肩が落ちる。なんだその、法外(ほうがい)にもほどがある金額は。(すみ)を塗るつもりなんて毛頭(もうとう)ない、と言ってるのと同じじゃないか。


(あきら)めろ、ってことね」


「そ。悪いけどウチはそういう人間やから。優しくないし、(ひね)くれモンや。そばにおる奴は大事にしたるし、『煙宿(けむりやど)』の人間はそれなりに愛しとるけどな」


 言って、彼女はザッヘルを抱き起こした。(わき)に手を回して雑に起き上がらせただけだったけれど、なんだかその乱暴な仕草が照れ隠しのように思えてしまう。


 それから彼女は、取り(つくろ)うようにこぼした。「だから、レオンみたいなのは嫌いやな」


 どうしてここでレオンが出てくるのか分からなかったが……その口調にははっきりした意図(いと)はないように感じた。ついつい愚痴(ぐち)が漏れてしまうのと同じだろう。


 わたしはというと、レオン、という一語にピクリと反応してしまった。


 彼の妙な喋り方。小屋での、敵意の(こも)った目付き。そして、人形。


 いくつかの、決して愉快ではない記憶が頭にこびりついている。


「どうしてレオンが嫌いなの?」


『針姐』は、ふん、と鼻を鳴らして(ふところ)からマッチを取り出した。火を(とも)すと、慣れた手つきで煙管(キセル)に近付ける。


 甘ったるい(かお)りが鼻を刺激した。吸わないでくれって言ったのを忘れたのかしら……。


「アイツは、妙な連中と(から)んどるって話したやろ?」


「ええ」


「で、『神隠し』の話もした」


「聞いたわ」


「ウチはな――というより、『ほろ酔い桟橋(さんばし)』の奴らはみんな、『神隠し』がレオンの仕業(しわざ)やと思うとるんよ。妙な連中から(そで)の下を(もろ)うて、人を消しとる。実際に見たわけやないけど、時期が重なり過ぎるんよ。『不夜城(ふやじょう)』のボスも一枚()んどるやろな……胸糞(むなくそ)悪い」


『針姐』は、いかにも不愉快そうに煙を吐き出す。確かに『神隠し』が、レオンと、『煙宿(けむりやど)』の創設者であるポールによっておこなわれているのなら、反感を覚えて当然だ。『針姐』の不快感はもっともだと思う。そして、彼女の推測はあながち間違ってはいないだろう。


 レオンの小屋にあった魔紋(まもん)。死んだはずの婚約者を()した人形。消えた二人組。


 明らかに、なにか(・・・)がある。


「ふぁぁあ……さて、夜更(よふ)かしも終わりやね。阿呆(あほう)な旦那さんに墨を入れる仕事も残っとるし、ウチらは寝床(ねどこ)に戻るかねえ。……ああ、嬢ちゃんらはここにいたいだけいてかまわんからなあ。迷惑かけたわけやし、串焼きも(もろ)うたし。そうそう、残った串はココにも分けてやってな。あの子、食い意地(いじ)は一人前やから」


 さばさばと口にすると、『針姐』はザッヘルに肩を貸して出て行った。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場


・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的使用出来る。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて


・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と(もく)される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』参照


・『毒食(どくじき)の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照


・『魔紋(まもん)』→魔術の応用技術のひとつ。壁や地面に紋を描き、そこを介して魔術を使用する方法。高度とされている。消費魔力は術者本人か、紋を描いた物の持つ魔力に依存する。詳しくは『186.「夜明け前の魔女」』にて

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