402.「魔女、あるいは悪漢について」
夜になると『煙宿』は一層賑わいを増した。外の喧騒は真昼よりも活気づいている。『針屋』の二階でじっとしているのが間違ったことのように思えるほどだ。
『針姐』とザッヘル、そしてココは一階で客の相手をしているらしく、ときおり愉快そうな笑いが響いてきた。『針屋』は夜だけの営業で、毎晩お客と話をしながら施術するらしい。針で肩こりやら腰痛を治すとの話だが、ザッヘルの背中を見るに、ありえない治療でもなさそうである。
皮膚と、その奥に広がる血脈。筋肉の微細な動き。それらを把握しているからこそ、針一本であれだけ見事な蛇を描けるのだろう。肉体の不調やら病やら、そうしたものにも敏感であろうことは想像に難くない。
「てっきり夜間防衛に行くと思ったけど……独特な仕組みなんだね、ここは」
シンクレールは欠伸交じりに言った。日が落ちるまで惰眠を貪るなんて……彼も多少は不真面目なところがあるということか。ちょっとした発見だ。
「そうね。普通だったら魔術師に守ってもらったり、自警団が働くものだから」
『煙宿』の夜間防衛は当番制らしい。実力のある者が四方をそれぞれ守るというわけである。昨日はたまたまザッヘルと『針姐』が当番だったのだ。
入れ替わりで夜を凌ぐなんて、なかなかリスキーなことである。魔物の襲撃を考えれば、常に万全の戦力を注ぎ込むのが自然だ。それなのに交代制を取れるということは、充分な戦力を複数抱えていることを示している。ならず者とはいえ、王都から流れてきた者がほとんどだ。魔術師もいれば、もしかしたら、魔具を盗み出して自分の物にしているような輩もいるかもしれない。なんにせよ、長いこと当番制で維持してきた歴史は侮れない。
「しかし、いつまでもここにいるわけにはいきませんなぁ」とヨハンはこぼす。不満そうな口調ではなかったが、かと言って諦めている雰囲気ではなかった。
「早くアリスを見つけなきゃ」
「それもそうですが、なにより情報です。今の私たちでは、あの大魔術師には手も足も出ませんよ」
大魔術師、という単語に気が張り詰めた。それはシンクレールも同じだったらしく、腕を組んで神妙な顔つきになる。
「ルイーザか……派手な噂ばかり耳にしてきたよ」
言って、シンクレールはため息をこぼした。
気乗りしないのも当然だ。騎士団が討伐するはずだったケルベロスを、彼女ひとりで倒した逸話はあまりに有名である。
下位とはいえ、ひと桁ナンバーの騎士が複数人で戦っても大した傷をつけられず、おまけに逃げられてしまったケルベロス。獲物を逃して帰還するわけにもいかず、湿原に足を踏み入れた彼らが目にしたのは、とんでもない光景だったらしい。蒸発するケルベロスと、ほんの小さな子供。そして、高慢な高笑い。
彼女を見た騎士は、自分の目がおかしくなったとまで言っていたっけ。そう思うのも無理はない。なにせ、騎士数人がかりでもさっぱり勝ち筋の見つけられなかった大型魔物を、たったひとりの少女が瞬殺したのだ。
この湿原が『魔女の湿原』と呼ばれるようになったのは、それからのことである。以降は噂に尾ひれがつき、やれキュクロプスを跪かせただの、キマイラをペットにして遊んでいるだの、信憑性のない噂話ばかり。ただひとつ確かだったのは、湿原に至る区域だけは、圧倒的に夜間防衛が楽だった。それも当然で、大型魔物が滅多に姿を現さないのである。出現しても、湿原へと走り去ってしまうだけ……。そこにルイーザの影響を感じずにはいられない。遠く離れた魔物まで引き寄せてしまうほどの強大な魔力。そして、魔物など簡単に葬ってしまえるほどの卓越した魔術。
これから相手にする敵が強大に思えてしまうのは、むしろ仕方のないことだ。
「クロエは、ルイーザに会ったことがあるんだよね?」
何気なくシンクレールがたずねる。
「ええ。ハルキゲニアで、ちょっとしたいざこざがあったのよ」
今でもたまに、ルイーザの高笑いが耳に蘇る。そして、燃えるような屈辱が記憶のスクリーンに映し出されるのである。
しかし、それ自体は過ぎたことだ。そしてわたしは、あのときのわたしではない……はず。どれほどの実力をつけたかは怪しいところだけれど、少なくとも、テレジアを倒した事実はある。ともあれ、ヨハンの言った通り、今のわたしたちでは彼女に勝てそうにないこともまた事実だ。
「湿原に住んでいるくらいですから、『煙宿』にも訪れたことがあるかもしれないですね」
「そうね。王都で噂になるくらいだから、ここの人たちがルイーザのことを知っていたっておかしくないわ。特に、昼間のアイツは――」
言いかけて、苦々しい気持ちになった。無遠慮すぎる観察を繰り返した、なんとなく無機質な男――レオン。恋人を亡くした、『煙宿』のナンバー2。
薄っすらとした予感でしかなかったが、彼なら有力な情報を持っているかもしれない。素直に教えてくれるとは思えないけど……。
昼間の調子だと、彼は『煙宿』の規則を重んじるような奴だ。いや、違うな。重んじている、というより、それが規則だから従わない奴が信じられない、といった具合か。なんにせよ、二度と会いたくない相手なのは確かだ。
「妻を亡くしてなお、権力を持ち続けるなんて、随分と気に入られてるんですなぁ……ここの支配者に」
ヨハンが『支配者』と言ったのは、きっと嫌味からだろう。
さきほど『針姐』が、この宿場町の仕組みを詳しく教えてくれたのだ。町の創設者――ポールという男――が『煙宿』のボスであり『不夜城』の主らしい。彼の外交努力により、町は随分と潤っているとのことだ。つまり、水蜜香の闇取引で得た利益で、この町を支えているわけだ。銅貨一枚の大衆食堂も、どす黒い取引の果てに、仲間内だけで利益を分け与える仕組みのひとつなのである。あとは、ならず者どもが好き放題遊んだり娯楽を提供したりで、経済を回しているらしい。店を持たず、金に困った連中は、『不夜城』で水蜜香の栽培や加工の職が待っている、というわけだ。
そんな悪党どもの理想郷も、ここのところガラリと変わってしまったらしい。レオンの婚約者――つまりポールの娘が亡くなってから、妙なよそ者が町に現れるようになったと、『針姐』は苦々しく語ってくれた。
その頃から、たびたび住民が消える事件が起きるようになったらしい。ポールは『神隠し』と言って誤魔化しているようだが……。
いくらならず者といえども、そんな見え透いた嘘に騙されはしない。そこで『ほろ酔い桟橋』の住民数名が決起し、『不夜城』に乗り込んだらしい。結果として、誰ひとり戻ってくることはなかった。その後、彼らの姿を見た者もいないらしい。
「しかし、攫われなくてよかったですね」とヨハンは唐突に言う。
「え、なにが?」
「レオンとやらに、ですよ。ココさんが頭を下げなければ、お嬢さんも消えていたかもしれませんねぇ」
冗談じゃない。「相変わらず最低のジョークね」
「そりゃどうも」
へらへら笑うヨハンと、不機嫌そうに彼を睨むシンクレール。この構図にも、もはや慣れてしまった。
「さて」と呟いて、ヨハンが立ち上がった。「そろそろ行きますかね」
「どこに?」
不敵な笑みが、不健康な顔に広がった。「酔漢から情報を盗みに、ですよ」
◆改稿
・2018/09/21 誤字修正。
◆参照
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。魔王の血を受けており、死後、『黒の血族』として第二の生命を得たが、クロエに討伐された。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて
・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』参照
・『ケルベロス』→三つの頭を持つの魔犬。機動力が高く、火炎を吐く。詳しくは『286.「魔獣の咢」』にて
・『キュクロプス』→巨人の魔物。『51.「災厄の巨人」』に登場
・『キマイラ』→顔は獅子、胴は山羊、尻尾は蛇に似た大型魔物。獰猛で俊敏。『吶喊湿原』のキマイラのみ、血の匂いに引き寄せられる。詳しくは『100.「吶喊湿原の魔物」』『114.「湿原の主は血を好む」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて




