401.「絵と煙」
ようやく元の部屋にたどり着くと、思わずため息がもれた。寝具にくるまって気持ち良さそうに眠るシンクレール。そして、ニヤニヤとわたしを出迎えるヨハン。
「馬子にも衣装ですなぁ」
開口一番、腹立たしいことを……。
「そう言うあなたは、いい加減服を替えたらどうなの? バンシーだってもう少しマシな服を着てたわ」
「まあまあ、そう怒らないでください。これでも褒めてるんですよ?」
「煽ってるだけじゃない。まったく……。それはそうと、その瓶はなに?」
壁にもたれて胡坐をかいたヨハンの前には、やけに小さな器と、並々と液体の入った瓶が置かれていた。それに、この部屋の臭いは……。なんだか嫌な予感がする。
「ああ、これですか」ヨハンは瓶を傾け、器にトプトプと琥珀色の液体を注ぐ。「お酒ですよ。『針姐』さんがくれたんです。お近づきの印、ってなわけでさぁ」
やっぱり……。どうせわたしが戻ってくるまで宴会でもしていたのだろう。毛布にくるまったシンクレールの頬がやけに赤いのも、それが理由というわけか。
「ヨハン……あなたってそんなにお酒が好きだったっけ?」
「嗜む程度ですよ。しかし、好意を無下にするほど野暮ではありません。せっかくいただいたのだから、心ゆくまで溺れるのが礼儀でしょう。おや、ザッヘルさんも一緒でしたか。一杯どうです?」
ザッヘルは小さく首を振り『遠慮しておきます』と書かれたページをヨハンに差し出した。
「いやぁ、『針姐』さんから聞いた通り、本当に綺麗な字を書きますねぇ。羨ましい限りです」
字のことを知っているということは、彼が生まれつき喋れないことまで聞いているに違いない。あえてそれを口にしない器用な気の回しかたが、ヨハンらしい。
「で、『針姐』さんは――」
言いかけた矢先、当の彼女が姿を現した。相変わらず派手な装いをしているのに、どこか凛とした雰囲気がある。
「随分と長風呂やったなあ。身なりも可愛らしくなっとるし、見違えたわ」
彼女は部屋の真ん中にどっしりと腰を下ろし、酒盛りを始めてしまった。彼女に付き合って、ヨハンも調子よく器を空にしていく。
どうやら二人とも良い気分になっているらしく、なんでもないような会話を交わしてケラケラと笑っていた。わたしとザッヘルはというと、酒宴から離れて話を聞いているばかりである。
「けどなぁ、お酒が呑めんなんて可哀そうやわ。嬢ちゃんは人生の半分を損しとるよ」
「はぁ……」
人生の半分がお酒にあってたまるもんか。これだから酔っぱらいは……。
「ウチの旦那も下戸やからねえ、嬢ちゃんのお仲間やな。無理矢理呑ましたら、真っ赤になって倒れよったんよ。その頃のウチは生娘でねえ……大慌てだったさ。とんでもないことになってもうた、ってねえ」
ザッヘルはニコリと笑ったきり、ペンを走らせる気配もない。もしかするとわたしと同じで、酔った記憶をすっかり失うタイプなのかもしれない。
「そういえばザッヘルさんから聞いたんだけど、二人とも結婚してたのね」
すると『針姐』はこちらを流し見てぽつりと「結婚は、してないなあ」と呟いた。
……どういうことだろう。ザッヘルは『針姐』のことを妻だと言っていたけど。もしや、からかわれただけ?
「ええと……どういうこと?」
「色々あるんよ。あんまし詮索せんといて」
そう言われたらこれ以上は聞くわけにはいかない。へそを曲げられたら困るのだ。なぜなら――。
「じゃあ、別の話をしましょう。『針姐』さんは絵が上手いって聞いたんだけど、ぜひ見てみたいわ」
少し強引だったろうか。彼女は呆れ笑いをこぼし、ぐいっとお酒を呑み干した。「なんもかんも喋っちまうから嫌になるよ、ウチの阿呆は……。人様に自慢するようなモンは描いてないけど、見せたってもええよ。ただし、ちょいと驚くかもねえ」
驚くほど見事な絵か。俄然気になってくる。『毒食の魔女』の言葉とはまた別に、純粋な意味で見てみたい。
「ええ、ぜひ見せて頂戴」
「ええよぉ。そら、ザッヘル、見せておやり」
す、とザッヘルが立ち上がった。絵を持ってくるのだろうと思ったが――。
「ちょ、ちょっと!」
思わず目を覆った。おもむろにザッヘルが脱ぎ出したのである。帯はそのままに、器用に上半身だけ、はだけて見せる。
あ、意外に筋肉がある――いやいや、見てない見てない。
「アッハッハ! 嬢ちゃんはウブやなあ。からかうのも面白いけど、やりすぎると気の毒になってまうな」
『針姐』の言葉を合図にして、ザッヘルがくるりと背を向けた。
目を覆った手は自然と落ち、ぽかん、と口が開くのが分かった。なんだ、これ。
「どや、ええモンやろ?」
ザッヘルの背には、今にも飛びかかってきそうなほど見事な蛇が描かれていた。威圧的な眼光に、鋭い牙。下手な魔物よりもよほど迫力がある。まるで本物のように感じてしまうのは、それが人の肌を介しているからだろう。鼓動や体温が、ザッヘルのそれを通して背中の蛇にまで宿っているような、そんな具合だ。
「びっくりしとるなあ」
「これはこれは……すさまじいですなぁ。しかし、生活するうちに褪せてしまうのでは?」とヨハンは驚きを隠さずにたずねる。
「褪せたりせんよ。なにせ、針で描いとるからな」
「針?」
「そ。ひと刺しずつ、色を刻むんよ。地道に地道に、ねえ。長いことかけて、痛みを耐えて、ようやく背負える絵や」
針に絵の具をつけるのだろうか。あまりイメージが湧かないが、目の前の蛇が途方もなく緻密な作業と、相応の痛みの上に成り立っているかと思うと、常軌を逸した生命力が宿って見えるのも頷ける。
真似したくはないし、わざと身体を傷つけるなんてどうしようもなく非道徳的だ。けれど、どうにも目が離せない。
「嬢ちゃんにも彫ったろうか? 金貨二枚でええよ」
金貨二枚で割に合う作業量だろうか。いやいや、そもそも背中に絵を刻むなんて考えられない。
「遠慮しておくわ」
「そか。まあ、なんだってええよ。最近は絵の仕事もめっきりご無沙汰で詰まらんわ」
ザッヘルの背を眺めていると、くらくらと眩暈がした。それでも視線を外すことが出来ない。彼の背にはひと欠片の魔力も宿っていないのに……。
やがて、ふぅ、と隣で『針姐』が吐息をこぼした。そして、なにやら甘ったるい匂いが鼻をくすぐる。
なんだろう。
蛇の魅力を断ち切って『針姐』を見ると、彼女はいつの間にか妙なものを手にしていた。紅色の長細い管。先端が曲がっており、中にモサモサと枯れ葉みたいなものが詰まっている。
彼女が葉の詰まっていない側を唇に挟むと、じり、と音を立てて葉が燻ぶった。そして『針姐』は、吐息とともに煙を吐き出す。
またも、甘い香りが漂った。なんだか、頭がクラクラする。
「そりゃなんです?」とヨハン。
「これ? ただの嗜好品さ。『水蜜香』って知ってるかい?」
水蜜香。その単語を聴いて、思わず息を止めて身を引いた。まさかこの人……。
「なんだい、嬢ちゃん。随分と大袈裟じゃないか。どうせ、悪い噂を聴いたんだろうねえ」
悪いどころの話ではない。王都の歓楽街は、水蜜香中毒者の悲惨な姿があとを絶たないのだ。
「だって水蜜香は、人を壊す物よ。中毒にして、量を間違えれば覚めない夢に……」
「アハハ! 生粋の潔癖症だね。悪いけど、そりゃいくらなんでも偏見さ。量を間違えりゃ廃人になるのは事実やけど、そう簡単に壊れやしない。ウチみたいに煙管でチビチビ吸うだけなら中毒にもならんし、いい具合にリラックス出来る」
そして『針姐』は、ふぅ、と煙を吐く。自堕落で、遊蕩に満ちた香りが部屋を漂った。
彼女の口から溢れた煙も、そのだらけた言葉も、決して受け入れられない。
やがて『針姐』は苦笑し、「分かった分かった」と言って部屋の隅にあった盆の縁で、煙管を叩いて灰を落とした。
「純情乙女な嬢ちゃんに免じて、煙は我慢しようじゃないか。しかし、笑っちまうくらいお堅いね。どっかで型に嵌められたんやねえ……可哀そうに」
薄笑いを浮かべる『針姐』。背中の絵に、水蜜香。やはり『煙宿』は、噂通りの場所だ。ならず者にとっての理想郷だろう。
◆改稿
・2018/09/21 誤字修正。
◆参照
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『バンシー』→人の上半身のみを持つ魔物。人語を解し、人を騙すほどの知性がある。『鏡の森』のバンシーは例外的に無垢。詳しくは『198.「足取り蔦と魔樹」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




