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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」
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400.「筆、語る」

 きいきいと廊下が鳴く。(はる)か遠くで人の声がするけれど、何枚もの壁を通しているからか、言葉ひとつ(とら)えられない。


「さて、と……」


 大きく伸びをして深呼吸すると、なんだか甘ったるい匂いがした。たぶん、石鹸(せっけん)の香りだろう。湯上りでポカポカしていた身体はすっかり冷め、さっぱりした気分も段々(だんだん)(よど)んでくる。


 どうしてこんなことになってるかと言うと――。


「……迷った」


 口に出すと余計に(みじ)めな気持ちになった。正しく状況を理解するのも、なかなかどうして(つら)いものがある。


 浴室に来るまでは、ひたすらココの後ろを歩いていたから意識しなかったが、こうしてひとり屋敷(やしき)をさまよっているとまるで迷路としか思えない。何度も分かれ道に出くわすし、部屋数も多い。そしてどこへ行っても暗いのだ。進んでいるのか、それとも同じ場所をぐるぐると歩いているのか……それすら曖昧(あいまい)である。


 しかし――。


 (そで)を見つめ、スカートをつまみ、その場でくるりと回転した。ふわりと(すそ)(ひるがえ)る。


 湯から上がると、脱衣所にはココの用意したらしい服があったのだ。代わりにわたしの着ていた服は消えていたけど。シャツもスカートも平凡なフォルムで、黒を基調(きちょう)としていたが、決して暗い印象ではなかった。それどころか、要所要所にあしらわれた飾りが(ひん)のいい愛らしさを演出している。袖とスカートには花を()したレース。上下のデザインが統一されているのもポイントが高い。


 可愛すぎず、おとなし過ぎず。わたしの一番好きなスタイルだ。『最果て』を旅していた(ころ)からずっとズボンだったので、スカートを着ることが出来てちょっぴり嬉しくもある。


 とまあ、うきうきしていたのも最初のうちだけである。延々(えんえん)と屋敷を歩いているうちに、幸せな気持ちも吹き飛んでしまった。だからたまに、自分を鼓舞(こぶ)する意味で一回転するのである。そうでもしないと、ぐったり落ち込んでトボトボ歩くだけになってしまう。


 さて、もう一回転――。


「えっ! ざ、ザッヘル、さん!? いつからそこに……!」


 誇張(こちょう)でもなんでもなく、心臓が止まりそうになった。気付くと廊下の先に、まるで幽霊のようにザッヘルが立っていたのだ。彼の肌は――つるつる頭も(ふく)め――暗闇でもぼんやりと白い。


 一瞬遅れて、猛烈(もうれつ)な恥ずかしさが襲ってきた。彼がいつからわたしを見ていたのか知らないが、ニコニコと一回転する様子をバッチリ確認したことだろう。


 ザッヘルは困ったようにはにかんで(・・・・・)(ふところ)から紙束(かみたば)と銀色のペンを取り出した。そして、なにやら書いている。


 なんだろう。


 やがて彼は手を止めて、紙面(しめん)をこちらに突き出した。


『驚かせて、御免(ごめん)なさい』


 流麗(りゅうれい)な字で、そう書いてある。()()れしてしまうくらいに綺麗な文字……。これほど達筆(たっぴつ)だったとは。


 ――いやいや、感心するところではない。なんでこれしきのことを紙に書いて見せるのだ。


 すると彼は紙束をぺらぺらと(めく)り、目的のページを見つけたのか、またもこちらへ突き出した。


 わたしが息を()んだのは、なにも字の美しさばかりではない。


『生まれ付き、声が出ないのです』


「あ……」と思わず口からこぼれた。


 彼はニッコリと笑みを浮かべ、それからまた、眉尻(まゆじり)を下げてさらさらとペンを走らせた。


今朝(けさ)の事ですが、失礼(いた)しました』


「ええと……今朝のことって、指を切ったアレのこと?」


()(せつ)は、驚かせて申し訳御座(ござ)いません。あれしか謝意(しゃい)を伝える方法は無いと思いましたので。そも、貴女(あなた)を殴り付けた私が悪いのです』


 そしてザッヘルは、深々と頭を下げる。薄暗闇に、電球頭(でんきゅうあたま)がぼんやり(とも)った。


「あの……そんなに気にしないで。確かにびっくりしたけど、おかげで『煙宿(けむりやど)』まで来れたんだから」


『ヨハンさんから(うかが)っております。『煙宿』の敵ではない、と。()れは断じて言い訳では無いのですが、てっきり王都の役人か騎士だと思ったのです。我々の生活を(おびや)かすのではないかと。現に、そういった(やから)は多く現れます。ですから、(さき)んじて退治すべしと感じた次第(しだい)面目(めんぼく)無いです』


 ヨハンがザッヘルと『針姐(はりねえ)』を説得したというのは、どうも本当らしい。彼の申し訳なさそうな表情を見るに、かなり説得力のある説明を展開したのだろう。彼らしく、舌を存分に駆動(くどう)させ、踊るように虚実(きょじつ)()()ぜて。


 想像すると、なんだかザッヘルたちが気の毒に思えた。


「でも、指を切るなんてあんまりよ。ココの布があっても、痛みはそのままなんでしょ?」


(おっしゃ)る通りです。痛みまで失ったら(みそぎ)()りませんから』


「禊って……まあ、いいわ。別に(うら)んだりしてないし、本当に気にしないで頂戴(ちょうだい)


(しか)し、気が済みません。いっそ、私の(ほお)を張って(いただ)きたい』


 文面を見せると、ザッヘルは目を閉じ、薄い頬をこちらへ寄せた。


勘弁(かんべん)して。もういいの」


 すると彼は、少し気落ちしたように目を伏せた。


()れで、如何(どう)してこんな場所に』


「ええと、お湯を借りて……その……」


『迷ったのですか』


「そうなの……」


『針屋は広いですから、無理からぬ事です。現に、客人は頻繁(ひんぱん)に迷います。運悪く墨井戸(すみいど)に近寄ったら……』


 墨井戸(・・・)、というのは例のガラス張りの空間のことだろう。


「近寄ったら、どうなるの?」


(さい)が、素っ裸に()いて大道(たいどう)に置き去ります』


 それは……なんとも恐ろしい。


 けれど、なんだか妙だ。()と言われても、なんのことやら分からない。いや、書かれている字は分かるのだが……。


「細って、『針姐(はりねえ)』さんのこと?」


『ええ。細君(さいくん)の、細、です。見慣れぬ言葉でしたか』


 うーん……。そもそも、細君と書かれてもなんのことやら。


「ごめんなさい、さっぱり意味が分からないわ。細君って?」


 ザッヘルはやや躊躇(ためら)いがちに、ほんの少し(ほお)を赤らめて紙を見せた。


『愛する、妻の事です』


「妻……妻!? え、二人ってそういう関係だったの!?」


『そうです。細には、迷惑ばかり掛けていますから、今朝の通り、痛罵(つうば)頂戴(ちょうだい)するのです』


 痛罵を頂戴って……いくらなんでもへりくだりすぎではないだろうか。まあ、二人の関係性のことだからあれこれ言うつもりはないけど。


 ザッヘルはニコリと笑い、『では、座敷に戻りましょう』と見せて歩き出した。


 相変わらずの暗闇を、『煙宿』の男――つまりならず者と進む。なんだか怪しげな状況だ。ザッヘルは見る限りおだやかな人みたいだけど、油断していると厄介なことになるかも……。ひと(かわ)()けば、人間なんてどんな本性をしているか分からないものだ。


「それにしても、『針姐』さんって何者なの? 表には『針屋』って書かれてたけど」


『医者の(よう)な者です。針で身体を治すのですよ』


 針で治すなんて聞いたことがない。「それって身体に針を突き刺すってことかしら?」


『そうです。(さい)が言うには、身体には目に()えない流れがあるそうで、(とどこお)った箇所(かしょ)に針を刺す事で詰まりを取るのです。百聞(ひゃくぶん)は一見に()かず、是非(ぜひ)治療して貰うと(よろ)しいかと』


「興味はあるけど、遠慮(えんりょ)しておくわ」


 身体に針を刺すだなんて、なんだか信じられない。傷の()えない日々を送っていても、わけの分からない痛みには当然抵抗がある。


『そうですか。残念』そう見せた直後、ザッヘルはなにか思い出したように、すぐさらさらと書き()した。『そうそう、細は絵を売って(かせ)ぐ事もあります。近頃(ちかごろ)依頼が無いので忘れていましたが、それはもう、見事な作を描きますよ』


 絵か。


 ん? なんだか引っかかる。


 そういえば――。


毒食(どくじき)の魔女』の言葉が(よみがえ)る。(いわ)く――湿原の絵描きは、腕がいい。


「絵の話、もう少し詳しく聞かせて。――いえ、それよりも描いた物を見たいわ」


 もしや、『針姐』が湿原の絵描きなのだろうか。いや、でも、全然絵描きには見えない。


後程(のちほど)御目(おめ)に掛けましょう。今は駄目です。()らぬ誤解を生みますから』


「誤解って?」


 たずねても、ザッヘルは意味深に微笑むだけだった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『毒食(どくじき)の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照


・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる土地。正式名称はハルキゲニア地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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