398.「ぶつぶつ」
アリスが打倒ルイーザを目指して『魔女の湿原』に足を踏み入れたのなら、『煙宿』で情報収集するはず。その読みは当たったようだ。一瞬の後ろ姿だったが、見間違えるはずがない。
早く追わなきゃ見失ってしまう。入り口から遠い席に座ってしまったことが恨めしい。
「お嬢! どこ行くの!? 食い逃げだよ!!」
食い逃げ、という言葉に反応したのか、険しい顔をした給仕が立ちはだかる。
「銅貨一枚置いてきな。まさか、持ってないのか? こんな安食堂でタダ飯たぁ、ふてぇ女だ」
こんなことで立ち止まってる場合じゃないのに。
急いで布袋に手を突っ込み、硬貨の入った巾着を探る。ああ、もう。じれったい。指先で硬貨一枚を探り当てると、ろくに見もせず給仕に握らせた。
「ほら、これでいいでしょ。ごちそうさま!」
「あ、おい! これ金貨――」
「いいの! 引き止めないで!」
我ながらぞんざいな態度だったが、気にしている余裕なんてない。今は一刻も早くアリスを追わなければならないのだ。彼女と合流し、なんとか一緒にルイーザ討伐の算段を立てなければならない。もし彼女ひとりであの大魔術師に挑んだのなら、きっともう二度と会えなくなってしまう――。
『名無亭』を飛び出すと、相変わらずの人いきれが狭い道を覆っていた。
アリス、アリス、アリス――。
路地の先に、彼女の髪が一瞬見えた。今なら追いつける。
人ごみをかき分ける、というよりはほとんど強引に押しのけて進む。
「おい!」「痛っ!」「チッ」「コラッ!」
申し訳ないと思いながらも、いちいち足を止めて謝っていたら見失ってしまう。アリスの姿はとっくに路地の先に消えてしまっていた。おまけに路地は入り組んでおり、いくつも横道がある。追いつけると踏んだのだが、厄介極まりない。
――と、不意に威圧的な握力で肩を掴まれた。
「てめぇ! 誰にぶつかったか分かってんのか!!」
見ると、鬼のような形相をしたスーツ姿の大男が二人。そして、彼らに挟まれるようにして紫色の髪をした男が立っていた。
「離して! あとでいくらでも謝るから、今は――」
「誰が離すか! 喧嘩売ってんのかてめぇ!」
「……ごめんなさい!」
肩に置かれた手を強引に捻りあげると、もうひとりの大男に羽交い絞めにされた。大立ち回りはしたくないけれど、贅沢言っていられない。さっさとならず者から逃げてアリスを追わなきゃ。
一瞬脱力して見せると、男の両腕もそれに合わせてゆるんだ。その隙を見逃さず、鳩尾のあたりに肘を入れる。もうひとりの大男が拳を振り上げたので、避けつつ額に掌底を撃ち込み――。
駆けようとしたのだが、思わず足が止まってしまった。あたりには野次馬なのか知らないが、まるで路地を塞ぐように人だかりが出来ていたのだ。
直後、背中に強烈な重みを感じ、抵抗する間もなく地に伏した。
「なんだこの女……素人じゃねえな」
「ああ、油断するなよ。地面に貼り付けとけ」
二人分の荒い声が頭上でする。先ほどの大男が二人がかりで組み伏せているのだろう。さすがに身動きは出来ない。
あと少しだったのに……。今を逃せば、本当にもう会えなくなってしまうかもしれない。
そんなの、まっぴらだ――。
「アリス!!!!!」
声の限り、それこそ自分の鼓膜がおかしくなるほどの大声で彼女の名を呼んだ。届くかは分からないし、わたしの声だと気付いてくれるかも怪しい。けれど、今出来ることと言えば、精一杯叫ぶくらいしかないのだ。
目の前に、光沢の強い茶皮の靴が見えた。顔を上げると、ちょうど紫の髪の男が、しゃがんでこちらを覗き込んだところだった。
身体の線はシャープで、目付きも顔立ちも怜悧な印象。両耳に金の飾りを垂らしている。さっきはよく見ていなかったので分からなかったが、髪にはなにかつけているらしく、不自然なまでにカッチリと横に流されていた。
「見ない顔だ」
ぼそり、と男は言う。冷え切った声音。機嫌を損ねているのか、もともとそんな声質なのか……おそらく前者だろう。
男はなんの遠慮もせずにわたしの襟に触れた。「服も近隣地域のものではない。体術も並ではなかった。先ほど叫んだ名前……アリスか。自分の名を叫ぶような奴はいない。なるほど」
彼はこちらの返事や反応なんて度外視したひとり言を、ぶつぶつと続ける。「首の模様は……見たことがないな。帯剣しているが、抜く気配はない。プライドが高いのか……習慣の問題か……」
「ぶつかったことは謝るわ。ごめんなさい。でも、いきなり羽交い絞めにされたらびっくりして反撃しちゃうわ」
「話し方に妙な点はない……グレキランスの人間か、あるいは卓越した詐欺師か」
「ねえ……聞いてる?」
男は一切目を合わせない。ぶつかったわたしが悪いんだけど、妙な人に絡まれてしまった。
「黙ってろ女。レオン様に話しかけるな」と、取り巻きの大男が言う。
この妙な男はレオンというのか。それにしても、黙ってろだなんてひどい。
とはいえ、組み伏せられた状況で煽るほど無鉄砲ではない。アリスを追うのも厳しい。彼女に声が届いていればいいのだが……。
もやもやと焦りを抱えている間も、レオンはぶつぶつとひとり言を漏らしていた。背丈だの肌の質感だの、かなり失礼な言葉も含んで。
レオンも大男と同じくスーツを着てはいたが、造りが違った。全体的に光沢のある銀色のスーツで、淡いブルーの開襟シャツに、舌のように赤い格子縞のネクタイ。そして――全体的に整った魔力をまとっている。特に指先が顕著だ。魔術を日頃から使っている証拠だろう。大男よりも、よほど面倒な相手であることは間違いない。
「あ!!」と特徴的な明るい驚きが聴こえ、次の瞬間には、わたしの隣でココが地面に額を擦り付けていた。「お嬢が失礼しました! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「針屋の居候……ココ。金もなければ遠慮もない。頭の動きも鈍い。服飾の腕はいい」レオンの無遠慮な呟きがココにも向けられる。彼女に関してはレオンも分析済みと見えて、すでに知っている内容を繰り返している雰囲気があった。「身長百四十七センチメートル、体重――」
「あわわ! レオン様! 体重は勘弁してください! お酒の呑み過ぎで最近増えたみたいなので!!」
こんな状況でもココは明るい。しかしながら、女性の身体情報を道の真ん中で口にするなんてどういう神経をしているんだろう。
不意に、ぴたりと呟きがやんだ。そして彼の視線がわたしと交差する。
「アリスを探してる?」
はじめて、話しかけられた。
「え、ええ……アリスのことを知ってるの?」
レオンは無機的な動きでココに首を向けた。
「ココ……彼女に『煙宿』のしきたりは話した?」
「あ、はい! でもでもだって、ですよ、レオン様! お嬢は昨日ここに来たばかりで、あんまりルールが呑み込めてないのも――」
冷然とレオンが遮る。「『煙宿』で、アリスを探してる。見つけたらどうする?」
「アリスはわたしの……仲間なの。たまたまはぐれて、探してるだけよ。それのなにが悪いの?」
「不利益なものは、すべて悪い」
「じゃあ、なにが不利益なのよ。わたしが仲間を探すことであなたに迷惑がかかるの?」
「十六分五十秒前にぶつかったことは、迷惑だと思っていない。倫理観欠如。いや、猪突猛進。自己欺瞞が強い」
またぶつぶつがはじまった……。まったく、うんざりしてしまう。
「確かに、あなたにぶつかったことは本当に悪いと思ってるのよ。でも、こんなに長いこと女の子を地面に叩きつけてるんだから、おあいこじゃない?」
「暴力と制裁に釣り合いがあると考えている。視野が狭い」
……いい加減、ぶつぶつをやめてほしい。ちゃんと会話をしてくれないと、なにひとつ物事が前進しないではないか。それはココも承知していると見えて、ひと呼吸置いて口を挟んだ。
「どうか、この辺で勘弁してください! 『煙宿』のしきたりもよく言い聞かせておきますから!」
『しきたり』というのは例の『人探し厳禁』という点だろうか。それなら確かに、わたしは破ったことになる。
ココの言葉に納得したようには見えなかったが、レオンは前触れなく立ち上がった。そして、腕時計に視線を落とす。
「十九分三十二秒のロス」
それだけ言い捨てて、踵を返す。と、背を抑えていた重みが消えた。大男が彼のあとをいそいそと追うのが見える。
路地の人だかりは、彼が歩く先だけ綺麗に割れた。何者だか分からないけれど、ここでの地位は高いらしい。……そして、最低の性格をしている。
「さあ、行くよ」
額を汚したココが、わたしに手を差し伸べた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』参照
・『グレキランス』→クロエの一旦の目的地だった。通称『王都』。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




