395.「小指の先の謝罪劇」
思わず見とれてしまった。女は、黒地に青や金の花を散らした柄の、派手な服を着ていたのである。挑発的に開いた胸元のすぐ下を、これまた煌びやかな金糸をあしらった帯で留めている。袖はまるで魚のひれのような遊びがあり、裾はわずかに引きずる長さ。ドレス……とは違う。極端に長い上着を胸で交差させた妙な服だ。けれど、変ではない。
先ほどは服に意識を向ける余裕なんてなかったし、なにより距離があったので気付かなかった。こんな素敵な服を着ているなんて……。
男のほうは同じ造りの、紺一色の質素な服を着ている。彼もまた胸元をゆるく開いていた。なんだろう、『煙宿』独自の文化なんだろうか……。
女は唇をひと舐めし、壁にもたれかかった。
「ごめんなぁ、嬢ちゃん。ウチの阿呆が乱暴して」
ねっとりした独特の口調。そして、語尾が上がる妙なイントネーション。王都の生まれではないのかもしれない。服もそうだけど、あまりに馴染みがない。それにしても阿呆って……まあ、いきなり攻撃されたのは想定外だったけど。
男は瞼を閉じ、寝具の横に正座した。頭はつるつるだけど、やけに長い睫毛をしている。そして、あまり骨ばったところのない顔だ。……失礼だけど、卵に似ている。
この男も女も、なんだか色っぽい。肌は白いし、手もすらりと繊細だ。ヨハンほどではないにせよ痩身の彼が、わたしの意識を飛ばすほどの一撃を放ったことが信じられない。なにかカラクリがあるのだろうけど……。
彼は目を閉じたまま、すっ、と腕を、水平に伸ばした。
なんだろう。なにがはじまるのか。
彼の手足はいまだに妙な魔力をまとっていたが、武器を持ってはいない。手と足先だけ、魔術師じみた魔力がある。
ちらと彼の手のひらが見え、おや、と思った。なにか模様が描かれているのだ。くにゃくにゃした、文字のような模様である。どうも、それが魔力の源らしい。すると、足にも同じような模様があるのだろう。
腕を真っ直ぐ伸ばしたまま、男は動かない。そんな彼に呆れるように、女のため息が聴こえた。「ココ。おいで」
すると、廊下をパタパタと足音が駆け、やがて栗色のショートヘアをした女性が現れた。齢はわたしと同じくらいだろうか。派手な服ではなく、白の開襟シャツと踝までのズボン姿である。ぱっちりした目で部屋をきょろきょろ見回す彼女は、なんだか妹分といった雰囲気だ。
「針姐やん、呼んだ?」
「ああ、呼んださ。ほれ」と言って、華美な女――『針姐』と呼ばれた女は、電球頭を顎でしゃくって示した。「あの調子だから、いつもの持っといで」
栗色の髪をした女性――ココ、というのが名前だろう――は胸ポケットから一枚の布を取り出した。真っ白で、なんの柄もない。汚れてもいないし、かといって新品のような輝きはない。単なるハンカチだ。
ココは部屋の隅に駆け、子供用の椅子ほどの高さもない木の台を、せっせと部屋の真ん中に運んだ。それからパタパタと、廊下へ出て行く。
「あの、これは……?」
おそるおそるたずねると、『針姐』はうんざりしたように聞えよがしな舌打ちをした。「そこの阿呆が、嬢ちゃんらに謝りたいんやと」
男はさっきからひと言も口をきいていない。なのに心情が汲み取れるのは、付き合いが長いということだろうか。
ふと後ろを向くと、シンクレールがいつの間にやら起き上がっていた。そして、きょとんと男に目を向けている。なにがなにやら分からないのはお互い様か。なんにせよ、無事に目を覚ましてくれてよかった。
彼に声をかけようと口を開きかけたが、部屋に戻ったココに釘付けになってしまった。彼女はニコニコと嬉しそうな顔をしていたが、その手に持ったものは笑顔とかけ離れていたのである。
室内を照らす淡い光を反射して、ギラギラと輝く短刀。
呆気に取られているうちに、ココは男の小指にハンカチをくるくると巻き付けた。そしてすっかりハンカチに包まれた小指を、先ほどの台に乗せる。それからココは「よし!」と額を拭うと、わたしたちに向き直って凛と座った。
「これからご覧に入れますわぁ、世にも奇異なる見世物にございまするぅ~」
なよなよと演技じみた声を張り上げるココに、『針姐』が呆れ声を挟む。「見世物やなくて、謝罪やろ」
こほん、とココは咳払いをして、真っ直ぐに背を伸ばした。男は相変わらず微動だにせず腕を伸ばしている。軽く拳を握り、しかしハンカチを巻き付けた小指はピンと台に寝かせて。
「お嬢にお兄、ご照覧あれ! これは彼――ザッヘルの真摯なる謝罪であるぅ~! 執行人はワタクシ、ココさんであ~る」
執行人?
ぞわり、と嫌な予感がした直後――。
「どうぞ、小指一本分の痛みでお許しあれ!」
「待っ――!!」
止める暇さえなく……心臓が縮み上がった。ハンカチの巻かれた小指に、ストン、と綺麗に短刀が降りたのである。真っ二つなのは疑いない。
男――ザッヘルは一瞬目を大きく見開き、喘ぐように口を開けた。が、ひと言も声は漏れない。小指が切断されたというのに。
とんでもない場所に足を踏み入れてしまった、と戦慄するわたしを相手にせず、ココが短刀を持ち上げた。銀の刃は、綺麗な輝きを見せている。血の一滴すらついていない。
「え」
ごしごしと目を擦ってザッヘルの指を見たが、ハンカチには少しも血が滲んでいない。短刀で切断されたのは明らかなのに――。
「ご開帳~」とココはハンカチをするすると取る。すると、傷ひとつない男の指が露わになった。
「え、え?」
なにが起こっているのやら、さっぱり分からない。ただひとつ言えるのは、そのハンカチに細工がしてあるということだ。その布は、ぼんやりと魔力を帯びている。
「退屈だったかねぇ?」と『針姐』。
どうにも、言葉が素直に出てくれない。というより、なにを言っていいのやらさっぱり分からなかった。
ザッヘルはなぜか唐突に、深々と頭を下げた。まるで意味が分からない。なにか、たちの悪い魔物に洗脳されているみたいな情景だ。もしかするとわたしはいまだに眠りのなかにいて、雑で突拍子もない悪夢を見ているのかも……。
「あの、指……大丈夫ですか?」と、慎重にシンクレールがたずねる。
するとザッヘルは顔を上げ、疲れ切った笑みを浮かべた。
「なにがなんだか分からんやろ? ココの手品は地味なんよ」
「針姐やん! それはひどい! あたし傷付いたよ!? ぷんすかだよ!!」
両手をばたつかせて頬を膨らませるココ。ひらひらと片手であしらう『針姐』。そんな二人とは対照的に、ザッヘルの額には汗が浮いていた。
「なにがなにやらさっぱりですな。ご説明いただきたいものです」と、ヨハンはやけに神妙な口調で言う。目の前で巻き起こった一連の物事は、確かに警戒して当然である。
振り下ろされた短刀。切れたはずの小指。魔力の籠ったハンカチ。どれもこれも、ただの見世物にしては異様だ。
「大したことやないよ。わざわざ説明するもんでもない。肝心なのは――」言葉を呑み、『針姐』は、ザッヘルのそばへ寄った。そして彼の肩を担ぎ、ゆっくりと立たせる。「ウチの阿呆が、嬢ちゃんらに謝りたかったってことだけ。小指一本分、しっかり痛みは負ったさ。それで許してくれへんなら、この阿呆は腕だって切って見せるよ。今みたいにねぇ」
痛み。その言葉が引っかかる。確かにザッヘルは短刀が振り下ろされた瞬間、声さえ上げなかったものの、仰天と苦悶の入り混じった表情をしていた。
傷は残さず、痛みだけ与える。そんな魔具――あるいは、魔道具――にはお目にかかったことがない。
「さて、ウチらは休むよ。世間様の昼は、ウチらの夜やからねぇ」
「あの――」
「いいやないの。話なんてあとで仰山したるわ。今は寝かしておくれぇな。お喋りならココとおやりよ」
ぞんざいに言い捨てて、『針姐』は部屋を出ていった。残されたのは、先ほどザッヘルの指に躊躇いなく刃を振り下ろしたココだけである。
「お嬢、お兄……ザッヘルの旦那が随分と失礼を働いたようで……面目ない」と、彼女は先ほどとは打って変わった調子で膝を突き、深々と頭を下げる。堂に入った仕草だ。実はかなり礼儀正しい人なのかもしれない。
「い、いいのよ、別に。頭を上げて?」
「ありがたき幸せ」と言い置いて、ココはゆっくりと顔を上げた。そこには、にんまりと、悪戯っ子のような笑みが広がっている。「で、お嬢、お兄! ココちゃんのド派手なショーはどうだった!? ハイパーびっくりしたっしょ!?」
訂正。この子は礼儀正しくはない。演技が達者なだけだ。
『針姐』といいザッヘルといい、そしてココといい……とんでもない場所に来てしまった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




