393.「甘き煙の宿場町」
魔女の領域をひたすら北上していく。目的地は『魔女の湿原』――つまり、ルイーザのかつて住んでいた地である。今も彼女がそこにいるのかは分からなかったが、アリスもそこを目指して進んでいるはず。
「本当にアリスさんは湿原を目指しているんですかねぇ?」
すっかりもとの調子を取り戻したヨハンが言う。
「確証はないけど、方角は合ってるわ」
邸を出る間際のことを思い出す。先を急ぐわたしたちを呼び止め、ウィンストンがアリスの去った方角を教えてくれたのだ。いわく、草原を北へ直進したらしい。
地理に精通しているわけではないが、さすがに王都周辺のこととなれば頭に入っている。イフェイオンを北に直進すれば、行き当たるのは湿原だ。
「湿原か……」
呟いて、シンクレールはため息をもらす。単にじめじめした場所が嫌い、というわけではなさそうだった。
「気が進まないみたいね、シンクレール」
「そりゃあ、ね」
「ルイーザがいるから?」
「そうじゃないさ。……あの辺は、ほら……良くない人たちがいる」
言われて、得心した。なるほど、良くない人たちか。
「『煙宿』のこと?」
すると彼は、苦々しく頷いた。
魔女の湿原。それはあくまでも湿原一帯の呼び名だ。その地にはルイーザひとりが住んでいるわけではない。『煙宿』という宿場町があり、そこで寝起きする人々がいる。実態は知らないが、いい噂は聞いたことがない。
ふと、別れ際の魔女の言葉を思い出す。彼女は確か――。
『二つ、いいことを教えてやろう。大サービスだから、よく聞くんだよ』
そう前置きして、魔女は粘り気のある口調で、なんとも奇妙なことを告げたのである。
ひとつ。焦らず、目の前の仕事をこなしていくこと。
ふたつ。湿原の絵描きは腕がいい。
ひとつ目に関しては単なる人生論にも聴こえたが、魔女のことだ、そんなありきたりの意味では言っていないだろう。そしてふたつ目は、さっぱり意味不明だった。腕のいい絵描きとわたしたちとの間になんの関連があるのだろう。ましてやその絵描きが、ルイーザ討伐の役に立つなんて思えない。
そんな当たり前の反論はすべて呑み込んだ。どんな内容であろうとも、魔女の言葉にはそれなりの意味があるはずだ。
もしかすると、絵描きとやらは『煙宿』にいるのかもしれない。旅人であればいいけれど、そこで暮らす人だったら――とてもじゃないが助けになってくれるなんて思えなかった。
「なんです? その『煙宿』ってのは」と、欠伸交じりにヨハンがたずねる。
「王都から出ていったならず者たちの行き先よ」
王都の警備兵が手を出さないレベルの軽い罪人や、牢獄から解放された者。そんな連中が、ときおり王都を出ていくことがある。湿原へと続く門から、自分たちの理想郷を求めて……。
「ミイナさんみたいな人たちでしょうか」とヨハンは苦笑する。
「だったらいいけど、『煙宿』に関して明るい噂は聞かないわね」
「たとえば、どういった噂です?」
それからわたしは、知る限りのことを話した。王都の東に歓楽街が広がっていること。そこに、物騒な品を届けにくる男たちのこと。彼らが決まって、湿原の先からやってくること――。
「物騒な品とは?」
「……水蜜香って知ってるかしら? その材料になる植物が歓楽街から見つかることがあるの」
「ははぁ、あの 水蜜香ですか」
ヨハンは理解したふうに、ニヤニヤと頷いた。こういう黒い物事に関して、彼の理解力はずば抜けている。おそらく、ならず者と似た思考回路をしているに違いない。
水蜜香。ひとたびその香りを吸い込めば、甘ったるく、いい気分になれるんだとか。それだけなら別になんということはないのだが、中毒性が非常に高いようで、水蜜香を求めて家まで売った愚か者もいるらしい。そして、量を誤ると夢見心地から抜け出せないと言われている。現に、王都の路地裏にも、それらしき人はいた。周囲の声など聴こえておらず、とろりと焦点の合わない目で現実にはないものを見て、もつれた言葉をモゴモゴともらすのだ。
水蜜香のおおもとを知らないから、そうなるのである。あれはもともと微睡草という麻痺毒を持つ植物を刻んで干したものだ。それを燻したりすれば、どうなるかなんて明らかである。少しなら害はないと言う人もいたが、毒に適量なんてあってたまるもんか。到底理解出来ない。
「しかし、どうして取り締まらないのでしょう?」
ヨハンはわざとらしく言う。
まったく、ため息が絶えない。
「裏でこそこそ取引してるからよ。交易品に忍ばせたり、なにも知らない誰かを運び屋として使ったり……。王都だって、みんな裕福なわけじゃないわ。銀貨数枚握らせるだけで大喜びで悪人になるような奴もいる。それを全部取り締まるなんて、とてもじゃないけど手が足りないでしょうね」
「本当にそれだけでしょうか? たとえば、警備兵のポケットに思わぬ収入が入っていたり……」
「……あなたって、そんなことばっかり考えてるのね」
「お褒めに与り、光栄です」
「全然褒めてないわ」
彼はニヤニヤと、下卑た笑みを浮かべるばかりである。
とはいえ、ヨハンの邪推は否定できない。現に、ならず者どもと繋がりを持って職を失った警備兵もいる。きっとそれは、氷山の一角だろう。悪党はどこまでも根回しが上手い。身を守る手段くらい心得ているというわけだ。
摘発しようにも人員が足りず、なおかつ巧妙に立ち回られている以上、手出しは難しい。かといって壁の外にある『煙宿』を潰すことは出来ないのだ。
王都近郊の町は交易で成り立っている場所が多く、したがって交易制限なんかで脅すことは出来るだろうけど、『煙宿』は別だ。もともと正規のルートなんて使っていない。表面上交易は存在せず、独立した場所とされているのだ。だからこそ手を出せず、その理由でならず者が流れていく、といったロジックである。
いつだったか、王都からこっそり派遣されたスパイが、水蜜香中毒者となって帰ってきたっけ……。表沙汰にはならなかったけれど、騎士団には笑い話として伝わってきた。
「このまま進んだら、『煙宿』に行くことになるのかな……」
不安そうにシンクレールが呟く。
「……野営するよりはマシよ。気をしっかり持てばきっと大丈夫。それに、『煙宿』にアリスがいる可能性だってあるわ」
というより、そこでならず者とよろしくやっている光景が目に浮かぶ。きっと彼女なら、連中と上手く打ち解けるだろう。そして、湿原のどこかにいるであろうルイーザの情報を聞き出すに違いない。湿原には『煙宿』以外の町はないのだから。
「クロエ……なんだか君は騎士をやめてから、悪い人と付き合うようになったみたいだね」
「文句ならニコルに言って頂戴。それに、わたしは悪党と仲良くしてるつもりはないわ」
「あ、うん……」
『最果て』でふたつの盗賊団から信頼を勝ち取ったことは伏せておいた。余計にややこしくなるだけだ。それに、嘘を言ったつもりはない。ミイナもウォルターも、決して悪人ではないのだ。片や孤児を集めた疑似家族を維持するために盗賊をし、片やビジネスとしての夜間防衛を目指している。人間、一概には言えないのだ。
ともあれ、『煙宿』もそんなハートフルな側面があるかというと……かなり怪しい。噂を聞きすぎたのかもしれないけど、なかなか先入観を拭えそうにない。
「夜までに着くでしょうか?」とヨハンは何気なくこぼす。
実を言うと、あまり自信はない。そもそも『煙宿』の正しい位置を知ってるわけでもないし、ただただ北上しているだけの状況だ。それも、獣道くらいしかない草原を。
湿原に入れば、もっと方角が怪しくなるだろう。それでも、地図を頭に描いて進んでいくしかない。
終わりかけの夕暮れが名残惜しく大地を照らす頃、湿った空気が辺りに広がった。
魔女の湿原へ、足を踏み入れたのだ。
◆改稿
・2018/09/21 誤字修正。
◆参照
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『ウィンストン』→『毒食の魔女』の邸の執事。丁寧な口調の壮年男性。ジェニーとは犬猿の仲。昔から魔女の命を狙って暗殺を繰り返している。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『279.「物好きな主人」』参照
・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』参照
・『ミイナ』→アカツキ盗賊団のリーダー。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『ウォルター』→タソガレ盗賊団のボス。穏健派。元ボスであるジャックを心酔している。詳しくは『48.「ウォルター≒ジャック」』など参照
・『イフェイオン』→窪地の底に広がる豊かな町。王都に近く、特産品の『和音ブドウ』を交易の材としている。『毒食の魔女』によって魔物の被害から逃れているものの、住民一同、彼女を快く思っていない。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて




