389.「お出迎え」
ロジェールと別れてからは、往路と同じく道なき道を進んだ。崖を越え、寝苔で休み、山岳地帯をひたすら下って行き着いた先はイフェイオンである。
と言っても、町に入ることはなかった。窪地を遠回りに迂回し、目的の場所へとひたすら歩を進めた。
「今後のことは一旦休んでから考えましょう」とヨハンはしきりに口にし、わたしもシンクレールも異論なんてなかった。一度たどった道とはいえ、山岳地帯をひたすら進むのは疲労が溜まる一方である。
「……本当にまた行けるのかな」
目的地を目前にして、シンクレールがこぼす。彼の不安な気持ちも分からないでもない。けれど、わたしは確信していた。
「大丈夫よ、きっと」
テレジアの討伐を果たしたわたしたちが戻ることを、きっと彼女は知っているだろうから。
「おや」とヨハンが声を上げる。「相変わらずですねぇ、あの人は」
「ええ、本当に」
窪地から距離を置いた場所――草原に立って手を振るその姿を見て、思わず頬がゆるんだ。
「ジェニー! ただいま!」
手を振り返すと、魔女の召使い――ジェニーはぴょんぴょん跳ねながら両手を大きく振った。
「おかえりにゃー!!」
元気な声が、そよぐ下草の囁きに混じって届く。
魔女の邸で今後のプランを練る――そう結論付けて、はるばるこの地まで帰って来たのだ。もちろん、理由はそれだけではない。魔女の邸で修業に励むノックスと再会したかった。
こうしてジェニーが出迎えてくれることは期待通りだったが、やはり安堵してしまう。魔女の事情が変われば、黙殺されることだってありうるのだ。しかしながら、事情が変わるなんてことはちょっと想像出来ない。未来を視ることの出来る魔女にとって、想定外の事態などありえないだろうから。
ジェニーのもとまでたどり着くと――半ば予期してはいたが――熱烈なハグをされた。
「心配してたにゃ! 帰ってきてくれてありがとうにゃ!」
「ジェニーも元気そうでなによりね。また会えて嬉しい」
魔女の邸を出てからそれほど長い期間は経っていないはずだった。けれども、あまりに色々なことがあり過ぎた。こうして再会を懐かしむには充分過ぎるくらいに。
ジェニーはヨハンとシンクレールともハグを交わすと、ふにゃふにゃした笑顔で草原の先を指さす。「オヤブンが待ってるにゃ! ご案内するにゃ!」
意気揚々と歩くジェニーに導かれ、草原を行く。
やがて馴染み深い違和感が訪れた。魔女の領域に入ったのである。
これで、外界との無暗な接触はなくなった。絶対的な安全圏。そんなふうに思えたし、事実、魔女の空間に侵入出来るような存在はいないだろう。
たとえ安心してもいいくらいの時間が経っているとはいえ、これまでの道のりは人目を避け続ける必要があった。どこで顔を見られるか分かったものではないし、それこそ王都に関係の深い人物と出くわさないとも言い切れなかったのである。
肩の荷が少し降りた気がする。けれども、背負った荷物自体があまりに多い。
玄関口を抜けると、見知ったフロアが広がっており、なんだか落ち着いた。帰って来た、という実感が心に安らぎを与える。
「おかえりなさいませ、お三方」と、ウィンストンが出迎える。彼は相変わらず礼儀正しい。「ひとまず、ゲストルームまでご案内します。荷物を置きましたら、応接間までお越しください」
彼に案内されたのは、前回と同じ部屋だった。清潔かつ豪奢な部屋。ドレッサーもあれば洒落たテーブルもある。ベッドのシーツには皴ひとつない。これもやはり、魔女の計らいだろう。来ると知っていたからこそ、事前にすべての準備を整えたのだ。
なにからなにまで先回りして、粛々と歓待する。その小まめさを態度に表さないのだから、大したものだ。
荷ほどきもそこそこに部屋を出ると、ちょうどヨハンとシンクレールも廊下に姿を現した。
「まるで僕たちが来ることを知ってたみたいだね」とシンクレールは苦笑する。
「みたい、じゃなくて、知ってるのよ。これから先のことまで全部。それを教えてくれるかどうかは彼女次第だけれど」
「そっか……ありがたいね」
そう口にしたシンクレールはまるで、『敵わない』と言っているように見えた。
応接間にはジェニーの姿があった。彼女は扉の横にニコニコと立っている。テーブルの上には和音ブドウが皿いっぱいに盛られている。きっと用意するよう、魔女に指示されていたのだろう。
ソファに腰掛けると、遠くから甲高い靴音がした。その歩調はいかにも優雅で、余裕たっぷりに聴こえる。その靴音を耳にするだけでも、なんだか気持ちがしっとりと整った。
やがて、豪壮な宝石をちりばめた黒のドレス姿の魔女が現れた。
「よく帰ってきたねェ、ろくでなしども」
彼女はカツカツとヒールを鳴らしてわたしたちの向かいに腰を下ろすや否や、そう切り出した。言葉に反して、口調に不快なところはひとつもなく、却って上機嫌そうに見える。
「おかげさまで」と笑いかける。
魔女は口の端を持ち上げた。そしてブドウをひと粒もぎって口に運ぶ。ポォン、と気持ち良い音が応接間に反響した。
「くつろぐといいさァ。あんたたちはゲストなんだからねェ」
するとヨハンが真っ先にブドウへ手を伸ばした。「では、失敬して」
魔女は不快そうに眉をひそめたが、なにも言葉を加えない。ヨハンへの嫌悪感は相変わらずの様子だ。
ヨハンに倣って、わたしもシンクレールも和音ブドウを口にする。軽快な音の粒が空間を彩った。
和音ブドウは瑞々しく、その爽やかな酸味もありがたい。『高山蜂の巣』の甘味とは、ベクトルの違う良さがある。
こうして変わらないものを前にすると、歯車が合うように心が整う。それはつまり――キュラスでの一件がどれだけ影を落としていたかを示していた。精神的に乱れがあったのは確かだし、もっと言えば、今でも落ち着きを完全に取り戻せたわけではない。あくまでも少しずつ、普段の思考や冷静さに戻していくのだ。それは自分自身で制御出来ない、繊細で微妙な物事なのだと思う。
しかしながら、落ち着きを取り戻すばかりではいられない。この場にいない彼のことが、さっきから気になって仕方ないのだ。
「……ノックスの調子はどう?」
「直球だねェ、お嬢ちゃんは。前置きもなにもあったもんじゃない」魔女はクスクスと笑いを漏らす。「順調かどうかは、自分の目で確かめるといいさァ。進みが遅いか早いかなんてあたしの知ったことじゃないからねェ」
「今はどこに?」
「さあねェ……どこかで本の虫になってるんじゃないかい? まぁ、焦らずともいいさァ。じきウィンストンが連れてくる」
本の虫か。すると、魔女の図書室に籠っているのだろう。
「誰かさんを見習って読書ですか」とヨハンが茶々を入れる。
「どうせ本の虫ですよ」と拗ねて見せると、シンクレールが隣で噴き出した。まったく……。
「和やかなのはいいけどねェ、話すことがあるんじゃないのかい?」魔女は咳払いをひとつして、不敵に笑む。「『教祖』はどうだった?」
しん、と沈黙が広がる。なにか言わなければ、と口を開きかけたものの、なかなか言葉が出てこない。
やがてヨハンが静寂を裂いた。
「ご想像の通りですよ。人格についてアレコレ言うつもりはありません。いずれにせよ、故人ですから」
「それだけで済まそうとしてるのかい、ペテン師。なにを見てなにを知ったか、全部話してもらおうじゃないかァ。それがあんたたちの宿代だよ」
ヨハンは肩を竦め、それから順を追って語った。
ロジェールとの出会い。『救世隊』との遭遇。魔物に関する事実。そして、オブライエンを交えた二度目の来訪で『噛砕王』とテレジアを討ち取ったこと……。
魔女は口を挟むことなく、じっと彼の言葉に聴き入っていた。
「――とまあ、こんな具合です」
ヨハンがそう締め括っても、彼女は沈黙したままだった。
一分経ち、二分経ち、それからやっと魔女の唇がゆらめく。じっくりと、確認するように。
「キュラスから出たのは、そのロジェ――まぁ、名前なんてどうだっていいさねェ。その気球の男と、ピンクの男女、それから、あんたたちだけってことかい。オブライエンと魔具職人の行方は知れず」
「ええ、そうよ」
それから魔女は、珍しく考え込むように口元に手を当てた。「色々と経験出来たわけだねェ」
そう、あまりに多くのことを経験した。絶望も、克己も、信頼も、自己嫌悪も。魔女がなにを考えているのかは分からないが、この経験が今後の道を曇らせないことを祈るばかりだ。まあ、そんなつもりは毛頭ないけれど。
それから魔女は気を取り直すようにブドウを口にすると、口角を上げた。
「あんたたちに色々あったように、こっちも面倒事があってねェ……まァ、それはあとで話そうか。物事には順序があるからさァ。今は――」言葉を切り、彼女は扉へと視線を移した。「あの子が先さァ」
三度のノックののち、ドアが開け放たれた。まずウィンストンが姿を現し、その後ろには――。
ああ、と息が漏れる。久しぶりに目にしたノックスの姿は、どこか大人びて見えた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ノックス』→クロエとともに『最果て』を旅した少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。現在は魔女の邸で魔術修行をしている
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『ジェニー』→『毒食の魔女』の邸にメイドとして住み込む少女。愛嬌たっぷりで天真爛漫。語尾に「にゃ」を付けて喋る。『ケットシー』と呼ばれる獣人の一種。興奮すると耳と尻尾が出てしまう。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『ウィンストン』→『毒食の魔女』の邸の執事。丁寧な口調の壮年男性。ジェニーとは犬猿の仲。昔から魔女の命を狙って暗殺を繰り返している。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『279.「物好きな主人」』参照
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。魔王の血を受けており、死後、『黒の血族』として第二の生命を得たが、クロエに討伐された。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて
・『噛砕王』→別名『育ちすぎた魔猿』。『黒の血族』だが、ろくに言葉を扱えず、粗暴な性格。人里離れた場所を好む。毛むくじゃらの巨体が特徴。テレジアに拾われ、頂の街キュラスで青年ハルツとして暮らしていた。ロジェールに撃たれ、絶命。詳しくは『294.「魔猿の王様」』『362.「破壊の渦」』にて
・『ピンクの男女』→ここでは、マドレーヌのことを指す。炎の魔術を得意とする、『救世隊』の魔術師。性別は男性だが、女性の格好をし、女性の言葉を使う。シンクレールに惚れていたが、彼に敗北した。テレジアの死によって、彼女の教義を伝える旅に出る。詳しくは『317.「マドレーヌ」』にて
・『ロジェール』→キュラス付近の山岳地帯にひとりで住む青年。空を飛ぶことに憧れを抱き、気球を完成させた。テレジアの幼馴染であり、元々はキュラスの住民。『救世隊』の一員だった。詳しくは『298.「夢の浮力で」』『347.「収穫時」』『349.「生まれたての太陽の下に」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。記憶喪失。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。キュラスで姿を見失って以来、行方不明。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』にて
・『寝苔』→別名『森のベッド』。麻痺毒を持った植物だが、口にしなければ害はない。毒のおかげか、獣が立ち寄ることもないので絶好の休憩場所。詳しくは『293.「森のベッド ~低反発~」』にて
・『高山蜂』→標高の高い地域に生息する蜂。針には毒がある。崖に巣を作る。巣は甘く、食料として高値で取引されている。詳しくは『300.「幸せな甘さ」』『303.「夜の山道」』にて
・『救世隊』→キュラスの宗教団体の幹部のこと。街の夜間防衛を担う存在
・『魔物に関する事実』→すべての魔物が、元は人間だったという内容。詳しくは『336.「旅路の果てに」』にて
・『和音ブドウ』→イフェイオンの特産品。皮から果肉を出す際に独特の音が鳴ることから名付けられた。詳しくは『230.「和音ブドウと夜の守護」』にて
・『魔女の図書室』→『毒食の魔女』の個人的な蔵書を集めた部屋。他種族に関する内容がほとんどであり、小人の歴史書も蔵している。詳しくは『285.「魔女の書架」』にて
・『イフェイオン』→窪地の底に広がる豊かな町。王都に近く、特産品の『和音ブドウ』を交易の材としている。『毒食の魔女』によって魔物の被害から逃れているものの、住民一同、彼女を快く思っていない。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。一度魔物に滅ぼされている




