幕間.「王都グレキランス ~曇天の霹靂~」
その日は曇っていた。
騎士団が謹慎を言い渡されて数週間。職務復帰の日を待ち望んでいた騎士団長ゼールにとって、それだけの時間が過ぎたことは苦痛以外の何物でもなかった。内地を守っていた近衛兵に、過酷な夜間戦闘を乗り切れるとは思っていなかったのである。早晩、騎士団が本来の仕事に返り咲くことと確信していた。それほどに、魔物との戦いは激しいのだ。
何年もかけて築いてきた地盤――見習い育成法、魔具や魔術の適切な用法、魔物退治のために徹底されたルール。今の騎士団があるのは、泥を啜り、血を流し、それでも前を向いた結果だとゼールは信じていた。また、事実としても彼の認識に間違いはない。騎士団の歩みは、それ自体が、魔物撃退のために磨かれた知と武の集積である。そんな歴史を嘲笑うかのように、近衛兵の夜間防衛は順調だった。
ゼールはよほど、ひと目を忍んで彼らの戦闘を見に行こうかと思ったくらいだ。しかし、それは禁じられている。騎士の夜間外出は重罪として言い渡されていたのだ。当然、ゼールも例外ではない。警備兵に見つかろうものなら謹慎どころでは済まないことも、彼は理解していた。ましてや団長の立場でこれ以上の罪を重ねようものなら、騎士団の解体は免れない。
ゼールはこの数週間、歯痒い思いで書類整理に時間を費やしていた。すっかり整理された書類をいちいち引っ張り出しては検分し、また同じところに戻す。およそ馬鹿げた仕事ではあったが、『騎士団』の要素に触れていなければ気が済まなかったのだ。
悔しいことこの上ないが、訓練もすべて禁止されていた。見習い育成や鍛錬も騎士団の仕事である以上それも禁ずる、というのが近衛兵側の言い分である。抗議しようにも、『王子が決定したことである』と言われれば逆らえない。
かくしてゼールは、数週間の無為な日々を過ごしたのである。それも、たったひとり、騎士団本部で。
本部にはナンバー持ちの騎士や見習いの部屋があったが、それも今は錠がかけられていた。『あらぬ嫌疑をかけられたくなければ、集団生活は慎むといい』とは、近衛兵の言である。馬鹿げた謹慎を長引かせないためには、大人しく従うしかない。幸い、騎士団本部はあくまでも仮住まいであり、騎士たちはほかに自宅を持っている。宿無しのメンバーを作らずに済んだことに、ひとまずゼールは安堵したものだ。
たずねる者のいない団長室で、彼は机に向かっていた。手記でも綴ろうと思ったが、一向に筆は乗らず、気が付けば対大型魔物用の陣形や、機動力を活かした作戦などを、つらつらと書いている。やがてその虚しさに気付き、ため息をこぼした。
「間もなく」
呟きが、部屋に広がる。間もなく、騎士団は役目を取り戻す。そう言おうとしたのだが、頭しか声にならなかった。
ゼールは部屋をぐるりと見回し、もう何度目かも分からないため息をついた。鷹の意匠ばかりの室内が、なんとも皮肉に思える。
空を駆け、射る如く獲物を狩るのが鷹である。空の深みで凱歌を唄うのが鷹である。地をぺたぺたと歩く鷹に、どれほどの価値があろう。そんな空虚な考えが浮かび、ゼールはひとり苦笑した。
そんな具合に時間を過ごしていると、前触れなく、本部の扉が開くのが分かった。ゼールは居住まいを正し、じっと、何者かの足取りに意識を集中させる。
足は無人の受付を通り過ぎ、ナンバー持ちの部屋を通り抜け、中庭兼訓練場を見渡せる回廊を越え、本部の奥へと進む。歩調は緩慢。軽装ではあるが、民間の服ではない。肘当て、膝当て、腰には剣、下には帷子。
静寂に覆われた室内で、ゼールはそれだけのことを読み取った。そして、相手が団長室に近付くにつれ、性格までもすっかり把握してしまった。自己愛の強い、プライド至上主義の男。ゼールにとって思い当たる人間が、近衛兵に何人かいた。
男はノックなしに団長室を開け放ち、大股で室内に入った。
「具合はどうかな? ゼールさん」
赤の長い前髪を、ツン、と頂点で固めたヘアスタイル。襟に格子状の飾りが付いた上着。藍のズボンをゆるく着崩し、襞の多い黄土色のブーツを履いている。腰に下げた鞘は、惜しみない金の飾りが散らしてあった。
ゼールは彼を見るたび、残念な気持ちに駆られる。典型的な『強者にへつらい、弱者を足蹴にする』人間だからだ。顔に浮かんだ軽薄な笑みも、尊大な歩調も、性格が滲み出ている。
「上々ですよ、ジェインさん」
ゼールは心情が口調に表れないよう、気を遣って言葉を紡いだ。結果、平凡な声になってしまったので、ジェインと呼ばれた赤髪の男は、不満そうに小さく舌打ちをした。ジェインとしては、相手が不快感を示せば示すほど愉しいのである。
「元気そうでなにより」
「それで、今日はどういった用件でしょう?」
いかに孤独を味わっていても、ゼールにはゼールの誇りがある。近衛兵の実質的なナンバー2――夜間防衛の指揮を任されている男に、長居してほしくはなかった。
ジェインは手に持った巻紙を、ぞんざいに机へ放る。その顔には薄っすらと笑みが浮かんでいた。
「王様からのお手紙だ。今から城へ来るように、ってな」
令状を勝手に読んだのか、とゼールは落胆しながら、深紅の括り紐をほどいていく。やけにきつく結ばれているのが、ジェインによるつまらない悪戯であることもすっかり見抜いていた。
令状をくるくると開くと、そこには『受け取り次第、即刻城へ向かう様。 現王 ゼフォン』とだけ記されていた。
現王、という響きにため息が漏れそうになったが、ゼールはなんとかこらえた。どんな些細な仕草でも、ジェインに見られたら面倒事になる予感があったのだ。
「確かに、受け取りました。ご足労ありがとうございます」
ゼールが令状を巻き直して一礼すると、ジェインは退屈そうに一度だけ部屋を見回し、踵を返した。
扉へと向かった足が、不意に止まる。
「随分と気楽な仕事だな、夜間防衛ってのは。我々近衛兵はいまだに負傷者すらいないぞ」
人を地獄に突き落とすのは、往々にして、嘘よりも真実のほうである。ゼールは、ジェインの捨て台詞を事実だと看破した。そして、胃の底が冷えていく感覚をたっぷり味わったのである。
近衛兵にそれだけの実力があるのではなく、魔物が極端に減っているのだろうとゼールは理解した。魔王が討たれた今、魔物が減少するのは道理である。それ自体は喜ぶべきことだが、ゼールは決して楽観視出来なかった。ニコルの凱旋後も、数こそ減ったが、強力な魔物は出現し続けていたのである。無傷で切り抜けられた夜のほうが少ない。それが今、近衛兵が気楽に夜を凌いでいるとなると――。
魔物同士が手を取り、示し合わせ、力を蓄えている。そんなイメージが、ゼールの頭にこびりついて離れなかった。
王城へ向かう途上、ゼールは背を伸ばし、凛と歩き続けた。ときおり罵倒が響き、ゴミが顔に当たることもあったが、努めて冷静だった。夜間防衛で仲間を失う苦しみに比べれば、罵倒など彼にとっては些細なものである。それに、王都民の苦しみもよく理解していた。王が病床に伏せ、不安と怒りを持て余している。彼らに必要なのは感情の矛先であり、そして、真に安堵出来る環境だ。王子がそれを作り上げるのなら、ゼールとしては、喜んで礎となるつもりである。ただ、そのために騎士団の戦力が活かされないことは、当然、哀しいものだった。
玉座には、王子ゼフォンが腰かけていた。王冠を戴き、煌びやかな、丈の長い服を召している。
彼の背後には漆黒の鎧――スヴェルが佇んでいた。相変わらずの巨躯を、ゼールは無感情に一瞥する。漆黒の兜はすっぽり顔を覆っており、表情ひとつ分からない。
ゼールが跪くと、王子はしばらく黙って、その姿を眺めていた。
「顔を上げていいよ」と声がかかり、ゼールは粛々と王子を見上げる。
王子の顔は、やけににこやかだった。
「今日は、君に良い報せがある」
「はい」
「僕はあれから、ずっと考えていたのさ。せっかくの戦力を腐らせるのは勿体ないんじゃないか、ってね」
戦力。その一語が騎士団を示していると察したゼールは、じっと次の言葉を待った。夜間防衛復帰だろうか。それとも、内地での職務だろうか。いずれにせよ、謹慎状態が続くようでは騎士団に未来はない。たとえ罵倒の渦に呑まれても、徐々に認められるだけの働きをしなければならないのだ。
「けれど、今まで通りの仕事を与えるんじゃ、民が納得しないのさ。裏切り者に背中を預けたくないからね」
「……はい」
「これはジレンマだよ。僕は何日も悩んで悩んで、悩み抜いた。そして、見つけたのさ。君たちにぴったりの仕事をね。民も納得する。いや、それどころか感謝するよ。戦力だって無駄にはならない」
今の王都民が、騎士団に感謝することなどあるだろうか。王子の言葉はゼールにとって、あまりに不可解なものだった。だが、騎士団として、職務に復帰することがなにより重要である。
ゼールは珍しく緊張して、王子の言葉を待った。
たっぷり二分ほど沈黙し、ようやくその口が薄く開く。王子は、さながら祝辞のように告げた。
「君たちに、魔物討伐任務を与えよう。王都は近衛兵が守っているから、それよりずっと離れた地域の魔物を倒すんだよ。もちろん、無期限さ。近衛兵や警備兵が君たちを見かけたら、任務放棄とみなして捕縛しちゃうかもね」
ゼールはこのとき、自分がどんな表情をしたのかまったく覚えていない。声が出せず、頭が真っ白になり、震えつつある身体を必死に抑えていたことだけが、のちのちまではっきりしていた。
肯定する旨の返事をし、気が付けば本部に帰っていたように思う。ほかに記憶に残っていることと言えば、帰路、見上げた空の不吉な模様だけ。
その日は、曇っていた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ゼール』→騎士団長。王都の騎士を統括する存在。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『第九話「王都グレキランス」』『幕間.「王都グレキランス~騎士の役割~」』にて
・『ゼフォン』→グレキランスの王子。メフィストによって王が射られたことにより、王位を継いだ。旧態依然とした価値観を嫌い、真偽師や騎士を信用していない。
・『スヴェル』→ニコルと共に旅をしたメンバー。王の側近であり、近衛兵の指揮官。『王の盾』の異名をとる戦士。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『王城』~」』にて
・『近衛兵』→グレキランスの王城および王を守護する兵隊
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




