386.「6 → 5」
何度か夢を見た気がする。しかしながら、どれも漠然と『夢を見た』感覚が残る程度のものだった。多少なりとも覚えていることといえば、なにか、自分自身と対話していたような……。
ニコルに扮した男は、あれきり登場しなかったことだけははっきりしている。あんな夢をもう一度見たのなら、きっと不快感が強くこびりつくだろうから。
目が覚めて、何度かまばたきをして、けれども気怠さに耐えきれず、再び暗闇に落ちていく。その繰り返しだった。あまり時間が経っていないような気がしたのだが、夢うつつのことではっきりとはしない。
わたしが比較的しっかりと目を覚ますと、あたりは真っ暗だった。しょぼしょぼと滲む視界を周囲に向ける。わたしはいまだに、廃墟の一室にいるようだった。シンクレールもヨハンも、そしてロジェールさえいない。どこへ行ったんだろう、寂しいな、とぼんやり思って、すぐに気が付いた。きっと夜間防衛に行っているのだろう。寂しいだなんて……騎士らしからぬ感情だ。
そこまで思って、急に、すっ、と気持ちが冷えていった。そうだ、わたしはもう騎士じゃない。今や騎士とは遠く離れた存在だ。死者。あるいは、裏切り者。あるいは、王都の敵……。
起き上がると、頭がぐらついた。けれども、これ以上のんびり寝ているわけにはいかない。それに、頭がはっきりした今、とてもじゃないが眠りに就ける精神状態にはなかった。
目をぎゅっとつむり、額に手を添える。
考えることが山ほどある。そして、振り返らなきゃならないことが。
深く息を吸い、長く吐き出す。そして、廃屋をあとにした。
腰を下ろすと、下草がちくちくと肌を刺した。なだらかな下り坂の先には、崖が広がっている。魔物の気配はなく、おだやかで静かな夜。まるでこのひとときすら、テレジアが誂えたように思えてならない。
わたしは、落ちた橋の名残から、目を離せずにいた。
くよくよするのは好きじゃないし、意味がないことぐらいよく知ってる。けれど、多分、こうして物事を振り返るのは必要なんじゃないか。自分のしたことを顧みずに進んでいけるなら幸せだろうけど、なんだか無責任だ。
橋の残骸を見つめながらも、頭に浮かぶのはテレジアの顔だった。柔らかい微笑みはやがて安らかな無表情となり、それを土が覆っていく。
テレジアは討たねばならなかった。しかし、彼女が正真正銘の善人だったことも事実である。キュラスに住む生命のため、最期の瞬間まで尽力したのだ。
彼女の死を嘆くのは、あまりにも卑怯な気がする。けれど、涙が自然と頬を濡らした。それは、テレジアに対してだけではない。
わたしは、我を忘れて住民を切り伏せた。いくつもの命を奪った。たとえそうするしかないとしても、また、彼らが本来魔物であり夜にはその姿に変わるとしても、簡単には振り切れる出来事ではない。
彼らの目に、わたしはどう映っただろう。
見上げると、やけにのっぺりとした月が浮かんでいた。他人事のような色合いで。
ふと、ハルキゲニアのことを思い出し、無意識に両手で顔を覆ってしまった。もしかしたらわたしは――。
不意に足音がした。ざくざくと下草を踏みながら、どんどん近付いてくる。それでも、顔を上げる気にはなれなかった。それどころか顔を見られたくなくて、膝に額をくっつける。
やがて足音の持ち主は、隣に腰を下ろした。そして、ただただ沈黙している。身じろぎひとつせず。そんなふうに、こっちの心まで察して黙っていられる奴なんて、ひとりしか知らない。
「なにか言ってよ、ヨハン」
「……良い夜ですね」
「……どこが?」
「静かな夜は良いものです」
「……魔物は?」
「出ないようですね。それに、彼らもどこかへ去っていきました。わたしたちには目もくれず、崖を飛び越えて」
不思議なことではなかった。むしろ、当然だと思う。住民たちは敬虔なのだ。テレジアの言葉を真っ直ぐに受け取り、彼女の面影と数々の思い出を胸に生きていく。たとえ魔物だからといって、心の動きが変わるわけではないだろう。
そのほかの魔物が出ないのも、やはり、住民の影響が大きいのだろう。崖の先はどうなのか分からないが、キュラスは『魔物の巣』と呼んでもいい状態にあった。ハルツがいて、彼を取り巻くギボンが生きる地。軽率に手を出せる場所ではない。
「具合はいかがです?」
唐突にヨハンがたずねる。それも、軽やかに。彼なりの心遣いなんだろう。今は、優しくされたらその分だけ苦しくなる。それを分かってるからこそ、なんでもないことのように聞くのだ。
「身体は、大丈夫」
テレジアとハルツ。二人との戦いで負った傷は完治していないだろうけど、少なくとも、出発出来る程度にはよくなっていた。ぐっすり眠ったおかげだ。
ヨハンは応えなかった。わたしもわたしで、ずっと顔を膝に埋めている。風に撫でられた下草が、さわさわとおだやかな寝息を立てていた。
不意に、ぱさりと、肩口になにかがかかった。古ぼけた匂いが鼻に届く。
「落ち込んだお嬢さんは、コート掛けにちょうどいい」
「……なにそれ」
「言葉通りです」
なにが言葉通りなのやら……。
労りが心に沁みて、その分だけ自分自身のどうしようもなさが引き立つように感じた。
「ヨハン」
「なんです?」
呼びかけたはいいものの、言葉が出てこない。言わなきゃならないことははっきりしてるのに、どうしても喉の奥をつかえて出てきてくれない。
ヨハンは急かすことなく、ただただ黙っていた。彼の顔は月光を浴びて、ますます骸骨じみた様相を呈していることだろう。
「わたしは……」やっとのことで、口を開く。「わたしは、キュラスに住む人を斬った。無力だと知っていたのに、それでも斬った」
「そうですか」
「自分を失って、ひたすら斬った……。テレジアが住民を下げるまで、ずっと」
「……はい」
「ねえ、ヨハン。わたしはキュラスを壊したのよ。住む場所と、無力な命と、大切な『教祖』を、全部奪ったの」
「しかし、そうするしかなかった」
「……うん」
正論だ。わたしたちがニコルへと至るためには、彼の協力者を討たなければならない。それがテレジアだったというだけのこと。そんなことくらい百も承知だ。それでも――。
「……ヨハン」
呼びかけて、顔を上げた。目はきっと真っ赤だろうけど、そんなことどうでもいい。ある直感が胸のなかで渦を巻いて、出口を求めているのだ。
「今のわたしは、きっと――ビクターに似てる」
ハルキゲニアのことを思い出してから、深く胸に突き刺さった気付きだった。都市を支配して人々を苦しめた最低の科学者。そんな彼とわたしには、どれほどの違いがあるのだろう。
『未来のため』に人を実験台にしたビクター。
『王都を守る』と称してキュラスを壊滅させたわたし。
ヨハンはしばし無表情でわたしを見つめていたが、やがてゆっくりと首を振って否定した。
「違います。お嬢さんはビクターとは似ても似つかない。考えすぎですよ。第一、わたしたちは自分の快楽のために動いているわけではありません。ニコルさんの討伐を大義名分にして暴力を愉しんでいるのなら、こうして黄昏れることもないでしょうし」
「でも――」
「いいですか、お嬢さん。あなたは今、事実を整理出来ていないだけです。私たちは、いたずらに命を奪っているわけではありません」
ヨハンは言葉を切り、ほんの少しだけ笑った。
「私は、少し安心しているんですよ。キュラスに気球で入ったとき、お嬢さんは私の胸倉を掴んだでしょう? すごい剣幕でしたよ、本当に。……お嬢さんはあれでいいのです。道義的に間違っていることには、とことん噛みつくべきですし、自分がそうしなければならないときは、迷いながらも実行するでしょう。ここでの戦いのように、ね。……そのあとで、ちゃんと落ち込んでいる。私には真似出来ないことでさぁ……。美徳だとは思いませんが、お嬢さんはそのままでいてほしいものです」
「ずっと悩んで、苦しんで……そういうこと?」
「そうです。しかし――」
言って、彼は手を伸ばした。その指先がどんどんこちらに迫る。
「――痛っ!」
ピン、と額を弾かれた。あまりに唐突で、脈絡がない。
「しかし、足を止めてはいけません。迷いながら歩くんです。必要とあらば、背負ってでも進ませます。あなたが叫んでも、決してやめさせません。……私が裏切ったあの晩のように、お嬢さんは途轍もない悔しさと痛みを抱えながら、それでも目的を忘れないで進むんです」
目尻を拭った。油断していると、涙が溢れそうになる。
ひとしきり真剣な表情で語ったヨハンだったが、相好を崩して、こう締めくくった。「なに、卑劣なことは全部私にお任せを。お嬢さんはどうか、お嬢さんであり続けてください」
「そういう言い方だと、なんだかわたしが黒幕みたいじゃない」
「おや、違いましたか? 私たちの大将はお嬢さんだと思っていましたが」
「そうかもしれないけど、別に、上下関係なんてないわ。……シンクレールもあなたも、対等な仲間よ」
「嬉しいですねぇ、ようやく仲間だと思ってくれましたか」
「ほんのちょっとだけよ」
「ま、それでも結構。なんにせよ、これでようやく一歩進んだわけです。それなりの傷を負いましたが、大きな一歩をね」
「……うん」
悩むべきだし、苦しむべきだ。それでも足を止めなければいい。わたし自身理解していたことではあったけれど、改めて言われると随分助けになる。
大きな一歩、か。傷だらけの足でなんとか踏みしめた一歩だけれど、確実にニコルに近付いている。
勇者一行。六人のうちの一人。『教祖』テレジアを、なんとか討ったのだから。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。魔王の血を受けており、死後、『黒の血族』として第二の生命を得たが、クロエに討伐された。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて
・『ハルツ』→キュラスに暮らす大男。純朴な性格。自分を拾ってくれたテレジアを心の底から信頼している。『黒の血族』のひとりであり、『噛砕王』の名を持つ。ロジェールにトドメを刺され、絶命。詳しくは『313.「あまりに素直で不器用な長話」』『362.「破壊の渦」』にて
・『ロジェール』→キュラス付近の山岳地帯にひとりで住む青年。空を飛ぶことに憧れを抱き、気球を完成させた。テレジアの幼馴染であり、元々はキュラスの住民。『救世隊』の一員だった。詳しくは『298.「夢の浮力で」』『347.「収穫時」』『349.「生まれたての太陽の下に」』にて
・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。故人。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』『Side Johann.「跳梁跋扈の朝月夜」』にて
・『魔物の巣』→主に、魔物の牛耳る地を指す。定義としては曖昧で、昼間でも魔物が姿を消さない場所や、ひとつの種が支配している場所や、逆にあらゆる種が雑多に出現する場所も『魔物の巣』とされる。『61.「カエル男を追って~魔物の巣~」』にて
・『ギボン』→別名『魔猿』。毛むくじゃらの姿をした人型魔物。森に出現する。詳しくは『294.「魔猿の王様」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。一度魔物に滅ぼされている
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて




