384.「細雨の葬列」
どのくらいの時間、静寂が広がっていたのか分からない。気が付くと、空は黒雲に覆われていた。
今にも振り出しそうな雨に先立って、雨だれのような泣き声が静寂を裂いた。それからは呼応するように、住民の慟哭が響き渡ったのである。まるで唱歌のように。
テレジアの言葉が頭をめぐる。最期に使ったのは、交信魔術だろう。絶命と同時に発動されるように計算された魔術……。わたしと対峙した瞬間には、すでにそれを用意していたように思えてならない。ロジェールに打ち抜かれたときは、即死だったのだろう。展開することすら出来なかったわけだ。
最期の最期、テレジアはわたしを諦めて、ほんのわずかに残った力を住民に対して使ったのである。それも……『敵を愛せ』とまで言ったのだ。最期の交信魔術で住民をけしかければ、わたしたちをどうにかすることだって出来ただろう。たとえシンクレールとヨハンがいたとしても、だ。
しかし、テレジアはそれをしなかった。
なぜか。
そんなの、決まってる。
彼女は、キュラスの住民にとっての『教祖』だからだ。そして、最期までその姿を捨てなかった。たとえ人間を辞めても、彼らを利用したり、欺いたり、ましてやこれまでの歩みをご破算にしてしまうような真似はしなかった。
ぽつり、とうなじを雨粒が伝う。それからは、堰を切ったように土砂降りの雨が注いだ。
ずぶ濡れになっても、膝を突いたまま、テレジアから目を離すことが出来なかった。
ようやく……本当に彼女のことが分かった気がする。
最初にキュラスに訪れたとき、いくら彼女と言葉を交わしても、胸のうちに黒々とした歪みを抱えているのではないかと疑っていた。そしてテレジアに見逃されてからは、屈辱から、やはり彼女の姿を見失っていた。この地を再訪し、戦闘になった際には、彼女の性格を認めてはいたはずだったが、けれど、心のどこかでは――薄汚れた盲目者だと思っていた。
簡単な話だ。わたしの目は、最初から最後まで曇っていた。ようやくそれに気付いたのである。手を取り合えると言ったのも、わたしたちをわざと逃がしたのも、何度も和解を迫ったのも、争いを嫌ったのも、全部、テレジアの本心だ。
「クロエ、大丈夫かい……?」
いつの間にかそばに寄っていたシンクレールが呟く。それは、たずねるというよりも、なにか、共感を得るために口からこぼれたように聞こえた。
「大丈夫……じゃないかも……」
「そう……だよね」
本当にシンクレールは鋭い。肉体はボロボロだったが、それを指して答えたのではないことを理解してくれたのだから。
振り向くと、彼の斜め後ろにヨハンが立っていた。拳を握り、口元を引き結んで。
「ヨハン……?」
「あ、ああ、お嬢さん。お手柄ですね」と、彼は取り繕うように相好を崩す。
思うところがあるのだろう、彼も。ただ、それはわたしとシンクレールの抱いている感情とは種類が違うように思えた。先ほどの表情はなにか、悔しくてならない、といったふうに見えたのだ。
視線の端に、よろめきつつ近寄ってくる住民の姿が見えた。何人も、何人も。彼らはわたしに一瞥もくれず、ただただテレジアに視線を注いでいる。
横たわるテレジアを挟んで、膝を突く影があった。キュラスで一番最初に出会った老人である。彼はじっと目をつむり、それから、絞り出すように言った。
「教会裏に……埋葬させてくれ」
あたりを見回すと、雨に打たれる住民がわたしを見据えて、ぎゅっと、こらえるように口を結んでいた。
彼らはきっと……憎悪を押し殺し、それでもなんとか、ここにいるのだ。テレジアの願いを汚すまい、と。
ヨハンの意見も、シンクレールの意見も聞く気になれなかった。答えなんて、たったひとつだから。
小さく頷き、それから、呟く。「……見届けさせて」
老人は首肯し、ほかの住民に目で合図を送った。テレジアの亡骸が囲まれ、ふわり、と何人もの手で抱えあげられる。
厳粛な雰囲気だった。誰ひとり口を開くことなく、淡々と、しかし急ぐことなく、教会へと足を運ぶ。雨脚と、ぬかるみを踏む音だけが響き続けていた。
教会の裏手にたどり着き、はっと目を見張った。そこには、いくつもの十字架が等間隔に並んでいたのである。名前こそ刻まれていなかったものの、それがなんなのかはすぐに分かった。
墓だ。木製の十字架は一部を除き、ほとんど真新しい。同時期――おそらくは数年前に、作られたばかりなのだろう。それも、キュラスで元々暮らしていた人間のものに違いない。ハルツによってもたらされた悲劇の結果が、ここにある。
懺悔。罪。祈り。住民が例外なく敬虔に見えたのは、決して目を背けてはならない過去を――キュラスに生きていた人間を滅ぼした過去を――彼ら全員が持つからだ。
ざくざくと、新たな墓穴を掘る音がしていた。陽はすっかり落ち、あたりは暗く染まっている。
彼らはこれからどうするのだろう。ふと、そんなことを思った。テレジアの言葉通りであれば、人の気配のない場所へと移ることになる。
そしてわたしは、どうするのだろう。彼らを見逃していいのだろうか。人であり、また、魔物である彼らを。いや、テレジアの言葉を信頼するなら、魔物は例外なく元人間だ。ここでの決断は、のちのちまで関わってくるように思える。
判断がつかぬまま、テレジアの亡骸が墓穴に収められた。そしてひとりひとりが、彼女の腕や肩に触れて嗚咽を漏らす。
「『教祖』様……」
「あああ……くぅ……」
「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます……」
涙に濡れた声が、いくつも紡がれる。雨脚は次第に弱まり、今では細かい雨滴が思い出したように地を打つだけだ。
気怠さ。そして痛み。もう一秒だって立っていられないはずなのに、どうしてか身体が動かなかった。テレジアと、彼女を取り巻く住民から目が離せない。肉体的な苦しみなんてちっぽけに感じてしまうほど、胸がいっぱいだった。
もっとしっかり話せば、どこかで折り合いをつけることが出来たかもしれない。そんなふうに思うのは、きっと卑怯だろう。同じ状況になったら、余裕なんて消えて、すぐ首元に噛みついてしまうものなのだ。
だとしても、もっとやり方があったんじゃないか――そんな狡いことを考えずにはいられなかった。
隣を見ると、シンクレールはじっと、自分の足元を見つめていた。彼が一番、テレジアの優しさに救われたのだ。複雑どころではない心境なのは分かる。
ヨハンは――と思ってあたりを見回したが、彼の姿はどこにもなかった。テレジアの埋葬を見届けるのはわたしたちに任せて、自分はどこかで休んでいるのだろう。
不思議なことに、彼が妙な算段を立ててわたしとシンクレールを悲劇に引き入れようとしている、とは思わなかった。
確かに、わたしはヨハンに裏切られ、深く傷付いた。そして、二度と過信しないと決めたのだ。けれど……。
今回の戦闘で彼のことを『ほんの少しは』信用してもいいことが分かった。裏切るつもりで動いているのなら、テレジアとハルツに向かっていくような真似はしない。
間違いなく命がけだったのだ、彼も。
やがて泣き声が強くなり、テレジアの身体に土がかけられていった。
少しずつ、少しずつ。
すっかり埋まってしまっても、住民はそこから離れなかった。手を組み合わせ、ひたすらに黙祷している。
木々のざわめき。虫の声。谷を吹く風の歌。それらが段々、遠くなっていく。目の端がじわじわと白く染められ、ふっつりと、なにも分からなくなった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。魔王の血を受けており、死後、『黒の血族』として第二の生命を得たが、クロエに討伐された。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて
・『ハルツ』→キュラスに暮らす大男。純朴な性格。自分を拾ってくれたテレジアを心の底から信頼している。『黒の血族』のひとりであり、『噛砕王』の名を持つ。ロジェールにトドメを刺され、絶命。詳しくは『313.「あまりに素直で不器用な長話」』『362.「破壊の渦」』にて
・『ロジェール』→キュラス付近の山岳地帯にひとりで住む青年。空を飛ぶことに憧れを抱き、気球を完成させた。テレジアの幼馴染であり、元々はキュラスの住民。『救世隊』の一員だった。詳しくは『298.「夢の浮力で」』『347.「収穫時」』『349.「生まれたての太陽の下に」』にて
・『交信魔術』→耳打ちの魔術。初出は『31.「作戦外作戦」』
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。一度魔物に滅ぼされている




