382.「福音の日輪」
『信仰の燦光』を拡大鏡に通すなんて、咄嗟に思いついたにしては出来過ぎている。きっとテレジアの攻撃を目にしてから、手持ちの魔術と照らし合わせていくつもプランを作り上げたのだろう。そのうちのひとつが拡大鏡というわけだ。彼女の『信仰の燦光』が度重なる反射運動で減退した状況でなければ、きっとヨハンの魔術をも消滅させただろう。つまり、お誂え向きのタイミングだったというわけだ。
わたしが彼女の攻撃に驚愕し、狼狽し、回避に精一杯だったあの状況で、ヨハンは虎視眈々と反撃の機会を窺っていたのだろう。交信魔術がわたしに届くか確認したのも、この瞬間に拡大鏡を展開するための情報収集を兼ねていたのかもしれない。
つくづく、厄介な男だ。
そして――ありがたい。
地面を蹴り、疾駆する。テレジアは自分自身の攻撃――『信仰の燦光』を浴びていたが、その身は消えていなかった。威力が減退していたことと、攻撃自体が拡散されて弱まったからだろう。それすら勘案に入れていたからこそ、ヨハンはわたしに追撃のタイミングまで指示したのだ。
テレジアは大きくのけぞり、苦悶の表情で光を浴びている。その瞳は、迫るわたしを捉えていない。
刹那、すべての光線が彼女の身体を通過した。拡大された『信仰の燦光』が跳ね返ってくるまで、あと二秒もないだろう。――充分だ。もう、サーベルの有効範囲に入っている。
一秒と少し。大丈夫。その程度であれば、肉体の限界を振り切ることだって出来る。
「風華!!」
瞬間、テレジアと視線が交差する。見開かれたその瞳に、深紅の花弁が映った。
再び訪れた空想の草原に、真っ赤な花びらが舞い踊る。引き延ばされた一秒間。渦のような花吹雪。その中心で、確かな手応えと、妙に硬い感触を得た。
やがて、草原に光が訪れる。まだだ。まだ――。
花弁の渦が遠ざかる。現実の景色もまた、急変していた。襲いくる『信仰の燦光』は濁流のようにわたしを押し流していったのだ。
肌が焼けるように痛い。自分が地に伏していることは理解出来たが、往復する巨大な光によって、意識が千々に刻まれる。五体が無事なのかどうか、それすら怪しい。
やがて、光は消え去った。自然消滅したのだろう。
かすむ視界。そのただなかに、異常な姿が見えた。乱れた髪。ところどころ溶けたように破れたローブ。ボロボロになった翼は灰色に染まり、全身に負った切り傷からは絶えず血が溢れている。しかし、生きていた。肩で息をし、口元をきつく結び、わたしを見据えている。憎悪も、慈愛も、憤怒も、享楽も、諦念も――信心さえ、その瞳には宿っていない。そのくせ、無感情とは言い切れない迫力を湛えていた。
ゆっくりと、手が持ち上がる。また『信仰の燦光』が来る――と思ったが、そうはならなかった。彼女は片手で自分の目を覆ったのである。まるで、隠すように。
「……こんなことになるなんて、想像していませんでした」
言って、テレジアは口元に手を運んでケホケホと咳をした。その瞳は先ほどの妙なものではなく、疲労した目付きに変わっている。
「……メフィストさんを引き込んだことが功を奏したのでしょうね、きっと。……しかし、まだ終わっていません。幸いなことに、傷付いた貴女の力では、わたくしの骨までは断てなかった……。そして、ここからは本当に一対一です」
彼女の腕が天へ伸びる。なにをするのかは分からないけど、このまま寝てるわけにはいかない。
手を突き、なんとか立ち上がる。よろめきはしたものの、立てないほどではない。まだ終わっていないというのなら、終わらせるまでだ。
「信仰の薄明」
その言葉とともに、閃光が一瞬、あたりを包み込んだ。目を開けると、光は収まっていたものの、ドームの外はまるで霧を幾重にも重ねたように白く染まっていた。
「これでメフィストさんにも手出しは出来ません」
なるほど。確かにこれならヨハンからも、わたしの様子は分からないだろう。生きているのか、死んでいるのかさえ。
『……いよいよ目隠しされましたな』
しかし、交信は続いている。そもそも魔術まで断ち切れる技があるのならはじめから使っているはずだ。
『私の声がお嬢さんに届いているのかさえ分かりませんが……正直、こうなると手出しは出来ません。私に視覚共有が使えれば一番ですが、残念ながら……』
視覚共有か。確かに、それなら有効だろう。ただ、あれは相手と息を合わせなければ成立しない。そんな魔術をヨハンが会得しているわけがなかった。
なんにせよ、ここからは正真正銘の一対一だ。なにがあろうと自分自身で解決しなければならない。
サーベルを握りしめると、手が震えた。恐れから、じゃない。もう限界なのだ。肉体の警告を無視し続けたツケが当然のように訪れている。けど、傷を負っているのはわたしだけじゃない。
一歩、また一歩とテレジアに迫る。彼女の手の動きに注意しながら。
「信仰の教典」
テレジアの左手に、眩い輝きを放つ盾が現れた。ただ、それだけでは終わらない――。
「聖十字」
右手に、これも同様に光を帯びた剣が出現する。
これだけのダメージを負っているにもかかわらず、籠められた魔力は依然、見事な練度を持っていた。
接近戦も出来るのか。本当に、どこまで引き出しを持っているのやら。ただ、追い詰められていることの表れかもしれない。この状況になるまで出さなかったとなると、テレジア本人も接近戦は望んでいないのだろう。それもそのはずだ。もともとはサポート専門の魔術師で、こうして武器を手に取って戦う機会なんて極端に少なかったはず。
一流の剣術を体得しているのなら、もっと早い段階で使うべきだ。それこそ、存分に機動力を発揮出来る無傷の状態で。
乱れがちな呼吸を、なんとか整えて駆ける。これで最後だ。何度も最後だと言い聞かせて身体を騙してきた気がするけど、本当に、これが最後だ。
最後なんだから、動け――。
テレジアが腰を落とし、剣と盾をかまえる。まるで素人丸出しの構えだ。よほど近接戦闘に慣れていないのだろう。
一気に距離を詰め、何度かフェイントを入れつつサーベルを振るう――が、その軌道に盾が重なった。
防がれるか……仕方ない。ただ、次の一撃も防げるとは限らな――。
サーベルが盾に直撃した瞬間、腕が吹き飛ぶように跳ね返された。
ただの盾じゃない。なら剣も……。
腹部に迫る剣を回避する余裕はなかった。刃が触れ――。
血が口からこぼれる。斬撃には速度も重さもなかったはずだ。ただ、そこに籠められた妙な力――衝撃波、と考えるには痛みが弱かった。あくまでも弾き飛ばすだけの力なのだろう――によって、身体が吹き飛ばされる。
やがて背中に鈍い衝撃が広がり、またしても地に伏す羽目になった。
せっかく接近したのに、ドームの端まで飛ばされてしまった。まだ身体は動いてくれるだろうか。いや、動けなければ敗北だ。
動け、とにかく動いてくれ――。
「これでなにもかも終わりです……。福音の日輪」
テレジアの両腕が大きく開かれ、彼女の前の空間が歪む。
と、歪曲した空間を呑み込むように、直径五メートルはあろうかという巨大な球が現れた。それはゆっくりと前進しながら、徐々に大きくなってゆく。
「……っ!」
立ち上がろうとして、全身に鋭い痛みが走った。だが、痛みに負けている場合じゃない。
あれは絶対に受けてはいけない。感覚で分かる。あれは、まずい。
ようやく立ち上がった頃には、福音の日輪とやらは回避が難しいほどの大きさまで膨れ上がっていた。左右に、ほんの三メートル程度のスペースが残っているだけ。
右か左。どちらかの隙間を抜ければ、なんとか攻撃を受けずに済む。考えている時間はない。
右を選んだのは直感だった。なにも根拠はない。ただ、左を選んだとしても、きっと同じ結末だったろう。
「残念でしたね、クロエさん」
わずかなスペースを抜ける瞬間、テレジアの剣に突かれた。きっと、サーベルに宿る魔力を読んだのだろう。
再び壁まで弾き飛ばされたわたしが目にしたのは、ドームいっぱいの大きさに成長した、まるで太陽のような光の塊である。
サーベルを左に投げ捨てれば、彼女を欺くことが出来ただろうか、とぼんやり考える。おそらく、そうなればさすがのテレジアも出し抜けただろう。けれど結局、あとに待っているのは絶望だ。丸腰で戦えるはずがない。
「最後……だから……」
歯を食い縛って立ち上がり、自分自身の身体に呼びかける。
「ここで、終わりたくないの……!」
サーベルを構え、腕に力を込めた。テレジアの放った疑似太陽は、すぐそこまで迫っている。
「――落花流水!!」
サーベルを一気に振るった瞬間、耳元で『ぶつん』と不快な音が鳴り響き、暗闇が訪れた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。魔王の血を受けており、死後、『黒の血族』として第二の生命を得た。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて
・『メフィスト』→ニコルおよび魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『拡大鏡』→空間の一部を拡大する魔術。ヨハンが使用。詳しくは『306.「拡大鏡」』にて
・『ヨハンの交信魔術』→耳打ちの魔術。初出は『31.「作戦外作戦」』
・『視覚共有』→その名の通り、視覚を共有する魔術。詳しくは『9.「視覚共有」』にて
・『風華』→花弁の舞う脳内世界。集中力が一定以上に達するとクロエの眼前に展開される。この状態になれば、普段以上の速度と的確さで斬撃を繰り出せる。詳しくは『53.「せめて後悔しないように」』『92.「水中の風花」』『172.「風華」』にて




