381.「10sec + 2」
金色の花弁が舞う。狂ったように、いくつも。数えることなんてとても出来ないほど乱れ舞う。そんな空想の草原にひびが入っては元に戻り、痙攣のように揺れては静寂を取り戻した。
長くは持たないことくらいよく分かってる。けれど、これしかないのだ。迫りくる攻撃から逃れるためには、すべての魔力を察知してベストな動きを選ぶ必要がある。右から左から、斜め前から下から上から後ろから……攻撃は直線的に、しかし尋常でない速度と数で接近してくる。
前進し、後退し、身を翻し、しゃがみ、跳び、肩を引き、ぎりぎりのバランスで身体を運ぶ。まるで踊っているように見えることだろう。全身を駆動させ、絶え間なく回避を続ける。しかし、避けるだけではない。確実にテレジアへと接近していく――。
もし彼女が光線の軌道を計算し尽くして、自分の居場所を安全圏にしているのなら、却ってチャンスだ。サーベルの有効範囲に入ったとしてもテレジアは動くことが出来ない。一歩でも位置をずらしてしまったら、自分の放った攻撃を浴びることになる。反射を繰り返して威力が減退していたとしても、致命的な一撃になるであろうことは明らかだ。
「信仰の燦光!」
彼女まで残り三メートルの位置で、光線が追加される。だが、問題ない。避けるべき軌道が増えるだけのことだ。十本も二十本もさして変わりない。
やがて、空想の景色に入るひびが大きくなった。多分、そろそろ限界だ。万全の体調だったとしても長く続けられる技ではない。ましてやハルツ戦で消耗した状態である。こうして身体が動いてくれることだけでも奇跡的だ。
「素晴らしい動きですが、そろそろ限界のようですね――信仰の燦光」
テレジアはさらに光線を追加する。もはや数える気にもならない。
そうか。彼女の目にわたしの限界が映っているなら、簡単に対処されてしまう。ただ接近させなければいいだけのことだ。『信仰の燦光』を追加し、こちらの動きを阻害すれば事足りる。
なら――。
空想の景色にノイズが走る。限界の状態でさらに出力を上げるべく神経を研ぎ澄ませば、当然景色は乱れる。けど、これでいい。わたしはいつだって無謀なことばかりしてきたけれど、勝算なしにやったことなんて一度もない。今も、細く薄い『勝ち』を掴み取るために、血の一滴まで振り絞っているんだ。
肌が、びくり、と震えた。肉体の悲鳴ではない。一瞬のチャンスを感じ取ったのだ。
今何本の光線がドームを飛び交っているか分からないが、ほんの一瞬だけ、わたしとテレジアを結ぶ直線上が安全地帯になるのが察知出来た。それを逃せば、背後から一斉に『信仰の燦光』が襲うこともまた、読める。
息を止め、前進のための集中力をさらに研ぐ。
金色の花弁散る世界が、ぐにゃぐにゃと落ち着きなく歪み、絶えずひびが走った。その亀裂が治るよりも、別のひびが入るほうが早い。どうやら、本当に最後のチャンスと言っていいようだ。百花狂乱を維持出来なければ負けが決まっている。そして今まさに、破綻が近付いていた。
空想の景色。その歪みに、妙な人影が見えた。骨と皮ばかりの手足に、痩せすぎて骸骨のようになった顔。ゆるやかな黒の癖毛。花弁の先に見えるヨハンは、異様に不吉な存在に思えた。
『お嬢さん』
確かに、彼の声だ。けれど、現実の耳にそれが届いているのかどうか自信がない。もしかしたらわたしが作り出した空想の声かもしれないのだ。
『十秒後に、前進するチャンスが生まれます。そのことはもう察しているでしょうな』
知ってる。そして、わたしがすべきことも理解している。
『なら――』
イメージの世界から届いた彼の声は、やはりというかなんというか、妙なことを言っていた。そもそも彼は普段から妙な男である。人を裏切ったり、なのに優しくしたり、かと思えば誰もが躊躇うような非道を平気で実行したりする。彼みたいな人間の言葉は、もともと人を煙に巻くような響きしか持っていない。どうしたって信用出来ないのだ。
ただ、残念なことにわたしは思考を働かせるだけの余裕はない。耳に流れ込んだ声さえ、ある意味では情報の一部だ。それを受けてどう動くかは、ほとんど、肉体と本能次第である。
十秒。それはわたしが察した通りである。光線の軌道から考えれば、そのくらいのタイミングで前方がフリーになる。ただ、問題がひとつ。それまでの間に百花狂乱が終われば、最大のチャンスを得るまでもなく敗北――つまり、死が待っている。
今何秒経過したか分からないけど、光線の軌道を鑑みるに、まだ三秒程度しか経っていないだろう。こんなに長い十秒が存在するだろうか。命が磨り減らされ、そのために、時間が永遠に思えるほど引き延ばされている。絶命の瞬間には景色がスローになると聞くが、それが延々と続いている感覚だ。
足に痺れを感じる。腕にだって気怠さが充満している。そして、現実の世界と重なった空想の草原は、ところどころ黒い靄に覆われてしまっていた。死の影は、こんな具合のものなのだろうか。
あと一秒。『信仰の燦光』を一発、身を翻して回避すれば――。
刹那、花弁散る空想の世界が消え去った。集中力の限界。それに違いない。けれど、すべきことは身体が知っている。
テレジアへと急接近しつつ、サーベルを抜き放つ。
良かった、とさえ思った。あと数秒早く集中が途切れていたなら、きっと読み切れなかった光線によって命が消し飛ばされていたことだろう。今なら、魔力察知に頼らなくとも動ける。なぜならこの一瞬、『信仰の燦光』は安全圏を作ったのだから。
「あぁぁっぁあああああああああ!!!!」
咆哮とともにサーベルを振り下ろす。
しかし、刃がテレジアを裂くことはなかった。硬い感触が腕に広がり、彼女がニッコリと小首を傾げるのが見えた。
「残念」と、テレジアは小さく呟く。
わたしの攻撃は、彼女の目の前で瞬時に展開された防御魔術によって防がれたのである。
それでも取り乱さなかったのは、ひとえにヨハンのおかげだった。
残り一秒、頭のなかで数え上げる――。
『テレジアさんは、十秒先のことくらい頭に入れているでしょう。だからといって躊躇する必要はありません。お嬢さんは全力で前進し、彼女を攻撃してください。きっと防御魔術が展開されるでしょうが、予定調和です。気をつけていただきたいのは、刃を止められてなお、力を籠め続けないことです。いいですか。十秒後にチャンスが生まれますが、十二秒後にはお嬢さんの背中を光線が貫くことでしょう。だから、余計な時間を使わず、十二秒後に姿勢を低くして右後方に跳んでください。そして――』
ヨハンの言葉は早口だったが、聞き漏らすことはなかった。また騙されているのかも、という疑問は入る隙もない。不安だったのは、それが幻聴ではないかという一点のみ。ただそれも、疑ってどうこう出来るものでもない。百花狂乱は終わった。テレジアの『信仰の燦光』を突破するには、信頼するしかない。たとえ悪意に満ちた卑怯者の幻でも。
十二秒。間違いなく数え終えると、即座に右後ろへ跳んだ。
――と、頭上を光線が過ぎていく。後方から同時に伸びた光線は、わたしがいた箇所で交差する軌道をたどっていた。ちょうどテレジアには当たらないが、防御魔術には直撃するだろう。
先ほど刃がぶつかった防御魔術は、決して強靭ではなかった。『信仰の燦光』であれば難なく貫通出来る程度には。おそらく、それも計算のうちなのだろう。光線の軌道を変えてしまったら、テレジアの立っている場所も安全圏ではなくなってしまう可能性がある。それを忌避したからこそ、あの強度だったのだ。
光線が交差する――その地点に、ヨハンの魔術が展開された。
テレジアの瞳が、大きく見開かれる。
彼女ほどの才能があれば、なにが目の前に現れたかは一瞬で把握出来たことだろう。なにせわたしたちが、キュラスではじめて彼女を発見したときに使った魔術でもあったのだから。
拡大鏡。それによって拡大された光線が、テレジアの全身を覆い尽くすように通過する。
『わたしがチャンスを作ります。だからお嬢さんは、いつでも攻撃出来るようにしておいてください』
細かい作戦を共有しないところは相変わらずだ。けれど、充分すぎるくらいの仕事である。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。魔王の血を受けており、死後、『黒の血族』として第二の生命を得た。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて
・『ハルツ』→キュラスに暮らす大男。純朴な性格。自分を拾ってくれたテレジアを心の底から信頼している。『黒の血族』のひとりであり、『噛砕王』の名を持つ。ロジェールにトドメを刺され、絶命。詳しくは『313.「あまりに素直で不器用な長話」』『362.「破壊の渦」』にて
・『拡大鏡』→空間の一部を拡大する魔術。ヨハンが使用。詳しくは『306.「拡大鏡」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。一度魔物に滅ぼされている




