379.「午後の閑話」
テレジアに注意を払いつつ、周囲に視線を散らした。ドームは決して滑らかな造りではない。ガラス板を何枚も繋ぎ合わせたような具合である。これほど見事にシンメトリーな空間は見たことがなかった。
ともあれ、感心している場合ではない。ガラスは薄く見えるものの、決して砕くことが出来ないことを肌で感じた。完全に外界と隔てられている。ドームの壁と床に溢れる魔力が、それを雄弁に語っていた。
テレジアの言った通り、一対一の戦いになるだろう。物理的な援護は期待出来ない。どんな悲劇が繰り広げられようとも、逃げ出すことすら不可能だ。
サーベルを下ろし、ふ、と息を吐く。
「恐くなりましたか?」
テレジアは淡々と言う。煽るような気配など微塵もない。ただ、事実を確認するために口に出したのだろう。なら、正直に答えるまでだ。
「ええ、恐いわ。あなたはわたしよりずっと強いし、人望もある。寛容で、優しくて――人を辞める覚悟だってあるんだもの」
魔王の血を受けるなんて、どれだけの気構えだろう。魔物が元は人間だとしても、自分までそちら側に身を沈めるなんて考えられない。
きっと、はじめは本気で魔王を討ち取る気だったに違いない。それがいつしか、自らの肌を紫に染め上げている。いったいどれだけの事実が彼女を揺るがしたのだろう。
「ねえ、クロエさん。今からでも遅くはありません。もし貴女が武器を納めてキュラスを去ってくださるのなら、今日のことは目をつぶります」
本心からそう言っているのが分かった。血族と同じ存在になったとしても、やはりテレジアはテレジアでしかない。彼女の胸には慈愛と祈りが満ちている。だとしても――。
「後戻りなんてしないわ。ここであなたに背を向けたら、なにもかも終わりよ」
「そう思い込んでいるだけではないですか?」
「そうかもしれないわね。でも、わたしはこの道の先にニコルがいると信じてる」
「ニコルさんに会って、どうするのですか? 貴女に彼が討てますか? 討ってどうするというのですか?」
改めて問われると、不思議な気分になった。わたしは本当にニコルを倒せるのだろうか。そして、たとえ彼を討伐したとしても、居場所なんてどこにもない。笑えるくらい絶望的だ。きっと王都の人々は、ニコルの死を知ってわたしを追い回すことだろう。
皮肉。まったくもって、そればかりがわたしの周囲を飛び交っている。ビクターしかり、ヨハンしかり、ニコルしかり。
「彼と魔王を討てば、王都に本当の平和が訪れるわ」
「その王都が、貴女を歓迎しないとしても?」
テレジアはすべて知った上で聞いているのだ。わたしが王都にとっての死者であることまで、すべて。
だとしても、わたしはわたしだ。変わらない。いや、変わることが出来ないのかもしれない。飛び切り頑固で、融通がきかなくて、無茶ばかりする。でも、今さら生き方を変えるなんて出来ないのよ。テレジア、あなたには分からないだろうけれど。
「わたしは、王都にとっての裏切り者でもいいの。王都を――世界を救うこととわたしの立場は関係ないわ。どんな仕打ちが待っていても、危機を遠ざけたことには変わりないもの。それを徒労だなんて思わない」
遠くで鷹が唄う。傾いた日差しを全身に浴びて、テレジアはゆっくりと瞼を閉じた。時間が急激に歩みを落としたかのように、奇妙な静寂が満ちる。誰も、衣擦れの音ひとつ立てない。
やがて、彼女の目がゆったりと持ち上がった。睫毛が光彩を帯び、きらきらと輝く。
「貴女は良く似ていますね……ニコルさんと。真っ直ぐで、純粋で、けれど頑なで……」
「純粋なら、魔王を討伐してる。真っ直ぐなら、王都を裏切らない。似てるだなんて……馬鹿馬鹿しいことを言わないで頂戴」
「あら、気を悪くしたのならごめんなさい。悪気はないのです。本心からそう思っただけですから……。幼馴染って、似てしまうものなんでしょうか」
思わずため息が漏れた。
「知らないわ。けれど、あなたとロジェールは全然似てない」
「ふふ……そうね」
ふんわりとした笑いがこぼれる。それはあまりに場違いな響きだった。今から殺し合うというのに、こんなに柔らかい笑い声がするなんて異常だ。けれど、なにひとつ奇妙だとは思わなかった。ある意味、当然のことのように感じてしまったのである。これからなにが繰り広げられるかなんて、お互いよく知っているのだ。
テレジアはゆるやかに微笑んだり、小鳥みたいな笑い声を立てたりしながらも、決して油断した気配はない。いつ攻撃が飛んできても対処出来るように、神経を尖らせているのがこちらにも伝わってくる。
一方でわたしも、彼女の攻撃に備えているのだ。一撃受ければ終わってしまう。こんなに張り詰めて、刺激的で、なのに涼やかな会話はない。
「ニコルとの旅は楽しかった?」
「いいえ、ちっとも」言って、彼女は口元に手を添えて目尻に皺を作った。「哀しいことばかりだったように思います。けれど、充実していました」
「そう……。旅に出なければ、あなたには別の人生があったかもしれないわね」
「ええ、間違いありません。ですが、いつか同じことになっていたような気がします。どんなに背を向けていても、ある種の人には、真実のほうから歩み寄ってくるものですから」
真実か。魔物が元々人間であるということ以外にも、彼女はなにかを知っているに違いない。それを語る気がないと言うだけで……。
「随分と穿った見方ね。額に入れて飾りたいくらい」
「ふふ、お世辞が上手なんですね」
「皮肉ってるだけ。あなたって思い込みが激しいのね」
テレジアは困ったように小首をかしげ、頬に手を当てた。
その翼がなければ。その肌が紫でなければ。ニコルと旅に出なければ。魔王に助力しなければ。『教祖』なんかになっていなければ――そんな思いに囚われる。
不意に、『毒食の魔女』の顔が脳裏に浮かんだ。そして、いつか彼女が口にした言葉を思い出す。
未来なんて簡単に変わる。けれど、どうあがいても結末が変わらないことだってある。
『もしも』の空想なんて悔しさを慰めるだけの邪魔者だ。わたしたちは紆余曲折を経て、今この戦場に立っている。それぞれの立場と信念を背負って。それがすべてだ。湿っぽい感傷なんて付け入る隙がない。
サーベルを握りしめ、腰を落とす。それに呼応するかのように、テレジアの右手が持ち上がった。照準は無論、わたしだ。
はじまる。お互いに、そう察したことだろう。
「信仰の燦光」
閃光と同時に、身を翻す。光線は真横を通過していった。大丈夫だ、勘は鈍ってない。それどころか、ひどく落ち着いた気分で――。
『しゃがめ!』
耳を貫かんばかりの声。ヨハンの口調は、今までにないほど乱れていた。交信魔術が輻輳しているわけではない。彼の焦りがそのまま表れている――。
咄嗟に身をかがめると、頭の数センチ上を、光線が猛スピードで過ぎ去っていった。わたしは確かに回避したはずで、テレジアも追加の『信仰の燦光』は放っていない。にもかかわらず後ろから攻撃が来るということは……。
光線の軌跡を追い、それに気付くと身体が冷えていった。悪い冗談……。
ドームは、単にわたしを隔離するためではなかった。
「逃げ場なんて、どこにもありません。残念ながら、貴女の冒険はここで終わりです」
テレジアの放った『信仰の燦光』。それが、ドーム内に反射して狂暴な直線運動を繰り返していた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。魔王の血を受けており、死後、『黒の血族』として第二の生命を得た。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて
・『ロジェール』→キュラス付近の山岳地帯にひとりで住む青年。空を飛ぶことに憧れを抱き、気球を完成させた。テレジアの幼馴染であり、元々はキュラスの住民。『救世隊』の一員だった。詳しくは『298.「夢の浮力で」』『347.「収穫時」』『349.「生まれたての太陽の下に」』にて
・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。故人。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』『Side Johann.「跳梁跋扈の朝月夜」』にて
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『ヨハンの交信魔術』→耳打ちの魔術。初出は『31.「作戦外作戦」』
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。一度魔物に滅ぼされている
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




