375.「光輝の双翼」
閃光はみるみるうちに拡散し、わたしたちを包み込んだ。なにが起きているのか理解できない。思えば、キュラスに訪れてからというもの、理解を超えた出来事にぶつかり続けた。そして多くが悪い展開の前触れだったように感じる。
絶命したテレジア。突然の閃光。そして、『黒の血族』の気配。
嫌な予感に打たれ、気が付くと駆けていた。物も見えないほどの光だったが、位置関係は把握している。なにが起きているにせよ、その中心にいるのは紛れもなくテレジアだ。もしかすると――決して考えたくないことではあったが――まだ終わっていないのかもしれない。これまでは単なる前哨戦で、これから本当の地獄がはじまるのかも……。
網膜を焼かんばかりの光のなか、倒れたテレジアの輪郭があった。色彩感覚が狂っているのか、その身は妙な紫色をしているように見える。ちょうど、血族の肌の色合いに似ていた。
思考を置き去って、無意識にサーベルを振り下ろしていた。恐怖。その感情に突き動かされたのは間違いない。
刃がテレジアの肌を裂くことはなかった。それは彼女の首の真上で静止している。いくら力を入れようと、サーベルは決して進んでくれない。その理由は、はっきりしていた。――テレジアの手。それが刃を掴んでいるのだ。
死んだはずの人間が再び動き出す。心当たりがないわけではなかった。ダフニーで暮らす口達者なメイド。彼女は、主人である少年の死霊術によって死後も駆動していた。それも、意志や性格をそのままに。第二の生命と呼んで差し支えないほど。
だが、テレジアは違う。死霊術は魔力の仮託であり、施す際、誰にも気づかれずに使えるようなささやかなものではないのだ。そして閃光を伴うことも、ましてや肌の色を変えることもない。にもかかわらず――。
光に包まれたテレジアが、ゆっくりと身を起こす。その手がこちらへ伸びた。彼女の指先が、サーベルを掴んだわたしの手に触れる――。
直後、視界が暗転した。そして、脳裏に次々と映像が浮かぶ。わたしの経験したことのない映像が。
揺れる焚火に照らされた、ニコルの横顔。蝙蝠の舞う古城。眼下に広がる、広大な茨。そして――見覚えのある建物が見えた。間違えるはずがない。魔王の城だ。
景色は飛び飛びに遷移し、魔王の城のダンスホール、そして玉座へと移った。そこに腰かけているのは、忘れもしない、魔王の姿である。艶やかな黒髪と、漆黒のドレス。その皮膚は滑らかな紫色をしていた。
場面は移り、水の湛えられた器の前に魔王が立っている。彼女の視線が水平に移動した。そしてゆっくりと、躊躇いがちに唇が開く。
またも場面が飛び、今度は魔王が大写しになった。そして、紫色の手が視界を覆う。訪れた暗闇のなかで、わたしは確かにその声を聴いた。
『淑女テレジア。そなたに特別な力を授けよう。自ら意識することはないが、なによりも大きい力じゃ。そなたが難敵に命を奪われたなら――』
声が遠のいていく。まるで幾重にもフィルターをかけたように。言葉の最後まで聴きとろうと神経を尖らせる。
『そのときそなたは、わらわと同じ存在になる』
閃光が蘇る。酸素が妙な具合に肺へと侵入し、喘ぐように呼吸を繰り返した。わたしはどれくらいの時間、意識を失っていた? 一秒? 一分?
閃光は先ほどよりも強く周囲を覆っていたが、薄っすらと地面が確認出来た。先ほどまで目の前にいたテレジアは――。
見上げると、頭上の遥か先にひと粒の紫が見えた。まるで、太陽を直視するように目が痛い。閃光の源――テレジアはいまや宙に浮いている。
先ほど頭に流れ込んだ光景の意味を、じっくりと考えているような余裕はなかった。ただ、ひとつ言えるのは、嫌な予感は最悪のかたちで現れたということである。
「お嬢さん! 一旦離れてください!」
ヨハンの声がしたが、あたりを見回しても彼の姿は見えない。おそらく、向こうも同じく見えていないだろう。わたしがテレジアに接近することを危惧して注意したに違いない。察しのいい奴だ。
頭上の紫を見つめ、とりあえず彼の指示に従うことにした。テレジアがどういう状態にあるにせよ、その真下が安全とは到底思えない。
後退すると、薄ぼんやりとヨハンの姿が見えた。良かった、シンクレールも一緒だ。けれど、ロジェールが見えない。
「お嬢さん! もう少し離れますよ!」
「分かった!」
ロジェールが気がかりだったが、この声が届いていないとは思えない。きっと彼も退避しているはず……。
「いったいなにが起きてるんだよ」
シンクレールが明らかに動転した声を出す。
今のうちに話しておくべきだろう。先ほどのことを。
「テレジアは、生きてるわ。トドメを刺そうとしたら、サーベルを止められた」
シンクレールが息を呑み、ヨハンは小さく舌打ちを返した。
「最低の展開ですな。血族の気配が蘇ったのは分かりましたが、『噛砕王』を治癒したということでしょうか」
「いえ、違うわ。治癒魔術は死者を蘇らせることなんて出来ない。可能だとしたら死霊術だけど、そんな魔力も視なかった」
「なら、どういうことなんだ……」
閃光の範囲から逃れると、シンクレールは足を止めて振り仰いだ。
「分からないわ。けど――」彼と同じく、振り向く。教会を塗り潰さんばかりの光が宙に溢れていた。それは双翼をかたどっている。「テレジアの肌が、紫に見えた」
「それって――」
言いかけたシンクレールに頷きを返す。
「理屈は分からないけど、テレジアは魔王の血を受けているのよ。今までそれを巧妙に隠していただけ……」
多分、正確には違う。直感しながらも、そう説明するほかなかった。脳裏を駆けた光景は断片的ではあったが、テレジアがどういった過去を持っているのかを示していた。魔王へ拝跪した彼女が、なにを得たのか。
「魔王の血……」ヨハンは考え込むように顎へ手を当て、それから短く首を横に振った。「それが事実だとしたら、厄介どころの話ではないですね。ただ……信じがたい」
頭のなかに響いた魔王の声をなぞる。確か彼女は『命を奪われたなら、同じ存在になる』と言っていた。それが意味するところはひとつだ。
やがて、徐々に光が収束していった。教会へと至る坂の下へと。翼の輪郭を保ったまま。
「――っ!」
シンクレールが声にならない短い悲鳴を上げる。彼の反応は正しい。あまりに異様な光景が、視線の先にあるのだから。
「『教祖』様……」
「ああ、『教祖』様だ……」
「生きてる……」
「私たちのために、もう一度立ち上がってくれたのね……」
住民から感嘆の言葉が次々とこぼれ、先ほどの嗚咽の雨よりも強い響きへと変わっていった。
「復活したんだ!」
「キュラスを脅かす敵を討つために!」
「聖母として!」
「天使として!」
今や、光はすっかり収まっていた。坂の下、息絶えたはずの人物が立っている。そのことを復活だと称するのは決して間違っていないだろう。住民の目には等しく、彼女の姿が神々しいものとして映っているに違いない。
「お嬢さん」と、ヨハンが静かに呼びかける。「あなたのおっしゃったことは正しかったようですね。まったく、悪い冗談だ……」
純白の双翼。黒のローブ。胸の十字架はいまだに赤く、心臓を撃たれたことは紛れもない事実であることを物語っていた。その肌は紫に――魔王のそれとそっくりな色合いである。彼女は自分の両手を見つめ、それから天を仰ぎ、一度はっきりと頷いた。自分自身の状況を確かめるように。
そして――。
彼女はこちらへ顔を向け、豊かな微笑を浮かべた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。魔王の血を受けており、死後、『黒の血族』として第二の生命を得た。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて
・『噛砕王』→別名『育ちすぎた魔猿』。『黒の血族』だが、ろくに言葉を扱えず、粗暴な性格。人里離れた場所を好む。毛むくじゃらの巨体が特徴。テレジアに拾われ、頂の街キュラスで青年ハルツとして暮らしていた。ロジェールに撃たれ、絶命。詳しくは『294.「魔猿の王様」』『362.「破壊の渦」』にて
・『ロジェール』→キュラス付近の山岳地帯にひとりで住む青年。空を飛ぶことに憧れを抱き、気球を完成させた。テレジアの幼馴染であり、元々はキュラスの住民。『救世隊』の一員だった。詳しくは『298.「夢の浮力で」』『347.「収穫時」』『349.「生まれたての太陽の下に」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて
・『死霊術』→死者を蘇らせる魔術。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『治癒魔術』→読んで字のごとく、治癒の魔術。それほど高い効果はない。他者を癒すことは出来るが、術者自身にかけることは出来ない。詳しくは『131.「ネクスト・ターゲット」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。一度魔物に滅ぼされている
・『ダフニー』→クロエが転移させられた最果ての町。ネロとハルの住居がある。詳しくは『11.「夕暮れの骸骨」』にて




