374.「嗚咽と硝煙」
なにが起きたのか分からなかった。きっと、この場にいる誰もがそうだったろう。シンクレールとわたし、そしてハルツはもちろん、ヨハンでさえ。距離を置いて戦況を窺っていた住民も同じだ。
疾駆していた両足が、自然と止まる。
すべての音が消え果てたかのような静寂。その中心で、テレジアがゆらりとよろめいた。彼女の身体に満ちた魔力が霧散し、膝から崩れ落ちる。胸に描かれた純白の十字架は、今や真っ赤に染まっていた。
彼女は薄く唇を開き、地平の先に視線を移し、そしてハルツの肩から滑り落ちた。
どさり、と、軽い落下音が静寂を震わす。
「『教祖』様?」
落下し、仰向けに横たわるテレジアを見つめてハルツが呟く。なにがなにやら分からない、まるで理解がおよばない、そんな口調だった。
「『教祖』様……『教祖』様? どうしたんですか? まだ眠る時間じゃ――」
彼女の身体から流れる血が地面を染める。赤く、赤く。
ゆっくりと彼女の手が持ち上がった。優しく、空を撫でるように。
『ご、めん……なさ、い……ハルツ……』
途切れ途切れの交信魔術が、空に響く。それは紛れもなくハルツへ呼びかけたものだった。正しい対象へ届けることすら出来なかったのだろう。だからこそ、自らの声を空に拡散させたに違いない。
助かる見込みがあるなら、余計な魔術を使って体力を削るはずがない。つまり、テレジアは理解しているのだ。自分がどうあがいても死を免れられないことを。
「オォォォオオオォォォ!!! 『教祖』様ァ!! 『教祖』様! 『教祖』様ぁ……。テレジアさん……」
ハルツの咆哮は、消え入りそうな嘆きの呟きへと変わって溶けていった。彼もまた、理解したのだろう。自分がどう頑張ろうとも、テレジアを救うことなんて出来ないと。
彼女の腕が、はらりと地へ落ちる。まるで、全身のあらゆる力が抜け落ちたかのように。彼女の魔力はもはや、残滓となって周囲に漂うだけだった。
ハルツの嗚咽が地を震わす。ひどく弱々しい泣き声だったが、長く、長く、続いた。
わたしが目にしているのは、『教祖』テレジアの終わりであることには違いない。しかし、理解は追いついていなかった。その死は確かだとしても、原因が分からない。
先ほどの破裂音を思い出す。あれは、なにかに似た音だった。高飛車で高慢で、そのくせ情に厚い誰かさんの横顔が脳裏に浮かぶ。魔銃の発砲音。それによく似ていたのだ。
振り返ると、目を見開いたシンクレールと、意外そうに顎に手を当てるヨハンがいた。彼らは一様に、ある男を見つめている。ふらりと、覚束ない足取りでこちらへ歩を進める男に。
彼はわたしの隣まで来ると、立ち止まった。その瞳は、嗚咽するハルツへと注がれている。
「ぼくは……自分が正しいなんて思わない。きっと、間違ってる。でも、こうするしかなかったんだ。テレジア、君はキュラスを壊した奴に居場所を与えた。ぼくたちの故郷を、魔物の住処に変えたんだよ」
彼――ロジェールの言葉はテレジアに届いただろうか。
「お、お前!!! お前!!!!」ロジェールを認めたハルツが牙を剥く。「俺たちの住処に来た奴だ! お前が『教祖』様を!!!」
ハルツの怒りは本物だったが、彼の傷はあまりに深い。ロジェールへと手を伸ばしかけ、その巨躯が倒れ込む。テレジアを潰す寸前、彼は肘を突いて横転し、彼女を避けた。
起き上がることは叶わず、彼は壮絶な眼差しでロジェールを睨んだ。ハルツとわたしたちの距離といえば、五メートル程度だろうか。ぎりぎり届かなかった指先が、恨めしそうに空を掴む。
「殺してやる!! 殺してやるからなあ!!!」
ハルツの威嚇は、しかし、言葉以上のものにはならなかった。ロジェールは静かに腕を持ち上げ――。
「ぼくも、同じ気持ちだよ」
発砲音が響き、ハルツの額から血が噴き出す。続けざまに六発、破裂音が轟いた。ロジェールの手に握られた物体――魔銃に似たなにか――から煙が上がる。
ハルツはもはや、嗚咽も唸りも上げていない。身体はぴくりとも動かず、しかし、ロジェールへと注がれた獰猛な瞳だけはそのままだった。彼の身の内に流れる血族の気配が急激に小さくなり、やがて消え去った。
なにか言おうと思ったが、言葉になってくれない。ハルツとテレジアの討伐は、これで果たしたことになる。まったく予測しなかったかたちで。
「お手柄です、ロジェールさん」
いつの間にか、彼の隣にヨハンがいた。
「ぼくはただ……自分のしたいようにしただけです。これは贖罪でもなんでもない。憂さ晴らしにもならない私怨です」
「それでも、私たちとしては助かりました。……それにしても、ロジェールさん。その武器はなんですか? 見たところ魔銃に似ていますが、撃ったのは魔力ではないでしょう?」
「これは銃です。あの猿を撃つために持って来たんです」
銃? 魔銃ではなく?
機構は分からないが、つまり、魔力を介することなく弾丸を放つことが出来るのだろうか。だとすると、強力どころの話ではない。
テレジアが弾丸に気付けなかった理由もはっきりした。彼女はあの場面で、わたしだけを見つめていた。ハルツも同じだ。ヨハンとシンクレールの魔術は視覚に頼らず把握し、あとはわたしの動きに注視すればいい、という状況だったのである。そこで放たれた魔力なしの攻撃は、まさしく、彼女の想定を超えるものだったろう。
「銃ですか。随分と良い物をお持ちで……」
ヨハンの好奇に満ちた眼差しに、ロジェールは首を横に振って応える。
「でも、これで終わりです。銃弾は全部消費してしまいましたから」
「銃弾を作ればまた使えるのかい?」これまたいつの間にやらそばに来ていたシンクレールが問う。
「おそらくはそうでしょう。しかし、弾丸の作り方なんて分かりません。これ自体が貰い物ですから」
「誰からの?」
思わずたずねると、ロジェールはあたりをきょろきょろと見回した。
「オブライエンさんに貰ったんです。食事のお礼に、と。使い方まで教えてくれました。……彼はどちらに?」
その名を聴いて、ルフの嘴を思い出した。彼はその凶器に吹き飛ばされ、施設に閉じ込められたのだ。本当なら今すぐにでも向かいたいけど――。
「オブライエンのことは後で話すわ。今は……確かめなきゃいけないことがあるでしょ」
主に、ヨハンへ問いかける。彼はやはり承知していたようで、口の端を持ち上げて頷いた。
「ええ。『噛砕王』は絶命しましたが、『教祖』の息が残っているかもしれません」
そう。確実に勝利したと言い切れるのは、死を確かめてからなのだ。たとえ死の間際にあっても、生きているのなら放置するわけにはいかない。ありえないことではあるけれど、反撃してくる懸念は拭えないのだ。
まずヨハンが、率先してテレジアへと歩み寄った。そこはハルツの攻撃圏内であり、彼が息絶えているとしても踏み込むのに躊躇する領域だった。
「確かに、息はありません。心臓も動いていないようですね」
見下ろすと、テレジアの顔は、どうしてか晴れやかに見えた。真っ赤な十字を胸に抱いて瞼を閉じている。蒼白な無表情だったが、それすらも敬虔に思えてしまう。
彼女の手首を取ると、ヨハンの言った通り、そこにはただの一度の鼓動さえなかった。静寂。眠り。そんな印象。意識をなんとか研ぎ澄まして魔力を探ったが、まるで感じ取れなかった。魔力の抜け落ちた器。空中に漂っていた残滓も、もはや消えている。
シンクレールもしゃがみ込み、彼女の脈をとった。彼の唇が、小さく動いた気がする。決して声にならない言葉を口にする彼は、どこまでも沈痛な面持ちをしていた。自分を救ってくれた相手。そんな彼女に敵として対峙し、こうして死の確認をしているのだ。おこがましいことだけれど、胸の痛みを感じるのは自然だ。
立ち上がり、深く息を吐いた。正しいとか、正しくないとか、そうじゃないんだ。こうすることでしか前に進めない。
不意に「嗚呼」という声がした。見ると、住民が遠巻きにこちらを見ている。まるで染み入るような嗚咽が聴こえた。それは段々と数を増し、まるで俄雨のように激しく響く。
彼らに戦意は感じなかった。ただただ嘆いているだけ……。
「さて、彼らをどうしましょうか」
ぼそり、とヨハンが呟く。その声には、なんの意志も感じられなかった。どうなろうともかまわない、そんなふうに聞こえてしまう。確かに目的を果たした以上、放置することも出来る。しかし、彼らは本来魔物なのだ。
騎士として、私情を殺してでも決断すべきときは何度もあった。きっと今も、そうすべきなのだろう。自分の心を殺してでも。けど――。
「放っておきましょう。テレジアを喪った彼らになにかが出来るなんて思えないわ」
ハルツによって『魔物の巣』で生き永らえ、そして、テレジアの守護のもとで人間としての生活を営んでいたのだ、彼らは。両方の支えを失って、これから生きて行けるとも思えない。人々を襲うかもしれないが、そこまで先読みして、徹底的にキュラスを潰す気にはなれなかった。
冷血。必要だとしても、そうなるつもりなんてない。
「では、行きましょう」
「ええ。まずオブライエンを――」
施設へと踏み出しかけた足が、どうしてか止まる。
シンクレールとロジェールが、不思議そうにこちらを覗き込んだ。
「どうしたんだい?」
声が出せない。なんだろう、この嫌な予感は。全部終わったはずなのに、どうしてこんな悪寒を覚えるんだろう。
意識を研ぎ澄まし、深くまで異常を探る。住民の身に流れる魔物の気配はあったが、それらは今にはじまったことではない。もっと些細で、けれども異常なものが――。
思わず、ヨハンを見た。彼は無言で頷き、ひとつところを睨んでいる。
『黒の血族』。その気配が、確かにするのだ。そしてそれは、徐々に輪郭をはっきりとさせ――。
ヨハンの視線の先――絶命したはずのテレジアが光に包まれた。巨大な、翼をかたどった光に。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『誰かさん』→ここではアリスのこと。魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて
・『ハルツ』→キュラスに暮らす大男。純朴な性格。自分を拾ってくれたテレジアを心の底から信頼している。『黒の血族』のひとりであり、『噛砕王』の名を持つ。詳しくは『313.「あまりに素直で不器用な長話」』『362.「破壊の渦」』にて
・『噛砕王』→別名『育ちすぎた魔猿』。『黒の血族』だが、ろくに言葉を扱えず、粗暴な性格。人里離れた場所を好む。毛むくじゃらの巨体が特徴。テレジアに拾われ、頂の街キュラスで青年ハルツとして暮らしていた。詳しくは『294.「魔猿の王様」』『362.「破壊の渦」』にて
・『ロジェール』→キュラス付近の山岳地帯にひとりで住む青年。空を飛ぶことに憧れを抱き、気球を完成させた。テレジアの幼馴染であり、元々はキュラスの住民。『救世隊』の一員だった。詳しくは『298.「夢の浮力で」』『347.「収穫時」』『349.「生まれたての太陽の下に」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。記憶喪失。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』にて
・『交信魔術』→耳打ちの魔術。初出は『31.「作戦外作戦」』
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて
・『ルフ』→鳥型の大型魔物。詳しくは『37.「暁の怪鳥」』にて
・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的使用出来る。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『魔物の巣』→主に、魔物の牛耳る地を指す。定義としては曖昧で、昼間でも魔物が姿を消さない場所や、ひとつの種が支配している場所や、逆にあらゆる種が雑多に出現する場所も『魔物の巣』とされる。『61.「カエル男を追って~魔物の巣~」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。一度魔物に滅ぼされている




