367.「家屋の賢い使い方」
落花流水。簡単に言ってしまえば、対象に回転を加えつつ受け流す技だ。迫りくる攻撃の速度を勘案し、刃で円を描くように包み込む。そうやって衝撃を分散させつつ、直撃しないように逸らすのである。まともに弾いたり受け止めたり出来ない攻撃に対して有効だった。
特に真価を発揮したのは、剣戟速度を磨いてからである。刃を振るう速度が上がれば上がるほど、受け流せる物のサイズや速度も増していった。逸らすことさえ出来ない重量の攻撃は、地面に叩きつけることで処理することだって出来る。
ハルツは一旦攻撃を止め、こちらをじっと見つめていた。直撃するはずの穏やかな密室が地に叩きつけられて威力を失ったのだから、その驚きはひとしおだろう。ただ、びっくりしているのは彼ばかりではない。穏やかな密室を防いだわたし自身、かなり意外な気がした。
落花流水は、繊細な動きと相応の速度を必要とする。オブライエンが直したばかりのサーベルでは、重すぎてとてもじゃないが成立するとは思えなかったのだ。なんとか穏やかな密室を無力化出来たのは、咄嗟の判断と、本能的な意志。そしてなにより、騎士時代の経験の産物だろう。案の定、高速の斬撃による腕への負担はすさまじい。傷だらけで痛みに覆われているにもかかわらず、腕の疲労はどこまでも鮮明だった。
そう何度も使えはしないし、次も成功するとは限らない。ともあれ、命を繋ぐことは出来た。
悪夢のような連撃が止まり、ようやく呼吸に意識を向けられる。少しずつ落ち着かなきゃ……。
それにしても、ひどい思い違いだった。テレジアとハルツが共闘に向いていないだなんてとんでもない。見事なまでに息が合っている。彼女は魔力によって、ハルツの肩に自分自身を固定し、彼が全力を出しても影響がないようにした。加えて、穏やかな密室である。あれは示し合わせていなければ出来ない攻撃だ。となると――。
戦闘前まで耳元に届いていた、テレジアの囁きを思い出す。彼女はきっと、ハルツが本当の姿を現した段階で、今後のプランや戦闘方法を共有していたのだろう。おそらくは、わたしに使ったのと同様の交信魔術で。
一度目の穏やかな密室で吹き飛ばされたわたしを防御魔術で囲み、ちょうどハルツの落下地点に合わせたのも、彼女の計算に違いない。つい先ほど、回避を妨害する目的で展開された防御魔術も同様に、テレジアの能力の高さを示している。穏やかな密室の激突で壊れ、なおかつ衝撃を消さないだけの、絶妙な硬度の防御魔術なんてそうそう扱えない。
たとえ攻撃手段を持たなくとも、テレジアは充分に脅威である。そして、容赦しないと口にした通り、彼女はこちらに息つく暇も与えなかった。わたしがこうして立っているのは、ほとんど無意識に身体を動かした結果である。腕がサーベルの重量に耐えきれなければ、穏やかな密室の餌食になって地に伏していただろう。
遠い。素直にそう感じた。勇者一行とわたしの間に横たわる実力差――決して意識しないように言い聞かせても、否応なく分かってしまう。わたしは、まったくテレジアにおよばない。
ただし、実力差は勝敗とイコールではない。勝率には影響するだろうが、今さら考えたって仕方ないことだ。わずか数パーセントでも勝つ確率があるのなら、血を吐きながらでも進まなければならない。一歩ずつ、確実に。
テレジアは相変わらず、ハルツの肩にちょこんと腰かけたまま微笑んでいる。その余裕な態度が、なんとも腹立たしかった。しかし……攻撃が止まっているのはなんでだろう。さっきまではわたしの余裕をすべて奪い去るような、攻撃の嵐だったのに。
――そうか。
二人は、ただ佇んでいるわけではないのだ。きっとテレジアの言葉が、ハルツの耳に注がれている。穏やかな密室を突破された以上、戦略を共有しなおす必要があるのだ。
なら、今がチャンス――。
足を踏み出しかけて、ぐっとこらえた。
チャンスだとしたら、どうすればいい? テレジアに遠慮しない以上、ハルツの足元は文字通り死に直結している。かといってほかに狙うべき箇所も思い当たらない。身体に傷をつける程度なら簡単に治癒されてしまうだろう。
いっそのことハルツの身体をよじのぼって――いや、それも駄目だ。あれだけアクロバティックな動きが出来る以上、彼の周囲に安全地帯なんてない。
考えても答えらしきものは出なかった。そもそも、ここまで巨大な相手はキュクロプスくらいのものである。あの巨人は機動力も知恵も持ち合わせておらず、したがって攻略方法はいくつもあった。しかし、ハルツはまったく別物だ。キュクロプスとは比べ物にならないほどの攻撃速度と機敏さを持っている。そしてなにより、肩に座るテレジアが厄介極まりない。彼女は正確に魔術を制御する器用さと、防御魔術を攻撃に転化するほどの戦術、そしてなにより、奇跡と呼ばれるほどの治癒魔術を持ち合わせている。
肩、か。弱点があるとすればそこだ。テレジアを突破しなければ勝ち目なんてない。
不意に、ハルツがかがんだ。そして、巨体が宙を舞う。ちょうどわたしを跳び越えていく角度だ。
案の定、ハルツは穏やかな密室を投げ込んできた。しかし、一度見た攻撃だ。威力は高く範囲も広いが、来ると分かっていれば回避は出来る。
轟音が響き、風圧に襲われた。だが、先ほどのように吹き飛ばされはしない。余裕を持って避ければいいのだ。しかし、これでは防戦一方である。どこかで反撃のきっかけを掴まなきゃ――。
反撃へと傾いた意識は、即座に掻き消えた。
ハルツが着地したのは、比較的無事な家々が広がる地帯だった。彼は、なかでも豪壮な家屋を根こそぎ持ち上げ、振りかぶったのである。
なんだそれ。家を投げるだなんて、聞いたことがない。
その瞬間は、身構える間もなく訪れた。風を切って迫る家屋。しかも、二棟も。
テレジアがなにを考えたのか、理解した。先ほど穏やかな密室が無力化されたのが剣術によるものだと察したのだろう、彼女は。ならば、受け止めることも逸らすことも、そして地面に叩きつけることなんて不可能な物をぶつければいい――そんなところか。
確かに、家を投げるのは想像していなかった。落花流水でも、さすがにどうにもならない。その意味では、彼女の見立て通りである。
本来は家庭の象徴であり、安らぎに満ちた場所。それが今となっては、弾丸のように扱われ、紛れもなく凶器と化していた。
絶望的な状況ではある。ただ、先ほどよりは遥かにマシだ。思考する余裕すらなく、回避を続けるよりは。そしてなにより――家は、単に巨大なだけである。穏やかな密室ほどの硬度は持っていない。
集中力を高める。腕への負担を気にしていたら駄目だ。両手持ちでなんとかなるような接近速度ではない。
呼吸を整えると、頭のなかで花びらが散った。それほど没入感は深くないものの、集中出来てはいる。少なくとも、この窮状を突破するだけの集中力は確保していた。
目の前に、逆さになった玄関が迫る。タイミングを計って、サーベルを振り抜いた。そして、高速の斬撃を続ける。
木端が散り、頬を裂いていく。しかし、そんなものは少しも気にならなかった。花びらが舞い踊り、家具が散り散りになっていく。この速さを保てば、問題ない。
一軒目を突破し、二軒目も同様に、粉々に切り飛ばしていく。
やがて太陽の光が視界に蘇る――はずだった。
投擲された家屋の突破。それすら、テレジアは予期していたのだろう。目の前には、ハルツの巨大な手のひらがあった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて
・『ハルツ』→キュラスに暮らす大男。純朴な性格。自分を拾ってくれたテレジアを心の底から信頼している。『黒の血族』のひとりであり、『噛砕王』の名を持つ。詳しくは『313.「あまりに素直で不器用な長話」』『362.「破壊の渦」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。記憶喪失。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』にて
・『キュクロプス』→巨人の魔物。『51.「災厄の巨人」』に登場
・『交信魔術』→耳打ちの魔術。初出は『31.「作戦外作戦」』
・『治癒魔術』→読んで字のごとく、治癒の魔術。それほど高い効果はない。他者を癒すことは出来るが、術者自身にかけることは出来ない。詳しくは『131.「ネクスト・ターゲット」』にて




