Side Sinclair.「昇格の日の思い出」
トリクシィと組んでからというもの、シンクレールは夜間戦闘で危機的な場面など一度も遭遇しなくなった。相手取る魔物の強さこそ格段に上がったが、すべてトリクシィが危なげなく討伐する。シンクレールは常にサポートに回って魔物の足を凍らせたりする程度だったが、決して楽なわけではなかった。強敵の動きを止めるのは、たとえ一瞬であっても困難である。それまでの戦闘と比較すると、安全ではあったものの消耗は激しかった。
そして、疲労は戦闘後も積もっていく。彼女と組むということがなにを示しているのか、シンクレールもおぼろげながら理解していたものの、実際に経験するのはわけが違った。疲労困憊にもかかわらず、トリクシィの要求はとどまるところを知らないのだ。『ティータイム』がその代表である。集中なんて出来そうにないほどくたくたになった状態で、わざわざ魔術でお湯を出し、紅茶を淹れなければならない。『ティータイム』以外にも、お使いだのショッピングだの、彼女のご機嫌を取りつつ完璧にこなさなければならなかった。拒否しようものならどんなことになるのやら、シンクレールには想像することさえ恐ろしい。酒場の出入りが露見する程度なら謹慎か、悪くとも解雇であろう。ただ、トリクシィがそんな当たり前の暴露で済ますはずがない。
一度、トリクシィと組んで戦闘していることについてどう思っているか、騎士団長にたずねたことがあった。団長曰く『君たちは二人でひとつのチームだと聞いている。慣れ親しんだ相手のほうが存分に力を発揮出来るのは確かだろう。戦闘以外の時間もともに過ごすのはどうか知らないが、トリクシィからは関係良好と聞いている。今後のチーム編成の参考にもなるし、大いに頑張ってくれたまえ』。トリクシィはなにも勝手放題をしているのではなく、騎士団長に根回しをした上で公然と組んでいることを、シンクレールはようやく知ったのである。名実ともにパートナーであり、騎士団の今後を占う二人――騎士団長はそのようにしか捉えていないようだった。それを察し、シンクレールはなにも言えなくなってしまったのである。
ある夜、ついに彼女との関係性に耐えきれなくなった。その晩は通常の夜間防衛だったのだが、大型魔物――ケルベロスが出現したのである。さすがのトリクシィにも難しい相手と見え、普段は余計な魔術を命じたりもするのだが、その日のサポートの指示はやけに真剣で的確なものだった。そこでふと、シンクレールは思ったのである。疲労を理由に、致命的な場面でミスを装ったら……。
我ながら最低な考えであることくらいシンクレールにも分かっていたし、思考を振り払って真剣に魔術を行使したつもりである。が――先ほどの黒々とした考えに引っ張られるようにして、彼は誤りを犯したのである。
トリクシィがケルベロスの動きに合わせて武器を振るっている際に、合図があった。五秒後にケルベロスの懐に入るから、そのタイミングで敵の四肢を凍らせるように、と。簡単な仕事ではないが、普段のシンクレールならば不可能なものではない。ちょうど五秒後、彼女がケルベロスの真下へと駆けた。タイミングを見計らって魔術を放った瞬間、彼は目を疑った。
ケルベロスの足を凍り付かせることには成功した。ただ、位置取りが間違っていたのだ。トリクシィの足をも凍らせて、地面に釘づけにしてしまったのである。瞬時に振り向いた彼女の瞳を、シンクレールはいつまでも忘れられなかった。しっとりと覆う涙の内側で、その瞳が薄暗い輝きを宿していたことを。
すぐに解除しようとしたのだが、上手くはいかなかった。先にケルベロスが氷を破壊して後ずさり、いまだ足の凍った彼女に向けて火炎を吐いたのである。トリクシィは傘を広げて難なく防いだのだが、その間も視線はシンクレールに向けられていた。
「ご、ごめん! 違うんだ! わざとじゃないんだ!」
咄嗟に叫んだ声に、返事はなかった。その代わりに響いたのは、恐ろしいまでの慟哭である。夜闇に響くその声がなにを意味するか――シンクレールにはよく分かっていた。
やがてトリクシィは足元の氷を破壊し、傘を広げたままケルベロスへと突進したのである。そこからは一方的だった。四肢を落とし、首をひとつずつ落とし、そして巨体を両断して見せた。
ケルベロスの身体が蒸発しても、彼女の慟哭は消えなかった。シンクレールに指示を出すことなく、ひと晩中、たったひとりで、迫りくるあらゆる魔物を狩ったのである。
空が白む頃、ようやく彼女の慟哭は嗚咽に変わっていった。
「ねえ、シンクレールさん。あたくしを団長さんのところまで連れていってくれないかしら? こんなことを言うのはとっても恥ずかしいのだけれど、抱えて頂戴。あたくし、足がとぉっても痛いの」
故意ではないとはいえ、トリクシィを傷つけたのは事実である。彼女が造作なく歩けることなんてはっきりしていたが、それでもシンクレールは従わざるをえなかった。罪悪感と自己嫌悪で胸が潰れそうだったのである。これから団長のところまで行って、きっとひどい晒し上げをされるに違いないと思いながら、シンクレールは彼女を抱き上げた。
騎士団本部に入ってから団長の部屋にたどり着くまでの間、シンクレールは随分と気まずい思いをした。二人を目にした団員や事務員は黙って目を逸らすだけである。下手なことを口にしたらなにをされるか分かったものではない――そんな気持ちが透けて見えた。
団長の部屋に着いても、トリクシィはそのまま抱えているように命じた。吊るし上げのための材料だろうと思ったシンクレールは、そのまま団長と面会したのである。団長は驚いていたものの、トリクシィが負傷した旨を告げると、意外そうな表情をしつつも納得した。その後、トリクシィの口から語られたのは異様な事柄だった。
ケルベロスが出現して彼女が戦ったところまではシンクレールの見た通りだったが、そこから先が屈折していたのである。
「情けないことですが、ケルベロスに足を傷つけられてしまったんですの。立てなくなったあたくしに迫るケルベロスを、シンクレールさんがたったひとりで討伐してくださったんですのよ。あたくし、心底感動いたしました。それで、こうもおっしゃったの。――君が立てなくなったら、僕が面倒を見る、って……。今時珍しいほど真剣な殿方で、あたくし驚いてしまいましたわ」
シンクレールは耳を疑ったが、口を挟むことなんて出来なかった。
「そうか。素晴らしい活躍じゃないか、シンクレール。それで、これは婚約の報告かなにかか?」
「うふふ、そうじゃありませんの。結婚なんてとんでもない……あたくし、そんなこと全然考えていませんわ。そのことはシンクレールさんにもお伝えしたのですけど、『なら使用人でも下僕でもいい。僕の力不足で傷つけてしまった責任を負いたいんだ』なんて言うの。本当に真面目なお方……。これからも良いパートナーでいられそうだわ」
「関係が良ければそれでかまわない。――で、報告は以上か?」
シンクレールの胸で、トリクシィの髪が揺れる。
「いいえ、違うの。これは折り入ってのお願いなのですけど――彼にナンバー4の座を与えてくださらないかしら? ケルベロスをひとりで討伐出来る方なんて滅多にいませんわ。たとえパートナーのために実力以上の力を出せたとしても、評価に値すると思います。どうかしら? 考えてくださらない?」
「そう軽々に決めることは出来ないが……ナンバー4か。クロエのために欠番にしてあるのだが」
言いかけた団長を、トリクシィが即座に遮った。
「存じていますわ。でも、クロエさんはもう騎士じゃないのよ。勇者とご結婚なさっただけ……。ただでさえシフォンさんの欠番でナンバー持ちが実質減っている状況です。騎士のモチベーションにも直結する問題ですもの、クロエさんの席は埋めてもいいんじゃないかしら?」
「そうだな……考えておく」
シンクレールの序列を引き上げる。しかも、クロエの席に。あまりに唐突のことで、シンクレールにはなにがなにやら分からなかった。トリクシィの思惑がどこにあるのかも。
数日後、ナンバー4の席がシンクレールに与えられた。それが意味しているものは明らかで、シンクレールは震撼せずにはいられなかった。クロエのいた場所を継ぐことは、彼としても喜ばしいことである。しかし素直に喜べないのは、トリクシィの口先によって簡単に物事が動いてしまったからだ。言葉を上手く使えば序列までも思いのままに出来るほどの手管。それを感じ、彼は愕然とした。
「これでナンバー4のお部屋はあなたのものよ、シンクレールさん。引っ越し祝いに、紅茶でもいかが?」
トリクシィはあまりに威圧的な、満面の笑みをこぼした。
それからというもの、シンクレールは彼女に屈服し続けたのである――あの晩まで。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢」の使い手。王都を裏切ったクロエとシンクレールを討ち取ったことになっている。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』『幕間.「王位継承」』にて
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて
・『騎士団長』→名はゼール。王都の騎士を統括する存在。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『第九話「王都グレキランス」』『幕間.「王都グレキランス~騎士の役割~」』にて
・『ケルベロス』→三つの頭を持つの魔犬。機動力が高く、火炎を吐く。詳しくは『286.「魔獣の咢」』にて
・『あの晩』→トリクシィへ反旗を翻した夜のこと。詳しくは『268.「深窓令嬢」』参照




