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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第二章 第三話「フロントライン~③頂の堕天使~」
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Side Sinclair.「喪失の日の思い出」

 ノイズがする。細切れの絶叫みたいな、ひどい音。視界では、極彩色(ごくさいしき)のモザイクがめまぐるしく回っていた。シンクレール自身、今なにが展開されているのかまったく理解出来なかったし、考えることすら不可能な状態だった。無意味な情報がだらだらと流れていくだけである。


 やがてシンクレールは、ノイズの正体に気が付いた。トリクシィの泣き声だったのだ。それは(すす)り泣きでも嗚咽(おえつ)でもなく、激しい慟哭(どうこく)――シンクレールがたった一度だけ耳にしたことのある強烈な音だった。




 クロエがニコルと結婚して王都を去ってからというもの、シンクレールは心にぽっかりと穴が()いた状態で過ごしていた。なにをするにも集中出来ず、今までなら絶対にしなかったようなミスを繰り返す状態である。理由は分析するまでもなく、はっきりとしていた。クロエが王都を去ったことによる喪失感(そうしつかん)。憧れていたその背を追うことが出来なくなり、騎士である意味さえ見失ってしまったのだ。クロエがナンバー4で、自分がナンバー9。彼女の後ろにいるからこそ懸命(けんめい)になれた。その背を追い続ければ、いつか、あらゆる意味で(・・・・・・・)隣に立つことが出来るのではないかという期待もあった。それらすべてが消え去ってしまったのである。たとえ彼女が王都に戻ることがあったとしても、騎士としてではない。ニコルの妻として、でしかないのだ。


 そんなシンクレールが酒場に足を向けたのは自然な()()きだった。騎士の飲酒は禁じられていたし、酒場に出入りすることも同様にご法度(はっと)である。しかしながら、そんな当たり前で行儀(ぎょうぎ)のいい規則なんて、そのときのシンクレールにとってはひどくどうでもいいものに思えた。酒場に入ったことで罰則を受けるなら、むしろ騎士をやめるいいきっかけになるとさえ思っていた。


 (にぎ)やかな雰囲気の酒場で、今までほとんど口にしたことのなかった酒を()む。その背徳的(はいとくてき)な感覚は悪くなかったが、聞いていたほど気分は良くならなかった。量が()りないのかと思ってどんどん呑んだのだが、まったくもって愉快な気持ちは訪れてくれない。


 (きん)(おか)したのに得るものなんてなにもないじゃないか、と落胆(らくたん)しつつもカウンターでチビチビとグラスを湿らせていると、急に店内が静まり返った。下卑(げび)た笑いも(ひん)のない世間話もぴたりとやむ。不意に静寂が訪れること自体は決して不思議ではない。笑いも会話も永久に続くものではないのだ。その切れ目が偶然一致(いっち)すれば空間全体が沈黙する。ただ、そのときの静寂にははっきりとした別の理由があった。


 カウンターに腕を投げ出して()んでいたシンクレールは、隣に何者かが腰かけるのに気が付いた。けれども目は合わせず、ちらと見えたレースの手袋で女性だと分かった程度である。ほかに席はいくらでも()いているはずなのに隣に座るだなんて積極的な人だな、と思ったもののさして気には()めなかった。酒場ではこんな光景が日常なのだろう、と。


 シンクレールはひたすらカウンターの木目(もくめ)(なが)めつつ、話しかけられたらどうしようかなんて考えていた。


「い、いかがいたしましょうか」


 それまで冷静だったマスターがどもった(・・・・)のは意外だったが、そのあとの出来事はもっと意外だった。度肝(どぎも)を抜かれるくらいに。


「とびきり甘くて、ほんの少し()っぱいのがいいわ。それと、大事な条件がひとつ。アルコールが入っていないこと。だってあたくし、お酒を呑んではいけない立場ですもの」


 聴き覚えのある声に思わず顔を上げると、その人と目が合った。整った顔立ち。空色(そらいろ)の瞳。そして特徴的な、(あお)の髪。彼女の(まぶた)がいかにも(たの)しげに細くなり、薄く開かれた唇から真っ赤な舌が(のぞ)いた。


「本来は酒場に出入りすることも禁じられているのですけど、今日は特別。たまには繁華街の空気を吸ったっていいでしょう? 人間ですもの」


「え、ああ、は、はい……! では、甘くて酸っぱい物をご用意します!」


 彼女はマスターを流し見て、それからシンクレールへ視線を戻した。


「アルコールは駄目よ。ご法度(はっと)ですもの。ねえ、シンクレールさん? あら、お顔が赤いわ……具合が悪いのかしら?」


 シンクレールは息をすることさえ忘れて彼女を見つめていた。いや、視線こそ彼女に(そそ)いでいたものの、心ここにあらずだった。


 騎士団ナンバー3、落涙のトリクシィ。その評判は知っていたし、チームで魔物を討つ(さい)に一緒になったこともあった。そして当然、彼女の悪評も耳に届いている。見習いを好き放題振り回しては、ボロ切れになるまで自分に()くさせる――それも、陰湿(いんしつ)なやり口で。見習い時代は彼女の影に(おび)えて過ごしたものだった。


「シンクレールさん、あたくし夜風(よかぜ)が浴びたいわ。このお店、なんだか熱くって……。付き合ってくれるかしら?」


 シンクレールに拒否権はない。彼が震えながら(うなず)くと、トリクシィは満面の()みを浮かべて「そう……いい子ね」と艶美(えんび)なまでの愉悦(ゆえつ)(たた)えた呟きを漏らした。


 シンクレールが勘定(かんじょう)を済ませている(あいだ)も、彼女は隣でニコニコとするばかりである。


 店を出ると、先を行くトリクシィのあとをひたすら歩いた。逃げ出すことははじめから選択肢(せんたくし)にない。騎士団ナンバー3と、ナンバー9。絶望的なまでの実力差と、それに付随(ふずい)する地位の差があった。どれだけ賢く立ち回っても彼女から逃げ切ることなんて不可能だということくらい、シンクレールにも理解出来たのである。


「それにしても」クスクスとトリクシィは笑う。「随分(ずいぶん)とお(たの)しみになったのね、シンクレールさん。金貨一枚じゃ()りないだなんて、うふふ、お洋服が買える値段だわ」


 なにか答えなければと思ったが、シンクレールの口から漏れたのは「あ」とか「う」とか、言葉未満の(なさ)けない(うめ)きだった。トリクシィがなにを考えているにせよ、最悪の展開しか頭に浮かばない。


「あたくし、歩き疲れてしまったわ。そこのベンチで休みましょう? 貴方(あなた)にも休憩(きゅうけい)が必要じゃなくって?」


「はい……」


 トリクシィはハンカチを取り出してベンチに広げると、そこに腰かけた。シンクレールはというと、いたたまれない気になって、ただただ立ち()くしていた。


「シンクレールさん、あたくしだけ座ってるのは心が痛いわ。さあ、貴方も腰かけて頂戴(ちょうだい)な。それとも、貴方の分のハンカチも必要かしら?」


「あ、いや、ごめんなさい」


「うふふ、謝らなくていいのよ。さあ、おかけになって」


「……はい」


 夜の街路に沿()って設置されたベンチ。滅多(めった)に人の往来(おうらい)のない場所を選んだのはトリクシィの算段だろう。しかしながらシンクレールにはそこまで頭を働かせる余裕はなかった。(うつむ)いて石畳を凝視(ぎょうし)するだけである。


「ねえ、シンクレールさん。あたくし、ずっと考えていたことがあるの。聞いてくださるかしら?」


「……どうぞ」


 手が震える。彼女がこれからなにを言葉にするのか――考えることすら恐ろしかった。


 トリクシィはたっぷり数分間の沈黙ののち、上品に息を吸った。


「騎士団の皆さんはとっても頑張り屋さんで素敵な人ばかりですけれど、ナンバーを持っている方々はやっぱり特別だと思うの。実力の(あかし)ですものね。もちろん、勲章(くんしょう)以外の意味もあるわ。責任や人格も、気高(けだか)(たも)っているのが『ナンバー持ち』……そうでしょう?」


「……はい」


 てっきり酒場に入って酒を(あお)ったことをなじっている(・・・・・・)のだとシンクレールは思ったが、違った。彼女の言葉は前振りでしかなかったのである。それも、ひどく恐れていた内容の前振り――。


「あたくし、以前からナンバー持ちのパートナーが欲しかったの。命を預け合い、信頼し合えるパートナーのことよ。相手のことを一生懸命に考えてくださる方は素敵だけれど、あたくし達騎士はそれだけでは駄目でしょう? どれだけ優しい(・・・)方でも、実力が不足していたら同じ戦場には立てないもの。――貴方もそう思うでしょう?」


 彼女の言葉がなにを意味しているか、シンクレールには嫌でも分かってしまった。


「あたくしのパートナーになってくださる方がいれば、それまで手の届かなかった場所まで導いて差し上げるつもりよ。うふふ、こう言うとなんだか陰謀(いんぼう)めいて聞こえますわね。……ねえ、シンクレールさん。今の話、貴方はどう思うかしら?」


「……いい考えだと思うよ」


「褒めてくださって嬉しいわ。……でも、あたくしが欲しいのは評価じゃなくってパートナーですの。嗚呼(ああ)、どなたか素晴らしい方はいらっしゃらないかしら? 優しくて、スマートで、とびきり繊細(せんさい)な、そんな方。――あらシンクレールさん、お酒の(にお)いがするわ。長居(ながい)しすぎて(にお)い移りしたのね」


 (あん)(おど)されていることくらい、シンクレールにも分かった。そして、拒否したら途轍(とてつ)もなくひどい目に()うだろうことも。


 かくしてシンクレールは、トリクシィに拝跪(はいき)することとなったのである。


 そして、その関係を断ち切れなくなったのには別の理由があった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐


・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙(じゅうりん)する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢(フロイライン)」の使い手。王都を裏切ったクロエとシンクレールを討ち取ったことになっている。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』『幕間.「王位継承」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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