Side Sinclair.「過去は美わし」
※シンクレール視点の三人称です。
さらさらと囁く下草。牛の鳴き声。強風にあおられてバタバタと踊るローブ。振り仰いだ朝陽は、一日のはじまりにふさわしい健康な色をしている。
山頂の清潔な空気のなかで、シンクレールはため息をついた。落胆なのか感動なのか、自分でも答えを見出せないままにひと塊の吐息が風に吹き散らされていく。
こんな具合に、曖昧な感情に覆われることが彼にはしばしばあった。騎士として生活をしているときも、失敗の出来ない真夜中の戦場でも。曖昧な感情のあとに訪れるのは、決まって自嘲だった。あやふやな気持ちをあやふやなまま逃がしてしまう自分に呆れてしまうのである。
シンクレールは頂へと続く坂に目を戻し、内心で呟く。今は特にそうだ。はっきりと自分の輪郭を保っていなきゃならないのに、どこまで僕は鈍感なんだ、と。
そう――今は繊細な心なんて捨て去るべき時だった。目の前には桃色の豊かな髪を風に揺らす魔術師がいる。シンクレールにとっては命の恩人であり、そして、倒すべき敵だった。
矛盾なんてありふれている、とシンクレールは声に出さずに呟いた。現にマドレーヌは女性にしか見えない容姿で、言葉や仕草も見た目を裏切らない。けれど、男なのだ。揶揄するつもりはまったくないし、かといって称える気にもならない。ありふれた矛盾のひとつ。そして、僕も同じく矛盾を抱えた存在だ。クロエのことを心の底から信じているのに、でも、ふとした瞬間に疑問が浮かんだりする。何度自分に言い聞かせても、油断していると嫌な疑念が起き上がってくるのだ。我ながらうんざりする。
先ほど凍らせたマドレーヌの手足は、すっかり溶けて元通りになっていた。てっきり激昂するものとシンクレールは思っていたのだが、予想に反して彼女は静かだった。クロエにはあれほど噛みついてたのに。
「ねえ、シンクレール」不気味なほどおだやかな声で、マドレーヌは言う。「賭けをしない? 勝ったほうが相手を言いなりに出来る。ルールは、そうね……三回転んだほうの負け。どう? 平和でしょ?」
それなら、こっちが俄然有利だ。断る理由なんてない。飛び切りの好条件だと思う一方で、シンクレールはなんだか憂鬱な気になった。街では魔物が暴れ、クロエはオブライエンを追ったというのに、自分は子供じみた賭けをして遊ぶのか、と。
「君がそれでいいなら、なんだってかまわないさ」
そう、なんだっていい。早く終わらせてクロエを追わなきゃならない。しかし、そこにも矛盾があった。恩人を傷つけるというのに、なんて不真面目な態度なんだ、と。
「アイツのことしか頭にないのね」
見透かされて、シンクレールは苦笑した。まったく否定することが出来ない。そんな自分に、仕方ない、と言い聞かせる。だってずっと憧れてきたのだから。その気持ちは今だって変わらない――。
魔術訓練校に通った理由なんて些細なものだった。将来の選択肢が広がる。その程度の感覚である。魔術訓練校を出れば、その先の道のりはぐんと開けるのだ。魔術の心得があれば魔具職人を目指すことも出来るし、真偽師のような特殊な役職につくことだって不可能ではない。あまりにも将来が漠然としているから、とりあえず選択肢を増やせるように。そんな思いで魔術訓練校に入ったのである。
そしてすぐに打ちのめされた。天才がいたのだ。通常は魔具訓練校と魔術訓練校の両方に通うなんてこと出来ないが、その人だけは例外で、なおかつどちらでもトップクラスの成績を出していた。魔具を扱える魔術師というだけでも引く手あまたなのに。どうしたって追いつけやしない。シンクレールはそんなふうに捉えていた。
卒業間近になった日、ある噂を耳にした。なんでも、例の天才に追いつくために図書館に通い詰めている子がいる、と。しかも、そいつの幼馴染なんだとか。
どうしてそんな努力が出来るのか、シンクレールには理解出来なかった。途轍もない才能を見せつけられてなお、その場所へ這い上がろうだなんてどうかしてる。
「頭のネジが外れてるのさ。だって、そうだろう? 普通に考えたら追いつけっこないものを目指すなんて馬鹿げてる。その分の努力をほかに回せば、もう少しマシなところへ行けただろうに。魔具訓練校の連中が全員騎士になるわけじゃないんだからさ」
級友はそう言っていた。魔具訓練校が騎士団の予科と揶揄されていたのは事実だが、上手く根回しをすれば内地の警備兵にだってなれる。天才の幼馴染とやらは、噂を聞く限り、迷いなく騎士を志願したらしい。
早死にするだけなのに、としか思わなかったが、ある日図書館でばったりとその子に出くわした。書棚をうろついていたら、聞きおよんでいた容姿の子がいたのである。彼女は図書館の隅っこで、黙々と本を捲っていた。その目は真剣なのに、どこか夢を見ているような印象があった。
シンクレールから話しかけることはしなかったし、その子も接してくることはなかった。ただ同じ空間にいたというだけのこと。ただ、シンクレールの頭に彼女の姿がいつまでも残った。天才の幼馴染。騎士志願。紙面に目を落とすその姿。それは日を経るごとに強烈な記憶となってシンクレールの心を占めたのである。
すでにシンクレールの進路は決まっていた。魔道具専門の職人見習いとして工房に通うことになっていたのである。それを選んだ理由は単純だ。あまり人と関わることもなく、いたずらに命を脅かすこともない。そして、そこそこの信頼と尊敬を得られる。
そこそこの人生。強く心惹かれるものや、胸に抱いた使命がない人間が目指すべきはそれだと、シンクレールは自分自身に言い聞かせていた節がある。数日後には卒業し、そこそこの人生の第一歩を踏み出すことだろう。そんなふうに考えると、やけに胸が騒いだ。きっとこの先、自分はあの子と関わり合うことはない。むろん、あの天才とも。彼女たちに待っているのは、平凡さからかけ離れたドラマチックな人生に違いない。ある意味では嘲笑と苦痛に覆われた人生。際限ないほどの困難が立ちはだかるだろう。それでも彼女たちは歩むのをやめないはずだ。根拠はないけど、なぜだか確信出来る。
これはシンクレール自身にも理解出来ないことだったが、卒業の前日、職人含め方々に頭を下げに行った。別の進路を選ぶ、と。誰もが首を傾げたが、一番疑問に思っていたのはほかならぬシンクレール自身である。なぜ安定した道から外れるのだ、と何度も自問した。けれど、答えは論理的な言葉になってはくれない。ただ、あの子の姿が頭にこびりついて離れなかったのだ。なにより、『そこそこの人生』とやらに嫌気がさしてしまった。
卒業後、シンクレールは騎士団の門をくぐった。あらゆる人の反対を押し切り、選択したのだ。『気が狂った』だの『自殺志願者』だの、くだらない影口はいくらでも耳に入ったが、それでも決めたのである。
ドラマチックな人生がほしかったわけでもないし、英雄じみた活躍が出来るなんて自惚れは欠片もない。
ただ、あの子――クロエの強さの理由が知りたかっただけだ。挫折したって不思議じゃない環境なのに、努力を続けられるのはどうしてなのか。そして、出来ることなら自分自身もそうでありたかった。壁を見て、回れ右をする以外の生き方をしてみたかった。ただそれだけのこと。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『マドレーヌ』→『救世隊』の魔術師。性別は男性だが、女性の格好をし、女性の言葉を使う。シンクレールに惚れている。詳しくは『317.「マドレーヌ」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。記憶喪失。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』にて
・『天才』→ここではニコルのことを指す。
・『真偽師』→魔術を用いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を担う重要な役職。王への謁見前には必ず真偽師から真偽の判定をもらわねばならない。ある事件により、真偽師の重要度は地に落ちた。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『261.「真偽判定」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『魔具職人』→魔術を籠めた武器である『魔具』を作る専門家。基本的に魔具は、魔術師には扱えない
・『魔術訓練校』→王都グレキランスで、魔術的な才能のある子供を養成する場所。魔具訓練校とは違い、卒業後の進路は様々
・『魔具訓練校』→王都グレキランスの騎士団予科。魔術的な才能のない子供を鍛えるための学校。訓練内容に関しては『92.「水中の風花」』参照
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて




