363.「頂の包囲網 ~たったひとつの突破口~」
陽光を受けて刃が煌めく。その輝きは、わたしの手にしたサーベルばかりではない。周囲を取り囲む住民――彼らの手にした思い思いの武器が光を反射しているのだ。どこにしまっていたのか分からない剣やナイフ。包丁。鋤や鍬、スコップといった農具まである。性別も年齢層もバラバラだ。そんな彼らに共通しているのはキュラスの住民であることと、そして、わたしを敵視していること……。
わたしを取り囲んだ住民は、その姿も、緊張した面持ちも、人間にしか見えなかった。なかには目尻を光らせている人もいる。
見知った顔も、当然いた。懺悔室で束の間の会話を交わした婦人。キュラスで最初に出会った老人。そして、一緒に空芋を掘った人々……。
心臓が、段々と鼓動を強くする。彼らは魔物なんだ。この目で見たじゃないか。そして、すべての魔物が元々人間だとするなら、集中力を乱す理由なんてどこにもないはず。そのはずなんだ。
『噛砕王』の咆哮は、なにか特別な意味を持っていたに違いない。本来彼らは怯え切っていたはずなのだから。それがこんなふうに刃物を手にしてわたしを取り囲むなんてありえない。けれど洗脳だとか、そんなものではないことだけははっきりしていた。彼らの瞳には強い意志が籠っている。それが『噛砕王』の雄叫びによって呼び覚まされたものだとしても、偽物とはいえない。
嫌な汗が背に滲む。心臓はどくどくと落ち着きなく、情けないことに手元が震えた。冷静になれ、と内心で叫んでも意識に根付いてくれない。
やがて、恐れていたことが起こった。
住民のひとりが雄叫びを上げて突進したのである。ひとりかわし、ふたりかわす。周囲を見回しても、一帯をぐるりと囲んだ住民たちは隊列を崩そうとしない。数人だけがこうして刃を無茶苦茶に振るうだけだ。これでは混乱に乗じて包囲網を無理矢理抜けることも不可能である。
迫る刃には、微塵も躊躇いがない。その動きは単なる農民のものとは思えないほど俊敏だが、かといって魔物のそれとも異なっている。いっそのことギボンになってくれれば、と願ったが虚しいだけだった。彼らはあくまでも、昼間は人間なのだから。
肩に痛みが走った。続いて、わき腹が蹴りつけられる。よろめきに任せて後退すると、別の住民の刃が顔をかすめた。
彼らは本気だ。焦りがあろうと、苦悶に顔を歪めていても、涙を流していても、本気でわたしを討ち取ろうとしている。
「や――!」
やめて。そう叫ぼうとした声が喉の奥に引っ込んだ。
どうしてそんな叫びを理解してもらえるだろう。わたしはキュラスの頂点に君臨する『教祖』を討とうとしているのだ。彼らにとってわたしは、絶対に食い止めなければならない悪に違いない。
どんなに言葉を尽くしても、平行線じゃないか。
こうなることは分かってたはずだ。キュラスを再訪する以前から。なのに惑わされてしまうのは、やっぱり自分自身の芯の弱さだろう。
唇を噛み、住民のナイフを避けた。
必要最低限。それを意識するんだ。彼らを斬らなければならないのなら、傷を最低限に収めればいい。
鍬を持って突進する老人をかわし、その背を斬りつけた。瞬間――。
「ぅうぁあああぁぁ――!!」
苦悶の叫びだった。それは否応なく耳に届き、脳を通過し、心へ掴みかかる。人を斬った。その悲鳴を聴いた。それが事実なのだ。
老人は動きを止めたが、ほかの住民はますます勢いを増して迫ってきた。逡巡している暇なんてない。後悔なんて、あとで死ぬほどすればいい。
青年のナイフを叩き落とし、その勢いのまま胸を斬りつけた。スコップを振り下ろす女性の脚を払い、地面に叩きつける。少年の後頭部を柄で殴り気絶させ、老女を転ばせ、男の腹を蹴りつけた。
……いつまで経ってもこの悪夢は終わりそうになかった。けれど、地に伏した住民は確実に数を増して――。
全身から血の気が引くのが、自分でも分かった。倒れていた住民の身体に、魔力が一瞬だけ漲り、すぐに消えたのである。直後、彼らはゆらりと立ち上がる。その身体には、ほんの少しの傷もなくなっていた。先ほど胸を斬った青年は服こそ裂けて血が染みていたが、肝心の傷は綺麗さっぱり消えている。
「テレジア!!!」
思わず叫んでいた。彼女が彼らの傷を癒し、再び戦えるように仕上げたのは疑いようがない。ハルツ――いや、『噛砕王』にしたのと同じく、遠隔で治癒魔術を施したのである。彼女の治癒は完璧だった。奇跡と称されてしかるべきものだろう。
終わらない悪夢。違いない。住民たちはたとえ立ち上がれないほどのダメージを受けても、すぐに回復してしまうのだ。そして、わたしの肉体と精神ばかりが磨り減っていく……。
どうしようもないじゃないか、こんなもの。勝ち目がない。
不意に、全身に寒気を感じた。肌が粟立ち、呼吸が乱れる。なにかが起こったわけではない。自分自身の心に芽吹いた考えに、身体が震えたのだ。
迫る住民をかわし、自分の胸に手を当てた。心臓ははち切れんばかりに高鳴っている。
テレジアの治癒魔術を突破する方法が、たったひとつある。元々わたしは、それを知っていたはずだ。あまりにも直視したくない考えだからこそ、頭の奥底にしまっていたのかもしれない。無自覚に。
一撃で、息の根を止める。
それがたったひとつの方法だ。
テレジアが癒せるのは――いや、そもそも治癒魔術が有効なのは、生きている者だけなのから。
キュラスに来る前から、こんなことになるかもしれないと決心していたんだ。覚悟を決めていたんだ。なのに、身体が上手く動いてくれない。手元が、先ほど以上に震える。うるさいくらいに耳鳴りがして、頭が揺さぶられるみたいに気分が悪い。
気付いたら、住民の隊列に突っ込んでいた。彼らを足場にして跳び上がる――と、目の前に同じく跳び上がった住民がいた。彼がかまえた棍棒が振り下ろされる。
腕の痛みと、落下していく感覚。そして、打ち付けられた背に広がった砂の感触。
わたしを取り囲む刃が見えた。それは陽光をギラギラと反射し、まさしく凶器そのものとしか思えない威圧感を放っている。
振り下ろされたいくつもの刃を、間一髪のところで、転がりつつかわす。
呼吸が上手く出来ない。さっき背中を打ったせいだろうか。それとも……。
信者の包囲網を突破するのは不可能だ。いくつもの必死な魂が、わたしを討とうと目を光らせているのだから。たったひとりでどうにか出来るものではない。隊列に突っ込んだところで、待っているのは先ほどのような返り討ちである。
駄目だ。対峙しなきゃ、駄目なんだ。こんなとき、わたし以外の誰かならどうするだろう。たとえば――。
『誰か』として真っ先に思い浮かんだのは、こちらに背を向ける男だった。コートを羽織ったその身はあまりにも痩せすぎていて、まるで骸骨……。
なんでヨハンのことが頭に浮かんだんだろう。ああ、そうか。わたしは今までずっと彼に頼りきりだったのだ。きっと、その癖が抜けていないのだろう。手酷く裏切られたのにこうして考えてしまうなんて、愚かじゃないか。
思考はそう長く続けられなかった。住民のひとりが手にした剣が眼前で閃く――。
それは、途轍もなく嫌な感触だった。グールの身を裂くのとはわけが違う。鼓動をつかさどる唯一の器官。そこからサーベルを引き抜くと、生温い飛沫を顔に浴びた。
ああ、これは返り血か。
倒れる青年の目に、反応はなかった。そこに宿っていた生命は、すでに消え去ってしまったのだ――いや、わたしが奪ったと言うべきだろう。
悲鳴と怒号。慟哭。迫りくる刃。目や肌、耳や鼻、果ては口から得られるあらゆる情報が、フィルターを幾重にも通したようにぼんやりとしていた。
その中心でわたしは、なにかが砕けるような音を確かに聴いた。身体の内側を壊さんばかりに鳴った、たった一度の鼓動を。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて
・『ハルツ』→キュラスに暮らす大男。純朴な性格。自分を拾ってくれたテレジアを心の底から信頼している。『黒の血族』のひとりであり、『噛砕王』の名を持つ。詳しくは『313.「あまりに素直で不器用な長話」』『362.「破壊の渦」』にて
・『噛砕王』→別名『育ちすぎた魔猿』。『黒の血族』だが、ろくに言葉を扱えず、粗暴な性格。人里離れた場所を好む。毛むくじゃらの巨体が特徴。テレジアに拾われ、頂の街キュラスで青年ハルツとして暮らしていた。詳しくは『294.「魔猿の王様」』『362.「破壊の渦」』にて
・『ギボン』→別名『魔猿』。毛むくじゃらの姿をした人型魔物。森に出現する。詳しくは『294.「魔猿の王様」』にて
・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて
・『空芋』→皮の部分が空色に染まった芋。汁気が多く、栄養価が高い。詳しくは『331.「来る者と去る者 ~芋掘り体験~」』にて
・『治癒魔術』→読んで字のごとく、治癒の魔術。それほど高い効果はない。他者を癒すことは出来るが、術者自身にかけることは出来ない。詳しくは『131.「ネクスト・ターゲット」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。一度魔物に滅ぼされている




