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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第二章 第三話「フロントライン~③頂の堕天使~」
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362.「破壊の渦」

 ハルツの瞳から(あふ)れ出ていた涙が、唐突(とうとつ)に止まった。わたしが彼の正体を看破(かんぱ)したことが原因だろう。その反応を見る限り、『噛砕王(ごうさいおう)』に聞き覚えがないわけではなさそうだった。その響きを知っているからこその反応だ。


 彼を刺激しないよう、少しずつ後退する。一歩、二歩。


 ハルツはこちらに襲いかかってくるわけでも、とぼけてみせるわけでもなかった。ただただ黙ってこちらを(なが)めるばかり。


 その唇が、ほんのわずかに開かれる。


「『噛砕王』……」


 記憶をめぐるように、ぽつりと呟く。


 彼はほかの魔物とは違うはずだ。昼と夜とで姿が否応(いやおう)なく変化してしまう血族(けつぞく)なんて聞いたことがない。


 沈黙が続く。ハルツの視線は動かなかったが、その瞳はもはやわたしを認識していないように思えた。記憶の底の底。積もった(おり)(すく)い上げて正体を確かめているような、そんな具合。


 不意に、(ささや)きが耳に届いた。落ち着き払った声が(りん)と響く。


『クロエさん。残念ながらわたくしと貴女(あなた)は、相容(あいい)れないようですね。ニコルさんと旅をしているときにも、何度かこういった場面はありました。その(たび)に迷ったものです。本当に自分が正しいのか、と……。クロエさん。その()てでわたくしは知ったのです。……人は間違いを犯します。ほとんど無意識に。しかし、それで良いのです。いつか必ず懺悔(ざんげ)(とき)が訪れますから。わたくしは今日の選択を、いつか懺悔するかもしれません。それでも、わたくしは今日という日、わたくしという()りかた、(つむ)いだ言葉、それらすべてを正しいと確信しています』


 ぱちん、と(はじ)くような音が聴こえた。けれども、物理的になにかが起こったわけではない。それはきっと、これまでテレジアが(おさ)えていたものを()(はな)った音だったのだろう。


 音の直後、ハルツは(うずくま)って頭を(かか)えた。そしてしきりに「思い出した、思い出した、思い出した」と繰り返している。


 忘却(ぼうきゃく)魔術。そのことに思い(いた)ると同時に、後方へ()んだ。ハルツの身体から毒々しいまでの魔力――(いな)、呪力が噴出(ふんしゅつ)したからだ。それは(せき)を切ったように辺りに満ち、やがて彼の肉体へと収束していく。


 サーベルをかまえ、ハルツを見据(みす)えた。これからなにが展開されるにしても、望ましいものではないだろう。血の匂いの()えない悪夢に違いない。


 ちらりと教会を見上げると、目を疑うような光景がそこにあった。テレジアが、防御魔術を解除していたのである。


 そんなことをしたら魔物が――。


 しかし、大型魔物はテレジアに見向きもしなかった。彼女の魔力は巧妙(こうみょう)隠蔽(いんぺい)され、その代わり、ハルツの身にさらなる魔力(・・)(あふ)れたのである。


 魔物を引き寄せる魔術――疑似餌(アトラクタント)。それも、飛び切り強力なものを、ハルツの身体に対して(ほどこ)したのである。


 キマイラが次々と急坂を下り、ルフが急降下してくる。いずれも目標はハルツだった。地鳴りが(とどろ)き、キュクロプスがゆっくりと移動する。


 巻き込まれない程度に距離を置くと、(うずくま)ったハルツにキマイラが飛びかかった。あまりに一瞬のことで、ただただ見つめることしか出来ない。ハルツは今、大量の魔物の下敷(したじ)きになって、その身を裂かれているに違いなかった。


 なぜ彼は()けようとも、応戦しようともしなかったのだろう。疑問が頭を(おお)()くし、やがて予感へ変わった。精神か肉体かは分からないが、ハルツの肉体はまだ、整っていなかったのではないか。大量の魔物が(せま)ってきても身動き出来ない程度には。


 通常なら、ひとたまりもない。あれだけの(むれ)に襲われて生きていられるはずがないのだ、本来は。そう――急坂の上から遠隔(えんかく)治癒(ちゆ)魔術を使われていなければ。


 一瞬で起こった変化は、またも瞬間的な異変へと遷移(せんい)した。


 (むら)がる魔物の中心に、巨木ほどもある毛むくじゃらの腕が伸び、キマイラを掴んだかと思うとあっという()に地面へ叩きつけたのである。腕がもう一本伸び、ルフの身体を振り回し、別のルフへと投擲(とうてき)する。もうもうと上がる土煙のなかで、次々と魔物が投げ飛ばされた。


 魔物が蒸発する(さい)(もや)と、土煙。そして血飛沫(ちしぶき)。それらがヴェールとなっている。


 なにが起こっているのかは、おおかた想像がついた。ロジェールの見た大猿。そいつが(むれ)の中心で次々と魔物を討ち取っているのだ。


 息を()み、目を()らすことしか出来なかった。あの破壊の(うず)の飛び込んでいったら、間違いなく無事ではいられない。


 またも、耳元に(ささや)きが響く。


『一度忠告したはずです。貴女が次にキュラスを訪れたら容赦(ようしゃ)しない、と。しかし、もし貴女が降伏し、この街を永久に去ってくれるなら――全力で守りましょう。……いかがいたしますか?』


 この()におよんでまだ退路を作ろうとするだなんて。甘い……のだろうか。たぶんテレジアのそれは、わたしの甘さとは決定的に違う。強さと信念に裏打ちされた、生きかたそのものなのかもしれない。


 煙が晴れ、ようやく『噛砕王(ごうさいおう)』の全貌(ぜんぼう)(あら)わになった。それはロジェールの語った通り、本能的な(おび)えを誘ってやまない姿である。十メートル近い巨体。相応(そうおう)に発達した筋肉。全身は黒の毛で(おお)われており、皮膚は紫、顔は猿そのものだった。


 これが彼の本来の姿なのだろう、きっと。今まで見せていた純朴(じゅんぼく)で不器用な青年ハルツは、テレジアか彼自身の変装に違いない。


 すでにキマイラは全滅していた。あとは彼の頭上を飛ぶ二体のルフのみ。


『噛砕王』の身体が沈み込むと、一瞬でその巨体がルフの高さまで躍り上がった。二体をそれぞれの腕でがっしりと(つか)むと、下敷きにするように落下して――。


 轟音と地震。立っているのがやっとだった。


 消えていくルフ。割れた地面。むくりと立ち上がった大猿。


 これを絶望的と言わずになんと言おうか。


 大猿は天を(あお)ぎ、その口を裂けんばかりに開いた。まずい、と思って咄嗟(とっさ)にサーベルを(おさ)めて両耳を(おお)う――。


 ――!!


 殴られたような衝撃が後頭部に広がり、平衡(へいこう)感覚を失いそうになる。そのあとに訪れたのは、巨大な耳鳴りだった。まるで警告音のように、それは響き続ける。


 大猿の咆哮(ほうこう)。予期していたし、その強烈さも想像がついていた。けれども、耳を(ふさ)ぐ以外に対処のしようがなかったのは事実である。


 段々と耳鳴りが収まり、音が返ってくる。しかし頭にはじんじんと鈍痛(どんつう)の波が寄せては返していた。


『噛砕王』はゆったりと周囲に視線を移し、最後にわたしを見つめた。感情の読めない、黒目だけの瞳。彼の口がゆっくりと開かれる。


「まだ残ってる」


 おそろしく低く、朗々(ろうろう)と響く声。


 まだ残ってる……わたしのことだろうか。殺すべき標的がいることを、確かめたのか。奥歯を噛みしめ、サーベルをかまえた。気圧(けお)されるな。あれよりも大きい魔物は今までだって討伐してきたじゃないか。怯えるな。戦うんだ。


 しかし、『噛砕王』の次の言葉は意外なものだった。良いかどうかはさておき、まったく想定外の台詞(せりふ)だったのである。


「俺はデカいのをやる。お前らは、あいつをやれ」


 あいつ、というのがわたしを指していることは理解出来た。しかし、お前ら(・・・)とはなんのことだ。


 理解の追いつかないまま、『噛砕王』を目で追う。急坂を登りはじめた彼が目指すのは――キュクロプスだ。


 まだ生き残っている魔物がいるから始末する、というわけか。けれど、ほっと胸を()で下ろせるような状況ではない。むしろ、さっきよりも厄介なことになっていたのである。


 息を()んで周囲を見回す。


 辺りには、人間の姿をした存在――キュラスに住む、敬虔(けいけん)な信者たちがいた。彼らは少しずつ数を増し、やや距離を()けてわたしを取り囲んでいった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐


・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳(ぎゅうじ)る女性。奇跡と(あが)められる治癒(ちゆ)魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて


・『ハルツ』→キュラスに暮らす大男。純朴な性格。自分を拾ってくれたテレジアを心の底から信頼している。『黒の血族』のひとりであり、『噛砕王(ごうさいおう)』の名を持つ。詳しくは『313.「あまりに素直で不器用な長話」』『362.「破壊の渦」』にて


・『噛砕王(ごうさいおう)』→別名『育ちすぎた魔猿』。『黒の血族』だが、ろくに言葉を扱えず、粗暴な性格。人里離れた場所を好む。毛むくじゃらの巨体が特徴。テレジアに拾われ、頂の街キュラスで青年ハルツとして暮らしていた。詳しくは『294.「魔猿の王様」』『362.「破壊の渦」』にて


・『ロジェール』→キュラス付近の山岳地帯にひとりで住む青年。空を飛ぶことに憧れを抱き、気球を完成させた。テレジアの幼馴染であり、元々はキュラスの住民。『救世隊』の一員だった。詳しくは『298.「夢の浮力で」』『347.「収穫時」』『349.「生まれたての太陽の下に」』にて


・『キマイラ』→顔は獅子、胴は山羊、尻尾は蛇に似た大型魔物。獰猛で俊敏。『吶喊(とっかん)湿原』のキマイラのみ、血の匂いに引き寄せられる。詳しくは『100.「吶喊湿原の魔物」』『114.「湿原の主は血を好む」』にて


・『ルフ』→鳥型の大型魔物。詳しくは『37.「暁の怪鳥」』にて


・『キュクロプス』→巨人の魔物。『51.「災厄の巨人」』に登場


・『呪力』→魔物の持つ魔力を便宜的(べんぎてき)に名付けたもの。質的な差異はない。初出は『4.「剣を振るえ」』


・『忘却(ぼうきゃく)魔術』→記憶を喪失させる魔術。短期的な記憶に限り、消せると言われている


・『疑似餌(アトラクタント)』→魔物の持つ魔力誘引特性を利用した魔物引き寄せの魔術。対象の身体に魔力を注ぎ込むので、対象者が引き寄せの力を持つ。詳しくは『83.「疑似餌」』にて


・『治癒魔術』→読んで字のごとく、治癒の魔術。それほど高い効果はない。他者を癒すことは出来るが、術者自身にかけることは出来ない。詳しくは『131.「ネクスト・ターゲット」』にて


・『黒の血族』→魔物の()と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて


・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。一度魔物に滅ぼされている

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