355.「遠い記憶。大切な未来」
部屋に戻ると、まずロジェールの感謝に迎えられた。
「こんなに綺麗になるだなんて思ってもみませんでした! ありがとうございます!」
「どういたしまして。今後は定期的に掃除してね」
すると、ロジェールは苦笑しつつ曖昧に頷く。あ、掃除する気ないな、この人。
「それはそうと、荷物が見つかったようでなによりです」とヨハンが口を挟む。ニヤニヤ笑いを浮かべて。
まったく、全部知ってたくせに。
「ええ、おかげさまで……。オブライエンはすごいわね。バラバラのサーベルを治しちゃえるんだから」
久しぶりに手にしたサーベルはずっしりと重たかった。手に入れたときと同じ重量なのはいたしかたない。そもそも元通りになるとは思っていなかったのだから。
「いやはや、素晴らしいことです」
そう返すヨハンの考えていることは大体分かった。これまではシンクレールの力を借りてようやく戦うことが出来たのだが、これからは単独で存分に力を発揮出来る。
靴音がして、オブライエンが部屋に現れた。得意気な笑みが顔いっぱいに広がっている。
「親切するのは気分がいいですね! お役に立てたようでなにより」
「ええ、本当に感謝してる」
「吾輩の胸に飛び込んできても良いのですよ!」
「ごめん、それは遠慮しておくわ。――でも、ありがとう」
相変わらず冗談の上手い人だ。
結局サーベルを修繕してもらった代わりに、その出所をすべて話してしまったけど……。『最果て』のことを口に出すのは躊躇われたが、オブライエンに嘘や誤魔化しが通用するとは思えなかった。それでやむなく、彼の知りたがっていた情報を渡したのである。
彼はテレジア討伐の話を聞いたときと同様に、倫理的な問題には踏み込んでこなかった。『最果て』に職人がいることにひたすら驚いている様子を見せただけである。
もとよりオブライエンの目的は、自分の義手を作り出した職人に会うという点のみであるらしい。さすがに『親爺』が彼の身体を整えたとは考えられないけど。オブライエンもそう思ったらしく、苦笑を浮かべていた。
『最果て』のことは口外しないように念を押したし、彼もすんなりと合意してくれた。けれど、果たしてどうなるやら……。まあ、こちらの正体が知られるよりはずっとリスクが低い。
やがて食事がはじまり、黙々と高山蜂の巣を口に運んだ。この甘さは何度食べても飽きそうにない。
「気球の仕上がりはどう?」
なんとなく気になってたずねると、オブライエンは上機嫌に答えた。
「上々です。あと三日あれば完成しますね。向かい風でも進めるような仕組みはすでに出来上がっていますから、あとは全体を整えていくだけです」
三日。それを長く感じてしまうのは、やはり焦りのせいだろう。
気球が完成しなければ、どの道キュラスに入ることなど不可能だ。だったら、あとの時間を有効に使うべきだろう。
食後、すっかり暗くなった森を歩いていた。夜の入り口に、足音が二人分響く。
「気球はいいの? ネロくん」
「もう充分堪能したからね、ハルさん」
食後の散歩に行くと言って小屋を出たのだが、シンクレールも同行すると言って聞かなかったのだ。
「それに、もし魔物が出たら大変じゃないか」
取り繕うようにこぼすシンクレールが、なんとなく面白かった。たとえ魔物が出たってひとりで討伐出来る。そんなことくらい彼だって重々承知しているはず。あまりに見え透いた嘘だ。
川まで降りると、足を止めた。さらさらと流れる水音。ひんやりと冷たい空気。虫の演奏。星灯りが水面に反射して、落ち着いた、静かな気持ちにさせる。
振り向くと、シンクレールと目が合った。そして、サーベルを抜く。
サーベルはまるで、他人行儀な重さだった。最初に手にしたときと同じように。
これから少しずつ慣らしていかなければならない。使えば使うほど軽くなっていったこの刃を、再び自分のものにするのだ。そのために絶好の相手がいる。
滑らかに煌めく刀身をシンクレールに向けた。そして、ニッコリと笑いかける。
「せっかく付いてきてくれたんだもの。付き合ってくれるわよね?」
「もちろん。そのために来たからね」
懐かしい。見習い時代、よくこうして二人で特訓したっけ。あのときと今とでは全然状況が違うけど、それでもこうして腕を磨き合えるのは幸運だ。とんでもない不幸のただなかにあっても、そのなかに幸運は含まれている。
「手加減しないわよ」
「こっちだって」
川沿いに腰かけ、火照った身体を冷ます。両腕にはじんわりとした痺れと倦怠感が広がっていた。このサーベルの重さだと、まともに扱えるのはせいぜい一時間程度か。たとえ両手持ちであっても負担は大きい。
「驚いた……随分強くなったね」とシンクレールは川沿いの草むらに大の字になって言う。
「あなただって同じよ」
シンクレールの魔術は、見習い時代と比較にならないほど上達していた。繊細さと強靭さ。その両方をバランス良く磨いていったことが良く分かる。
「そりゃあ、嫌でも上達するさ。でなければ生き残れないからね」
「そうね……」
命を削って戦ってきたのだ、わたしたちは。騎士として夜に挑むのは、生半可な覚悟では出来ない。与えられた任務をまっとうするだけの力と、不測の事態に対処出来るだけの判断力、そしてどんな悲劇にも耐えうる精神力を要求されてきた。今のわたしたちの実力は、過酷な夜を超えてきた結果なのだ。
もはや遠い記憶だけど。
シンクレールを横目に見ると、彼はなんとも言えない寂しそうな表情で空を見上げていた。きっと考えていることは同じだ。もう戻れない日々、戻ることの出来ない土地。そこで生きる人々の、わたしたちに対する感情。王都に紐づく記憶と想像が胸に浮かんでは消える。
「大事なのは今だ」
ぼそり、と彼が呟いた。
「今後のことも、ね」
この先どうなるのか。どうすれば歩みを止めずに目的を果たせるのか。常に問い続けなければならない。そんな思いを込めて口にしたのだが、隣からは小さなため息が聴こえた。
「僕には先のことなんて分からない。重要な目的も、理想も、なにもないんだ。あるのはシンプルな行動原理だけだよ。……君についていく。それだけ。情けなくなるくらい単純だ」
「……情けなくなんてないわ。半端な勇気じゃ出来ないことだもの」
「僕は決めただけだよ。どう自分が生きていくか、そして、なにを信じるか。……結果的にクヨクヨすることはあっても、それを後悔だなんて思いたくないな」
シンクレールが気弱で繊細な青年であることには変わりない。だけれど、彼は彼にしか出来ないような方法で覚悟を決めたのだ。気弱で繊細で、それなのにわたしよりもずっと強い。なんだか不思議な感じ……。
「きっとそのうち、なにもかも良くなるわ。そうでなきゃ、あまりにひどすぎるもの」
「そうだね」
目的を果たすまでどれほどかかるのか分からない。けれど絶対に足を止めるつもりはなかった。どれほど遠い道のりだろうとも、歩み続ければたどり着けるはずだから。
「さて――もうひと頑張りしようか」
シンクレールは立ち上がり、わたしに手を差し伸べた。その笑顔が、なんだか寂しげな感情の裏返しに思えてしまう。考えすぎだろうか。
「エスコートするよ」
「あなたも冗談を言えるようになったのね」
その手を握ると、繊細で、けれども力強いエネルギーを感じた。
どんな過酷な状況であっても、前進出来る。きっと。わたしたちは三日分、きっちり前に進むのだ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照。現在クロエは、彼女の名を偽名として使っている。
・『ネロ』→クロエの出会った死霊術師。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照。現在シンクレールは、彼の名を偽名として使っている。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて
・『ロジェール』→キュラス付近の山岳地帯にひとりで住む青年。空を飛ぶことに憧れを抱き、気球を完成させた。テレジアの幼馴染であり、元々はキュラスの住民。『救世隊』の一員だった。詳しくは『298.「夢の浮力で」』にて
・『親爺』→アカツキ盗賊団の元頭領。彼が製造した武器がクロエの所有するサーベル。詳しくは『40.「黄昏と暁の狭間で」』にて
・『高山蜂』→標高の高い地域に生息する蜂。針には毒がある。崖に巣を作る。巣は甘く、食料として高値で取引されている。詳しくは『300.「幸せな甘さ」』『303.「夜の山道」』にて
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。一度魔物に滅ぼされている
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




