354.「大掃除 ~乙女の荷物は、いずこやら~」
作戦会議を終えて小屋に戻ったわたしを出迎えたのは、満面の笑みのオブライエンだった。
「おかえりなさいませ、ハル嬢! 昼下がりの散歩はいかがでしたか? さぞやリラックス出来たでしょう」
「え、ええ、おかげさまで……」
なぜかわたしの手を取ってぶんぶんと振るオブライエンがよく分からなかった。どうして彼はこんなにも上機嫌なのだろう。ヨハンとシンクレールは作業を続けるロジェールを囲んで気球談義をはじめてしまって、この妙な状況から救ってくれそうにない。
「随分とご機嫌ね。良いことでもあったの?」
「そりゃもう! そうそう、ハル嬢には事後報告になってしまって申し訳ないが――」言いかけて、彼はぺろりと舌を出す。それから人さし指を自分の唇まで持っていってウインクした。
「え、なに?」
面食らってたずねたが、オブライエンはニコニコと首を横に振った。「いえ、なんでもありません。あとのお楽しみにしましょう。いずれ気付いてしまうかもしれませんが」
「すごく気になるんだけど」
「吾輩も、口にしたくてウズウズしてます。しかし! すぐに言っては勿体ないではありませんか! 秘密を愉しみましょう、お互いに」
「いい秘密なら歓迎だけど……」
「そりゃもう! とびきりの秘密です。――そう不安そうな顔をしないでください。きっとハル嬢は驚きますよ。そして、吾輩の胸に飛び込むかもしれません」
そして、オブライエンは二度目のウインクを放った。自信たっぷりに。
彼の言う秘密がなんなのかさっぱり分からなかったけど、あまり追及しても面倒だ。こうも自信満々だと余計に。
「なにがなんだかさっぱりだけど……期待してるわ」
「おまかせあれ!」
そう返すや否や、オブライエンは颯爽と気球に向かってしまった。なんだろう、気球に特等席でも作るのだろうか。
ぼんやりとイメージを浮かべて、思わず苦笑してしまった。気球の天辺にちょこんと設置された椅子が思い浮かんだのである。彼ならやりかねないし、それはそれで驚きだ。けれど、全力でごめんこうむりたい。景色は最高だし、特等席に違いないけど。
部屋に戻ると、ちょっとむさくるしい臭いが鼻についた。窓は締め切ってある。どうせろくに換気しないのだろう。
気球の傍らで作業する二人を見学するのも良かったが、せっかく世話になってるんだ。少しくらい役に立とうではないか。
窓を開け放ち、あちこちに散乱した工具をまとめ上げる。部屋の隅に溜まった埃が舞い上がり、思わず咳こんでしまった。
これは……大仕事になりそうだ。
窓の外で作業を続けるロジェールに向けて叫ぶ。「ねえ、布巾を借りてもいいかしら?」
声に気付いたのか、彼は両手で丸を形作った。よし。
比較的清潔に見える布巾を見つけると、口元を覆うように頭の後ろで結んだ。準備万端。
小屋の大掃除は、思った以上の難敵だった。まず、散乱している物が多すぎる。そして、隙間という隙間にごっそり塵や埃が溜まっているのだから困った。改めて、この場所でひと晩眠ったことがすさまじく思える。
それからはロジェールに水場を聞き出し、幸い近くにあった川と小屋とを往復した。小屋から出せる物は出し、一度綺麗さっぱり雑巾で拭いたら、工具も同じく水拭きと乾拭きで多少マシにしてから運び入れる。かなり気を使って整頓したのだが、きっとそのうちごちゃごちゃになってしまうんだろうなあ、なんて考えてしまった。けれど、それはそれで仕方がない。
すっかり綺麗に整った部屋を眺め、大きく伸びをした。お掃除完了。日暮れ時までかかってしまったけど、あの雑然とした状態から考えると上々だ。ここまで綺麗になれば、どこになにがあるかも一目瞭然。さすがに工具類はまとめて木箱に仕舞わせてもらったけど。
少し身体が粉っぽい。川で水浴びをするのはさすがに抵抗があるけれど、着替えくらいはすべきだろう。そう思って部屋を改めて見渡し――心臓が跳ねた。
ない。わたしの荷物が。
ぐるぐると頭のなかが急速回転する。掃除をしている間にどこかに紛れ込んでしまった? いやいや、それはない。だって一度も自分の布袋を目にしてないはずだから。なら、似たような袋と取り違えた? いや、それもない。部屋の物は、どれがどれだか確認して運び込んだのだ。運び出すときだって、自分の荷物くらいは分かる。
そうだ。一度も見ていない。けれども、ここにあったことだけは確実だ。キュラスを出るときに荷物は持ったし、この小屋まで来るときだってしっかり背負っていた。部屋に置いたことまで、ちゃんと覚えている。
……なら、どこへ?
その疑問は宙に浮かんで、頼りなく消えていった。わたしの荷物は、まるで煙のように消えてしまったのである。誰かが持ち出さない限りは――。
小屋を出ると、ちょうど仕事を終えたロジェールと、彼と話し込む二人にすれ違った。
「あ、ちょっといいかしら――わたしの荷物を知らない? これくらいの布袋なんだけど」
すると、三人はバッと顔を逸らした。
「え、なに? 知ってるなら教えてよ」
「さあ……私は知りませんねぇ」とヨハン。
沈黙するシンクレール。
「さて、夕食の準備をはじめよう」と呟いてそそくさと去っていくロジェール。
絶対になにか知ってる。なのに教えないとなると――裏があるに違いない。けれど、なんの裏が?
「……まさか、わたしの荷物を気球の材料にしたんじゃないでしょうね」
すると、三人とも噴き出した。
「そんなわけないですよ。まさかまさか」
ロジェールの声にはどこにも暗い響きはなかった。少なくとも、素材にされてはいないようである。
三人はそそくさと小屋に戻ってしまった。
思わずため息が漏れる。荷物がどこへ行ったのか知らないけど、勘弁してよ。乙女の持ち物を隠すなんてさすがに許しがたい。
小屋のなかにないとすれば、あとは――気球の改造をしている辺りに違いない。そこだけはノータッチなのだから。
「おや、ハル嬢。食事のお誘いですか?」
オブライエンは手元に目を落としたまま言う。細かい作業が難しいほど暗くなっているのに、オブライエンの手付きは淀みなかった。針金を結んだり、ネジをとめたりしている。
「夕食前にすっきりさせておきたいことがあるのよ。……オブライエン。わたしの荷物を知らない?」
「これですか?」
言って、彼は馴染み深い布袋を工具箱の隙間から取り出した。
「そう! どこにあったの?」
「魔が差して拝借しました」
「は?」
なにを言ってるんだ、この機械人間は。
「ちょっと、詳しく教えてくれないかしら。内容次第では――」
言いかけて、声が詰まった。工具箱の隙間から、彼はさらに馴染み深い物を出したのである。
「これもお返ししようかと思うのですが、袋に入らなくなってしまいました」
鞘に納まったサーベル。オブライエンは立ち上がり、柄を握った。そして――。
心地のいい金属音が耳に届く。その刀身は、ヒビひとつ入っていなかった。
「いかがです? 元通りになりましたか?」
あまりの驚きに声が出ない。その刃は、わたしがはじめて手にしたときと同じく黒錆が浮いており、ぼんやりとした魔力を帯びていた。
「相当腕のいい職人に作ってもらったのでしょう。かなり繊細な作であることは、治していてはっきりと理解出来ました。おやおや、驚きのあまり声も出ませんか。どうです? とびきりのサプライズだったでしょう?」
違いない。言葉を失ってしまうほどには驚いている。
「どうして」
「それはもう、ただの親切心です。それに、昨晩ちょっと小耳に挟んだんですよ。折れたサーベルの話をね」
ヨハンとシンクレール。どちらが言い出したのか分からないけど、サーベルのことがオブライエンに伝わったのだ。
精密な義手を持つ彼にとって、サーベルの修繕もお手の物というわけか。
「ありがとう! オブライエン! 本当にありがとう!」
彼の手を握り、ぶんぶんと振る。これでようやく――元の武器を取り戻せた。
「感謝されるのは気持ちいいですね! いやあ、気分がいい! ときにハル嬢。ひとつお願いがあります」
「いいわ。なんでも言って」
サーベルを鞘に納め、オブライエンは口の端を持ち上げた。
「これを作ったのが誰か、正直に教えていただけますか? 嘘偽りなく、ね。吾輩はそう簡単には騙せませんよ」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照。現在クロエは、彼女の名を偽名として使っている。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ロジェール』→キュラス付近の山岳地帯にひとりで住む青年。空を飛ぶことに憧れを抱き、気球を完成させた。テレジアの幼馴染であり、元々はキュラスの住民。『救世隊』の一員だった。詳しくは『298.「夢の浮力で」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。一度魔物に滅ぼされている




