348.「グッド!」
ロジェールはすっかり部屋が暗くなっていることに気付いたのか、ランプに火を灯した。橙色の滑らかな光が周囲を照らす。
外からはまだ鉄の音が鳴っていた。こんなに暗くなっているのに、オブライエンはものともせず作業しているらしい。灯りもなしに大丈夫だろうか、と思ってすぐに気が付いた。彼の身体はその大部分が機械で出来ている――つまり、物の見えかたも常人と違うのだろう。薄暗闇くらいなんともない瞳を持っているのかもしれない。
「食事にしませんか? オブライエンさんも呼んで……」
ロジェールは控えめに言う。
これ以上語るのを避けたいのかと訝ったが、彼の表情は決して逃げ腰ではなかった。事実を秘密のままにしておきたい、というよりも、単純に気疲れが見える。
「そうしようか」とシンクレールが促した。ロジェールと同じく、疲れ切った声で。
わたしが頷いて見せると、ヨハンも同調するように頷いた。ある種の悲劇は、聞いているだけでも消耗してしまう。想像力が否が応でも引きずられ、頭の中に悲惨な光景が広がってしまうものだ。
今は、誰にとっても休憩が必要なのかもしれない。
「では、オブライエンさんを呼んできます」
ロジェールが立ち上がりかけた瞬間――。
「その必要はありません。世話になってる立場だ。ご足労いただくわけにはいきませんので、参上しました」
部屋の入り口から、ぬっ、とオブライエンが姿を現す。先ほどまで聴こえていた鉄の音は、いつの間にかやんでいた。
絶句するわたしたちを尻目に、オブライエンは颯爽と木箱に腰かける。そして首をコキコキと鳴らした。
「気球の改造は順調ですよ。あと数日もあれば素晴らしい仕上がりになる――おや、皆さんどうしました? 鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして」
オブライエンはニコニコとこちらを眺め回している。さっぱりとした、悪意のない態度で。
……多分、オブライエンを除く全員が同じことを考えていた。
彼は外にいる間中、わたしたちの会話を聴いていたのではないか、と。そんなこと普通の人間には無理だ。ささやかな小屋とはいえ、外に漏れるような声で話したわけではない。しかし――彼は特殊なのだ。その肉体を常識で測るわけにはいかない。
「えっ、と……オブライエンさん。……外から、わたしたちの声が聴こえてたかしら?」
おそるおそるたずねる。杞憂であってくれと願ったが、そんな淡い期待は脆くも崩れ去った。
彼は、ちょっぴり舌を出して頷いた。
「ええ。一から十まで、全部聴こえていました。罪な耳ですね、本当に。出来が良いというのも困りものです。……悪いですが、なにからなにまで聴いてしまいましたよ。あなたがたの目的も、ロジェール氏の成り立ちも」
思わず息を呑んだ。この状況をどうすればいいだろう。今は後悔するより、とんでもない秘密を知ってしまった男をどうすべきかが重要である。ヨハンを一瞥すると、彼は苦笑して肩を竦めた。こうなったものは仕方ない、とでも考えているのかもしれない。
「なに、ご心配なく。吾輩はそこらの常識人とは作りが違います。たとえキュラスの『教祖』を倒そうとしていても、なんとも思いませんよ。それよりも、吾輩は職人に会えるかどうかのほうが心配です。吾輩の目的はそこにしかありませんから」
オブライエンはあっけらかんと言ってのける。その口調はいかにも自然なものだったが、どこか演技じみた気配を感じてしまう。
彼の本心はどこにあるのだろう。わたしたちの目的を聴かれたことが、今後どう影響してくるだろう。考えても答えが出ないのは分かっていても、気になって仕方ない。
ややあって、ヨハンのため息が聴こえた。「やむなしですな。秘密にしておきたかったのですが、今さら『全部嘘でした』なんて言ったって信じてくれないでしょう?」
「ええ。それくらいは吾輩にも見破れます。……先ほども言ったように、大して気にしちゃいませんよ。ロジェール氏のことだって、これまでと変わりません。過去になにがあったかなんて重要ではないのですよ。問題は、今後どうするかです。そう! これから吾輩は職人に会う。あなたがたは『教祖』を倒す。……それだけのことです。邪魔立てするような理由はない」
そうかもしれないけど……不安だ。出自不明の機械人間に今後の目的を聴かれるのは、どう考えても不穏でしかない。
けれども、今ここでオブライエンをどうこうする気になんてなれないし、なにより、下手に手を打って敵対関係になったら損をするだけだ。あくまでも平和的に考えるしかないじゃないか。
「……それならよかったわ」
「吾輩としても、ひと安心ですよ。あなたがたは職人を倒そうとしているわけではないのでしょう?」
「ええ」
「グッド! なら、手を取り合える関係ですよ。秘密を共有することで、人の絆も深まります。ほら、吾輩もデリケートな秘密を打ち明けたでしょう? ロジェール氏と同じく」
確かに、機械の身体と記憶喪失という経緯はどこまでも個人的な秘密だ。彼の言葉や態度はどこを聴いても演技っぽくはあったのだが、ここまでくると元々の性格なのではないかと思えてしまう。オーバーなリアクションで周囲を喜ばそうとするエンターテイナーは、王都にもいた。きっと彼も、そういう人種なのだ。
ヨハンは顎に手を当てて考え込んでいる風情だったが、やがて呆気ないくらい軽々しい口調で言った。「オブライエンさんの言う通りです。手を取り合って、協力してキュラスを目指しましょう。お互い尊重し合って、ねぇ」
尊重か。ヨハンの口から出ると途轍もなく胡散臭い。
とはいえ、協力せざるを得なくなったのは確かだ。それまではどうにかしてわたしたちだけ気球に乗ってキュラスに入れないものかと考えていたが、どうやらオブライエンの同行は確固たるものになったらしい。
「とりあえず食事にしましょう」とロジェールは挟む。そして部屋の隅をがさごそといじり、見覚えのある袋を座の中心に置いた。
「今日も高山蜂の巣を口に出来るなんて、豪勢ですね。ありがたくいただきましょう」
オブライエンの言った通り、袋のなかには高山蜂の巣が詰まっていた。いくら食べてもなくなりそうにないくらいの量である。
やがて部屋には、ポリポリと小気味のよい音が響いた。
数日ぶりに口にした高山蜂の巣は、相変わらず頬が溶けそうになるくらい甘い。思わず笑顔になってしまう。
ヨハンとロジェールとシンクレールは、いつの間にか気球の構造について熱心に話し込んでいた。ヨハンが気球の技術に興味を持っているとも思えないが、話しぶりは真剣である。
わたしはなんとなく手持無沙汰な気分で、ポリポリと巣を齧っていた。甘い。なんだか癖になりそう。
ふと、オブライエンと目が合う。
「そういえば、ハル嬢は随分とハイカラな服を着ていますね。似合ってます」と、彼は恥ずかしげもなくさらりと言ってのけた。きっとシンクレールは逆立ちしても言えない言葉だろう。
「ありがとう」
「どこで手に入れたのでしょう? さぞや高級な呉服屋なんでしょうね」
「ええと……どこだったかしら。ごめんなさい、覚えてないわ」
さすがに、『最果て』の街で買いました、とは言えない。かといって、王都で購入した、なんて言うのも危険だ。わたしと王都を結び付けるものは少しでも断ち切っておかなければ、あとあと首を絞めることになりかねない。それこそオブライエンが王都を訪れ、ひょんなことからわたしの正体を知ったとしたら……。なんとも恐ろしい想像だ。
オブライエンはさっぱりとした笑いを漏らし、「失敬失敬」とこぼす。「お嬢さんにお召し物の出所を聴くなんて、無粋どころの話じゃありません。我ながら油断がすぎますね」
「いいのよ、別に。気にしないで」
「さてさて、吾輩は仕事の続きに取りかかりましょう」
こんな夜中なのに、と口に出しかけたが、オブライエンは淀みのない足取りで部屋を去ってしまった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照。現在クロエは、彼女の名を偽名として使っている。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ロジェール』→キュラス付近の山岳地帯にひとりで住む青年。空を飛ぶことに憧れを抱き、気球を完成させた。テレジアの幼馴染であり、元々はキュラスの住民。『救世隊』の一員だった。詳しくは『298.「夢の浮力で」』にて
・『高山蜂』→標高の高い地域に生息する蜂。針には毒がある。崖に巣を作る。巣は甘く、食料として高値で取引されている。詳しくは『300.「幸せな甘さ」』『303.「夜の山道」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。一度魔物に滅ぼされている
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて




