342.「果てゆくすべてへの追想」
集中力を高める。薄く長い呼吸を繰り返すと、意識が真っ直ぐ敵へと向かった。
タキシムの指先の動き。魔力の増減。肉体の微細な挙動。あらゆる変化を見逃さぬよう、精神を研ぎ澄ます。
覚悟なら一瞬で決められる。ずっと、そういう生きかたをしてきたのだから。大丈夫だ。きっと、大丈夫。
タキシムはこちらの様子を窺うように、ゆらゆらと腕を動かしているだけだった。その凶器たる指先をこちらに向ける気配は、今のところない。あくまでも機会を待っている雰囲気がある。ひたすら不気味だ。
タキシムとはこれまでも何度か戦ったことがある。無論、騎士時代のことだ。即席のチームでも倒せる相手ではあったが、油断は決して許されない。そのことは重々承知している。奴と対峙した騎士が気のゆるみから命を落とした話は何度も聞いたし、実際に目にしたこともあった。それは決まって、タキシムが攻撃の手をゆるめたときのことである。ちょうど今と同じように……。
タキシムの真骨頂は、呪力球の威力ではない。本当に危険視すべきなのは反応速度だ。様子見状態に入った敵に痺れを切らして踏み込んだところ、その指先によって返り討ちに遭う……なんてケースは後が絶たない。だからこそ今は我慢が必要だった。充分に時間を置いて、敵が仕掛けてくるまでこちらが待つ必要がある。
シンクレールは当然として、ヨハンもそれを承知しているのか、じっと奴に視線を注いだまま動かなかった。
ただ……ひとつだけ厄介なことがある。
周囲から、グールの唸りが聴こえた。連中はじりじりと距離を詰めてくる。
これがタキシムの戦いかただ。舌打ちしてしまいそうになるほど戦略的な手法……。自分は決定的な瞬間が訪れるまで静観し、それまでは周囲の魔物に戦闘をさせる。たかがグールとはいえ、タキシムが一体いるだけで随分と骨が折れる。
けれど――。
「氷の矢!」
わたしの目の前に氷柱が展開された。直後、それらが一気に放たれてグールを刺し貫く。
こっちには、遠距離攻撃の出来る魔術師がいるのだ。それも、幾度となく夜を乗り越えてきた歴戦の魔術師が。
タキシムも氷の矢の標的に入っていたのだが、奴はぬるりとかわして距離を空けただけだった。そう簡単に傷を負ってはくれないか……。
シンクレールの攻撃にも、タキシムは反撃しなかった。憎たらしいほどこちらを観察している、というわけだ。攻撃の瞬間にこそ隙が大きくなることを自覚しているからこそ、わたしたち騎士はそのタイミングに細心の注意を払う。タキシムほどの素早さを持った相手にも対応出来るほど、充分な警戒を持って仕掛けるのだ。そんなこちらの警戒を察しているからこそ、奴は回避だけをして見せたのだろう。反撃しても避けられることまで計算して。
迫りくるグールはシンクレールが追い払ってくれるけど、このままでは埒が明かない。陽が昇るまで膠着状態を続けていては集中力が維持しきれないだろう。危険を覚悟で、一歩踏み出す必要がある。
「ヨハン」
「なんです? 良いアイデアでもあるんですか?」
「ええ、飛びっきりのがあるわ。……拡大鏡は使えるかしら?」
一瞬の沈黙ののちに、短い笑いが聴こえた。呆れ半分、感心半分といった笑いが。
「もちろん、使えますよ。……で、どのタイミングでやりましょうか?」
彼は一切を理解しているようだった。こういう察しの良さにかけてはさすがだ。
「次にシンクレールが氷の矢を放った直後――それでかまわないかしら?」
「問題ありませんよ」
「分かってると思うけど、位置に注意してよ」
「はいはい」
そして、その瞬間が訪れた。グールが迫り、シンクレールの呼吸が耳に届く。
「氷の矢!」
眼前に氷柱が出現し、グールを貫いていく。ただ、今度はタキシムへと放たれることはなかった。シンクレールも理解しているのだ。今は奴に動いてほしくない、というわたしの意思を。
――直後、タキシムとわたしの間に魔力のレンズが張られた。一瞬にして奴の縮尺が変化する。逆に奴の目には、とんでもなく拡大されてなにひとつ正確に捉えられない景色が映っていることだろう。
このタイミングを逃すわけにはいかない。地を蹴り、タキシムとわたしを隔てる拡大鏡へと接近する――。
視界を奪われた敵がどのような行動に出るか。そんなもの、まちまちだ。闇雲に攻撃するか、左右に身をかわすかしゃがむか、あるいは身を守るかだ。タキシムの場合、無茶苦茶な攻撃はしないだろう。そして、防御の術も持たない。なら、いずれかの回避行動を取るのが妥当だ。
問題があるとすれば、回避した先で間違いなく、その指先を前方に向けているという点である。避けた先に敵が待っているパターンくらい読んでいるだろう。それぐらい頭の回る魔物なのだ、タキシムは。
逆に言えば、その程度の想像力しか持たないということになる。それ以上の先回りは出来ないのだ。
シンクレールの作り出した氷の大剣は、それなりに重くはあった。けれど、跳躍出来ないほどではない――。
タキシムの顔がわたしを捉えた。目も鼻も口もない、のっぺりとした顔が、拡大鏡を飛び越えたわたしに向く。だが、すべてが手遅れだ。すでにこちらは投擲のかまえに入っている。奴は拡大鏡が展開されてすぐさま後退したと見え、やや距離が空いてはいた。けれど、問題ない。避けられはするだろうが、決して無傷とはいかないだろう。追撃の手をゆるめなければ一気に仕留められる。
奥歯を噛みしめ、大剣を投げた。切っ先は真っ直ぐに奴へと迫っていく――。
不意に、違和感が胸を覆った。タキシムは、迫りくる大剣を見つめたまま微動だにしないのだ。避けるだけの能力はあるはずなのに。
まるで、呆気に取られて身動き出来ないみたいじゃないか――人間のように。
奴の肉体に大剣が突き刺さるのと、わたしが着地に失敗して全身を打ち付けたのはほぼ同時だった。
「クロエ!」
シンクレールの叫びが聴こえる。こんな単純な失敗をするのが意外だったのかもしれない。でも、わたし自身はそれどころではなかった。
タキシムから目が離せない。奴は腹を貫いた大剣を震える指で掴んでいる。そして天を仰ぎ、がくりと脱力した。その身はいまだに蒸発せず――つまり、まだ活動力を持っていることを意味している。なのに、ただ脱力しているのだ。
脳裏に浮かぶのは、散っていった騎士たちの姿である。彼らのなかには、命が果てることを悟ってなにもかも諦める者もいた。天を仰ぎ、ただ死を待つだけの時間を過ごすだけの者が。その姿を否定したことは、今まで一度もない。死は等しく尊い、とまで敬虔な考えは持っていなかったが、やはり、果てゆくその瞬間はどこか内省を誘うものがあったのだ。
今のタキシムは、彼らによく似ている。死を悟り、その訪れをひたすらに待っている姿……。
魔物のなかには、こういう特殊な最期を見せる奴もいた。確かに、いた。そんな仕草、人の真似事でしかないと考えていた。なんて嫌味な散り際なんだと、反吐が出る思いに駆られたこともある。
「お嬢さん」
不意に声をかけられ、思わずかぶりを振る。目の前にいたはずのタキシムはすでに消えていた。どのくらい経ったか分からない。けれど周囲の薄明かりは、それなりの時間が経過していることを意味していた。
「ヨハン、わたしは――」
言いかけて、言葉が詰まった。自分がなにを言おうとしていたのか、それも判然としない。なにか、ひどく弱々しい言葉が喉まで出かかっていたような気がする。
シンクレールは沈痛な面持ちでわたしの肩に手を置いた。
それはいったい、なんの慰めなのだろう。そんなにひどい顔をしているのだろうか、わたしは。
やがてヨハンは、ゆっくりと告げた。
「一度山を降りましょう」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『呪力』→魔物の持つ魔力を便宜的に名付けたもの。質的な差異はない。初出は『4.「剣を振るえ」』
・『拡大鏡』→空間の一部を拡大する魔術。ヨハンが使用。詳しくは『306.「拡大鏡」』にて
・『氷の矢』→氷柱を放つ魔術。初出は『269.「後悔よりも強く」』
・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて




