幕間.「王都グレキランス ~騎士と真偽師~」
跳ね橋が下りるのを眺め、ジークムントはフードを深くかぶりなおした。無意識に拳を握り、歯を食い縛る――。
真偽師の追放処分決定から今日で三日目。荷物は布袋ひとつ。厳選したわけではなく、必要な物が大してなかったのだ。旅支度をしている間、ジークムントは自嘲気味に思ったものである――長いこと王都で暮らしてきたが、布袋にすっかり収まってしまう程度か、と。これまでの日々はいったいなんだったのか、と。
自分自身の人生を哀れっぽく振り返るのも、今日で最後かもしれない。ジークムントは王都の外のことなど少しも知らず、加えて、夜を凌ぐだけの直接的な実力もない。近郊の村や町にたどり着ければいいと思ったが、地図を見て絶望した。王都から最も近い町であるイフェイオンさえ、徒歩で行けるような距離ではなかったのだ。一日馬車を走らせても半日かかる。休みなく歩き続ければ陽が落ちた頃には到着するであろうが、体力のないジークムントにとっては土台無理な話だった。
ともあれ、生き残ることが第一である。たとえ難しいと理解していても、命を繋ぐためであれば賽を投げるべきだ。その意志で、ジークムントは早朝に王都を出ようと決心したのである。
跳ね橋を越え、なるべく人通りの少ない道を選んで進む。もし真偽師であることを見抜かれたら、きっと引きずり倒され、痛罵と暴力を浴びることだろう。それ自体、ジークムントは平気であった。真偽判定に誤りがないと確信してはいたが、此度の騒動には自分の責任もあるのだから。しかし、憎悪の対象として住民の相手をした結果、イフェイオンにたどり着けなくなる事態はなんとしてでも避けたかった。ただでさえ薄い望みを、さらに減らすようなことにはなりたくない。
路地を歩いていると、不意に呼びかけられた。
「おい、待てよ」
「失礼、急いでいるので」
そのまま早足になった瞬間、肩をぐいと引かれ――頬に衝撃が走り、視界が白く弾ける。殴られたと分かった頃には、路地に倒れ込んでいた。ジークムントは男を仰ぎ、すぐに相手がどうしようもないならず者だと理解した。威圧的な風体に、筋力を誇示するような薄着。肌には、つまらないいざこざで負ったであろう浅い傷。
酔漢であれば逃げ切ることも出来たろうに、とジークムントは歯噛みした。
「なあおい、金を貸してくれよ」
ならず者の常套句だ。それも、小者の。
ジークムントは心の底から『助かった』と安堵した。こういう手合いは金さえ渡せば気前よく消えてくれる。イフェイオンで使える金額が減るのは痛手だが、命に代えられるものではない。
ジークムントは布袋を漁り、金貨三枚を無言で差し出した。瞬間、男の目が見開かれる。
「これでいいだろ、もうかまわないでくれ」
「……やけに羽振りがいいじゃねえか。お前、何者だ?」
フードに男の手が伸びる――。
「――!」
願わくば吾輩の顔を知らぬように、とジークムントは内心で祈ったが、届かなかった。男は顔に怒気を漲らせ、ジークムントの胸倉を掴んで引っ張り上げた。
「お前、真偽師だな。俺の仲間を何人も牢屋にぶち込みやがって! 金なんかいらねえよ! 産まれてきたことを後悔するくらい痛めつけてやる!!」
最悪という言葉がよく似合う状況だ、とジークムントはやけに冷静な感情を抱いた。職業柄あらゆる感情を見抜いてきた彼にとって、それにぴったりの名を付けることくらいほとんど無意識に出来る。そう、これは諦念だ。ならず者を振り切るだけの体力も、反撃するだけの腕力もない。貴重な時間は小悪党に擂り潰され、野営なしでイフェイオンにたどり着くことは不可能になる。そして、王都にも居場所はない――いや、それどころか、居てはいけない。警備兵は常に目を光らせているし、住民は突き刺すような敵意を向けてくる。王都中、あらゆる者が敵なのだ。
思えば、つまらない人生だった。ジークムントはこれまで過ごしてきた日々を想い、あまりの虚しさに脱力する。王都の自治のため、人々の心を何度も暴いてきた。その過程で、自ら苦しむこともあった。自分のおこないを疑った夜もある。しかしこれらはすべて正しく、また、王都にとって益のあることと信じて職責を果たしてきた。それが、たったひとつで粉々だ。残ったものといえば、身ひとつでは晴らしきれない恨みの数々。
神がいるのなら、吾輩の生涯を嗤うだろうか。
やがていくつかの痛みが訪れ、ジークムントの意識は白く消え去った。
木目の天井が見えたとき、ジークムントは奇妙な想いに捉われた。自分自身が生きている事実を、なんとも不合理に感じたのだ。ああ、しかし、と思う。きっとあのならず者は、簡単には殺さぬように手加減したのだろう。アジトに引っ張り込み、これから長い長い拷問が繰り広げられるに違いない……。しかしベッドに寝かされているというのは、どうしたことだろう。
「起きたか……意識はあるかよ、真偽師のオッサン」
声のしたほうを見ると、長髪の男がいた。痩せているが、筋肉はある。目付きが異様に鋭く、ならず者と言われてもしっくりくるくらい攻撃的な雰囲気を湛えていた。
「吾輩はいったい……」
身を起こすと、頭が痛んだ。先ほどの男に殴られたからだろう。
「あんたは真偽師のジークムントだ。これまでは犯罪者に有名だったが、今となっちゃ王都民全員があんたのファンだよ」
ジークムントの口元に苦笑がこぼれる。記憶を失えたなら、どれだけ幸せだろう。「いや、自分の名前は知っている……ここはどこで、吾輩はどうして……」
「大した話じゃない。路地裏でボンクラが暴れてたんで、シメてやっただけだ。しかし、驚いた。真偽師が倒れてるんだからな。……で、普段は絶対にしないんだが、俺の家に運んでやった」
ジークムントは一瞬安堵したが、すぐに取り消した。今や自分は、男の語った通り、全住民の敵なのだ。殴られることはあっても、親切にされることなんてありえない。すると目の前の男も、自分を痛めつけるために――。
「安心しろよ。俺はあんたに危害を加えない。出ていきたいときに出ていきゃいいし、居座りたきゃ、好きなだけいるといい。だが、外出はオススメしないぜ。もうあんたが王都にいられる期限は過ぎちまったんだから」
「過ぎた?」
カーテンの隙間から外を見ると、すっかり暗くなっていた。早朝に出発したのに、ならず者に襲われて丸一日無駄にしたのか……。
「そう気を落とすなよ。ここにいりゃ安全だ。警備兵やボンクラどもが乗り込んでくるようなことはない」
落ち着いた口調で話す男に、ジークムントは妙な安心感を抱いた。なぜかははっきりしている。男の言葉には敵意なんて一切なく、端々にどことなく仲間意識のようなものが垣間見えたのだ。
「……感謝する。しかし、どうして吾輩を助けたんだ。利益などないだろうに」
「理由はふたつある。まずひとつ目は、似た境遇だからだ」
似た境遇。その言葉に引っかかりを覚える。目の前の男が真偽師ではないことくらい、ジークムントは知っていた。だとしたら――。
ジークムントが思い至ると同時に、男は答えた。
「俺は騎士団ナンバー5の、シーモアだ。あんたと同じく、鼻つまみ者さ」
騎士。それを聴いて真っ先に思い浮かべたのは王都から去り、そして討たれたという女の顔だった。元騎士のクロエ。この地獄を作り出した張本人だったが――ジークムントは決して憎んではいなかった。なぜなら、彼女の言葉に偽りを感じなかったからである。なにか、とんでもなく大きな罠が仕掛けられていて、自分もクロエという元騎士も、それに嵌まっただけのように思えてならない。
「あ、ああ、騎士か」
「そう、騎士だ。……ところで、あんたを助けた理由のふたつ目だ。ちょっと聞きたいことがあってね」
「答えられることなら、なんでも答えよう」
するとシーモアは鋭い目つきのまま、口元を歪めた。ひどく不器用だったが、それは確かに笑みである。それも、情の籠った。
「あんたが真偽判定した馬鹿な小娘は、元気だったか?」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ジークムント』→壮年の真偽師。王への謁見前に、クロエを真偽判定にかけた。謁見中の事件により、王都追放の処分を下された。詳しくは『261.「真偽判定」』『幕間.「王都グレキランス ~追放処分~」』にて
・『真偽師』→魔術を用いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を担う重要な役職。王への謁見前には必ず真偽師から真偽の判定をもらわねばならない。ある事件により、真偽師の重要度は地に落ちた。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『261.「真偽判定」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『イフェイオン』→窪地の底に広がる豊かな町。王都に近く、特産品の『和音ブドウ』を交易の材としている。『毒食の魔女』によって魔物の被害から逃れているものの、住民一同、彼女を快く思っていない。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照




