338.「崩壊の記憶」
異様な光景に異様な言葉。まるで悪夢を見ているみたいだ。どうしてこうも突拍子もないことばかりが展開されるのか……。
いまだに足元のぐらつきを感じていたが、それどころではない。テレジアの言葉を――その一音さえ――聴き逃してはならないのだ。到底信じがたい内容ではあるけれど、それだけに、強く惹き付けられる。
星がかげり、周囲に薄闇が落ちた。
「キュラスが……滅ぼされた?」
疑問を口にしたのはシンクレールだった。彼の口調には少しの余裕もなく、目は見開かれている。なにもかも信じがたく、だからこそ追及せずにはいられない、そんな様子だった。
テレジアは落ち着いた雰囲気を崩さずに、こくりと頷いた。
「そうです。わたくしが戻ったのは日暮れ時でしたが……キュラスはご覧の通りの有様でした」
言って、街の方角を手で示す。ここからは傾斜で見えないが、街の状況はよく知っている。廃墟と言っても遜色ない状況が一面に広がっているのだ。無事なのは教団の施設のみ……。
「マドレーヌとモニカは、必死で街を守ろうとしたのです。しかし、守り抜けたのは施設と教会だけでした……。人も同様です。『救世隊』も壊滅したと言っていいでしょう。残ったのはマドレーヌとモニカと、施設の奥にいた数人だけ」
その数人を除いて、全員が魔物に殺されたのか。
そういえば、キュラスに住む人々は武装した信徒がほとんどと聞いている。すると、一部の非戦闘員と二人の猛者を除いた全員が魔物の手に落ちたのだろう。
確かマドレーヌは、キュラスにいる住民のほとんどが移住者と言っていた。故郷を滅ぼされ、流れ着いたのだと。その経験を持つゆえに、魔物に対する対抗手段を徹底的に整えたであろうことは想像に難くない。にもかかわらず、滅ぼされたのか……。
「なら、魔物はあなたたちにとって敵じゃ――」
「違います」
テレジアはぴしゃりと否定した。語気こそおだやかだったが、強い意志が籠められているのは容易に理解出来る。
「わたくしはニコルさんとの旅で真実を知りました。先ほどご覧いただいた、魔物の真実です。人と人とが憎しみ合い、争い合い、血を流し合う……そこにはなんの救いもありません」
キュラスは魔物によって滅ぼされたが、魔物は元々人間だから手出ししてはいけない。……とんでもない考え……。
「マドレーヌとモニカは……納得したの? 仲間を殺されたのに……」
思わず彼女たちのほうを向くと、二人は控えめに頷いて見せた。
なんだそれ……。全部、テレジアの言いなりなのか。こんなこと簡単に信じられるものではないだろうに。
補足するように、テレジアが付け加えた。
「はじめはお二人も信じてはくれませんでした。それ自体は自然なことです。そこでわたくしは、貴女がたにお見せしたような方法を取ったのです。ここにいる彼らの力を借りて――」
彼女の手が、ひらりと信者を指した。
信頼を寄せる『教祖』の言葉と、目の前で展開された光景。その二つによってモニカとマドレーヌは、キュラスを滅ぼした魔物さえも受容するようになったというわけか。
「そしてわたくしたちは魔物と人の垣根を越えて、キュラスで生活を始めたのです」
あまりに異常な共同生活……。脳裏をよぎるのは教会で祈りを捧げる信者の敬虔な横顔と、農作業に精を出す満ち足りた姿だった。そこにわたしは、確かに生活を感じ取ったはずだ。過酷な環境で生きる人々の、逞しくも繊細な意志を受け取ったはずだ。
彼らは、想像もつかないような環境で生きていたことになる。それこそ、山頂で生活を営むことよりもずっとずっと特殊な生活を……。
シンクレールを見ると、彼は唇を噛んで俯いていた。多分、わたしと同じかそれ以上に混乱しているのだろう。魔物は元々人であり、キュラスは魔物に滅ぼされたけれども、復讐ではなく共存を選んだ。異常に異常が重なって、正確な判断が出来ない。
ヨハンはというと、相変わらず冷静に魔物――ギボンを見つめている。
どうしてそんなにも落ち着いていられるのだろう。もしかして、ヨハンは――。
不意に閃いた考えは、簡単には否定出来ないほどの強さでわたしの心を揺さぶった。そうとしか考えられないほど、ぴったりと来る推測だったのだ。
――ヨハンは、魔物が元々人間であることを知っていたのではないか。彼が『黒の血族』である以上、知っていてもおかしくないではないか。きっとそうに違いない。
知っていて、ずっと黙っていたのだ。こうして決定的な瞬間が訪れるまで。
「ヨハン、あなたは知ってたのね」
彼は、箱型の防御魔術から目を離さずに返す。「なにがです?」
「魔物が……人間だってこと」
沈黙が流れた。風の唸りが微かに鳴っている。薄闇のなか、ヨハンの横顔はやはり、とんでもなく邪悪で不吉なもののようにしか見えなかった。
やがて彼は、なんの温度も籠っていない声で呟いた。
「知りませんでしたし、今も知りません。……冷静に考えるべきですよ、お嬢さん。さて――テレジアさん。話はそれだけですか?」
彼の言葉を頭で整理する間もなく、テレジアの言葉が返る。
「いいえ。これをお知らせした上で、ひとつお願いがあるのです」
「でしょうね。タダで見せるわけがない。どうぞ、おっしゃってください」
ヨハンが促すと、テレジアは一拍置いて告げた。
「貴方がたには、人を傷つけてほしくないのです。つまり――」
「魔物と戦うのをやめろ、と?」
「ええ」
矢継ぎ早に展開されるヨハンとテレジアの会話についていくので精一杯だった。テレジアはわたしたちに、魔物との戦闘を避けるよう要求している。つまり――魔王の討伐を諦めろと、そう言いたいのか。
ニコルが魔王と手を組んだ理由……。それ自体は、テレジアの言葉でなんとなく理解出来た。『記憶の水盆』とやらで過去の記憶をさかのぼり、魔物と人の関連性を知ったのだろう。しかし……それだけでは王都を滅ぼそうとする理由には結びつかない。テレジアの言葉自体が嘘か、あるいは、なにか別の要因が隠されているのではないだろうか。
「どうしますか、お嬢さん」
ヨハンは冷めた目付きでわたしを見つめた。その瞳にはなんの意志も宿っていないように見える。ただただ、冷めきった虚ろな魂がそこにあるだけ。
魔物との戦闘を諦めれば、ヨハンとの契約は破棄されたことになるのだろうか。もしそうなれば、わたしは命を失うはず。彼との『契約』の力によって。
そのあと――シンクレールにも同じ問いかけをするに違いない。契約を破棄するか否か。きっと彼はわたしと同じ運命をたどるだろう。そして同じ契約を交わした最後のひとり――ノックスにも問いかけるはずだ。
すべての契約が相手の側から破棄されれば、ヨハンは契約自体から自由になるに違いない。もしかすると、彼はそんな展開をもテーブルに乗せて、自分が損をしない展開を選ぶつもりなのでは……。
――とことんまで人を馬鹿にしている。
気が付いたときには、口が動いていた。
「お断りよ」
直後、空気が変わった。テレジアは表情も魔力も一切変化させていなかったが、なにかが決定的に変わったように思えたのだ。
「そうですか……非常に残念です」
彼女の手が、やや持ち上げられた。
なにか来るかもしれない。シンクレールに目配せをしたが、彼は瞳を白黒させただけだった。
駄目だ。シンクレールはまだ混乱していて、正常に物を考えられないのだろう。となれば、使えるのはひとつだ。ヨハンから借りたナイフ――それを取り出すべく布袋に手を入れる。冷ややかな柄を握りしめた瞬間、テレジアの言葉が響いた。
「貴女のことはニコルさんに報せないようにします。それと引き換え、というわけではありませんが……キュラスを去っていただけないでしょうか」
◆改稿
・2018/09/13 表記揺れ修正。
◆参照
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ノックス』→クロエとともに『最果て』を旅した少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。現在は魔女の邸で魔術の修行中。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて
・『救世隊』→キュラスの宗教団体の幹部のこと。街の夜間防衛を担う存在
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて
・『記憶の水盆』→過去を追体験出来る魔道具。魔王の城の奥にある。初出は『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『王城』~」』
・『ギボン』→別名『魔猿』。毛むくじゃらの姿をした人型魔物。森に出現する。詳しくは『294.「魔猿の王様」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




