336.「旅路の果てに」
一陣の風が吹き、夜闇にテレジアの髪が踊った。
テレジアと殺戮。あまりにもミスマッチな組み合わせに思えてしまう。彼女の平和主義的な微笑に慣れすぎたせいだろうか。
濃い沈黙が街全体を覆っているようだった。誰ひとり口を開く者はいない。ヨハンもシンクレールも、そしてわたしでさえ、テレジアの次の言葉を待っていた。
やがて雲が吹き去ったのか、星灯りが徐々に回復した。ささやかな光であっても、夜においてはなんと重要なことか。
すう、とテレジアの呼吸が聴こえた。その唇が可憐に開かれる。
「ニコルさんもわたくしも、必死でした。すべては魔王を討つため……あらゆる犠牲はその死をもって贖われると固く信じていたのです。……ところで、ニコルさんの仲間がどんな方々だったかご存知ですか?」
急に問われて、内心で狼狽した。けれども、決して態度には出さない。敵かもしれない相手の前でうろたえるなんて、不利になるだけだ。
ニコルの仲間……近衛兵のリーダーであり『王の盾』と称される武人、スヴェル。王立騎士団ナンバー2、シフォン。湿原の魔女ルイーザ。獣化のゾラ。『黒の血族』と人間のハーフ、ジーザス。そして、フロントラインの『教祖』テレジア。
「ご想像いただけましたか?」とテレジアは見透かしたかのように言う。「バリエーション豊かな方々です。どうして繋がることが出来たのか不思議なくらいに」
くすり、とテレジアはちょっぴり愉快そうな笑いを口の端に浮かべた。聖女風の笑みではなく、慈母のような困り笑いでもない。なんだかそれが、彼女の本当の笑いかたのように思えてしまった。
紆余曲折あったのだろう。一年間も同じメンバーで旅を続けるのは、どんなものなのか。喜怒哀楽に収まりきらないあらゆる感情や経験、そして痛みまでも共有したに違いない。まるで家族のように。
「想像を遥かに超えて苦しく、そして掛け値なしに尊い道を歩んだのです。そして旅は――今も続いています」
え。
なにを言ってるんだ、彼女は。
「どういうこと?」
「ただの比喩です。深い意味はありません。ひとつところにとどまっていようとも、人生は旅に似ていますから」
言って、テレジアは慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
比喩、か。こちらを揺さぶる意図で口にしたのかもしれない。旅がまだ続いているのだとしたら、彼女は今もニコルの味方と捉えることだって出来るのだから。
ひとつ咳払いをして、テレジアは続けた。
「話を続けましょう。……わたくしたちは長い時間をかけて、ようやく魔王の城にたどり着いたのです。精神的にも肉体的にも限界でした。それでも心を奮い立たせ、身体を鞭打ち、最後の――そしてあまりにも苦しい歩みを続けたのです。『無痛の門』、『積痾の丘』、『茨の庭園』……魔王の城までの関門をひとつひとつ、しかし確実に越えていきました。……そのときほど、自分自身の力を呪ったことはありませんでした」
自分自身の力……治癒魔術のことを言っているのだろうか。
「倒れた仲間を癒し、すぐにまた傷を負わせる。その繰り返しです。なぜそうまでして進んだか……その理由はひとつ。真実を知るためです」
「真実?」
疑問は思わず声となって溢れ出した。
魔王を討伐するのが目的だったのではないのか。真実とは、なんのことだ。
テレジアは曖昧な笑みで、首を横に振った。「じきお分かりになります。……夜が濃くなってまいりましたね。話を進めましょう」
そして彼女は、こちらが口を挟むより先に言葉を続けた。
「いよいよわたくしたちは、魔王の城に足を踏み入れました。魔王がどのような姿をしているか、貴女はご存知でしょうね」
忘れるはずがない。毒々しい紫の肌に、嫌味なほど艶やかな黒髪。すらりとした体躯。甘えるような、あの耳障りな声。
気が付くと、片手が薬指に触れていた。……馬鹿な記憶だ。ニコルからもらった指輪なんて、呪いの意味しか持たないのに。それを魔王に奪われたことが、なんでこうも悔しいのだろう。認めたくない感情が、ざぶざぶと心に押し寄せて……ああ、駄目だ。冷静さを失うな。
「魔王の城には、多くの価値ある物が存在します。当然ですね。かつては王城だったのですから」
そうだ。かつてグレキランスと雌雄を争っていたラガニア国の王城が、今や悪鬼の巣食う邪悪な場所と化してしまっている。
「魔王の城はラガニアの伝統的な品々で溢れていました。ダンスフロアはその典型ですね」
確かに、そうかもしれない。グレキランスの城には娯楽のための場所なんて存在しない。ただ、今のわたしにとってはダンスフロアなんて単語は聞きたくもないものだ。その場所でニコルと踊った自分自身の間抜けさを思うと腹が立つどころの話じゃない。あのときは浮ついた心と胸の高鳴りを抑えるのに必死だった。
なんて愚かなんだろう。
「魔王の城にはラガニアの歴史が詰まっています。細部に至るまで……。ところで、貴女がたは『記憶の水盆』のことを知っていますか?」
なんだろう、それは。
首を傾げたわたしの隣で、ヨハンがぼそりと呟いた。「記憶を覗き込む魔道具ですか」
「知ってるの?」とたずねると、彼は小さく頷いた。
「ええ。実物を見たことはありませんが、そういった道具が存在することは噂に聞きました」
あらゆる噂を耳にしているのだろうか、この男は。それとも、単に彼の育った土地で細々と語られていたものなのかもしれない。
「ひとつ間違っています。あれは魔道具と呼べるような代物ではありません。もっと巨大で――圧倒的な物です」
つまり、どういうことだろう。一般的に、魔道具は機構も規模もささやかな物が大半であるが、『記憶の水盆』とやらはそうではない、という意味なのだろうか。
「たかが記憶を覗くだけでしょ?」
するとテレジアは、こくり、と意外なほど素直に頷いた。
「ええ、そうです。ただ、記憶といっても様々な意味を持つことは想像出来るでしょうか。人の持つ記憶、物に宿る記憶、大地に、風に、空に、月に、それぞれの記憶が宿っているとしたら、それはもはや人智を遥かに凌駕しています」
「なにを言いたいの?」
「では、少し分かりやすく申し上げましょう。ニコルさんとわたくしたちは『記憶の水盆』を覗いたのです。それも、単なる記憶ではありません。水盆自体が持つ記憶を見て、そして、自分自身の記憶を追体験したのです」
どういうことだ。水盆の記憶? 自分自身を追体験?
「少し抽象的でしたね。では、具体的に申し上げます」と前置きを入れて、テレジアは空を仰いだ。「水盆が造られてからの記憶を、わたくしたちは追ったのです。千年以上もの時間を、です。そこに嘘偽りが含まれているとは思えませんでした。人の一生を超える長大な時間を見せるなんて、どんな強力な洗脳魔術でも出来ません。『黒の血族』の持つ力であっても、そんな芸当は不可能です」
自分の眉間に皺が寄るのが分かった。テレジアの言うように、そんな真似はどんな魔術でも不可能だ。
「そこでわたくしは真実を知り、そして――再びキュラスに産まれたのです」
「は?」
産まれた?
テレジアは柔らかい笑いをもらし、ゆったりと頷いた。
「わたくしは『記憶の水盆』のなかで人生をやり直したのです、生誕から……。そして二度目の旅路をたどり、再び水盆へとたどり着き――ようやく目覚めたのです。奇妙なことに、全員が水盆本来の記憶を見たあとに、それぞれの人生を追体験したようでした」
……信じがたい。彼女の言うように、それほど長大な記憶をたどらせるような魔術はどこにも存在しないし、誰にも出来ない。けれど、たったひとつ方法があるのだ。
見た、と信じ込ませること。それくらいの洗脳なら、魔王にとって造作もないだろう。
「あなたが体験したことも、そこで知った真実とやらも、魔王がそう思い込ませただけかもしれない」
そう言い切って見せると、テレジアは例の、姉のような困り顔を浮かべてから、納得したように何度か頷いた。
「お気持ちは分かります。こればかりは、じかに見ないと決して理解出来ませんから。わたくしの知る真実も同様です。『記憶の水盆』で体験するまでは、わたくしも半信半疑でしたから」
「勿体ぶらないで。あなたの言う真実って、いったいなんのなよ」
「それをご説明しても、貴女は正しく理解してくれないでしょう。ああ、ごめんなさい。悪気があって申し上げたわけではないのです。ただ、なかなか信じがたい内容ですから」
そうやって濁されると、焦りと苛立ちが混ざって余計に冷静さを欠いてしまう。こうやって妙な話で揺さぶり続けるのが狙いなのだろうか。
なら、彼女の仕掛けに乗るわけにはいかない。
「そうやってハッタリを続けてるといいわ。結局あなたの話は、ニコルへの報告をしない説明になんてなっていないもの」
「そうですね」と、テレジアは悪びれずに言う。「なぜなら、まだ本題に入っておりませんもの。わたくしがお伝えしたいのは、シンプルな事実です。目で見て理解出来る物事だけ。それをお見せしたあとで、貴女がたと友好な関係を築きたいと考えています」
彼女の言葉の直後、魔物の気配がぽつりと一体現れた。それも、信者たちの中心に。
「逃げて! 魔物が――」
「落ち着いてください」
テレジアはわたしの言葉を遮り、人さし指を自身の唇に当てた。瞬間、彼女の魔力が急激に高まる。
それと同時に、防御魔術が展開された。『毒食の魔女』が見せたものと同じ、箱型の防御魔術である。ただ――。
「待って! なにしてるのよ! それじゃみんなが!」
防御魔術は、ひと塊になった住民を囲っていた。つまり、姿こそ見えないが出現した魔物ごと閉じ込めたのである。
これでは檻じゃないか――。
そう思った直後のことである。
魔物の気配が、加速度的に増加した。それはどんどんと数を増していく。
言葉を紡ぐことが出来ない。わたしは、展開された防御魔術から目が離せなかった。
確か、以前にもこんな光景を見たことがある。それも、ごく最近。『最果て』で。
「わたくしがお見せ出来る真実はひとつです。目の前の光景をどう捉えるかは貴女次第ですが、わたくしから言葉を添えさせていただきますと――」
箱型の防御魔術。その内部には、魔物が溢れていた。住民の姿は、もはやない。出現した魔物に食われたわけでもない。
信者が、魔物になったのだ。
「魔物など、存在しないのです。彼らはすべて、元々人間なのですから」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『スヴェル』→ニコルと共に旅をしたメンバー。王の側近であり、近衛兵の指揮官。『王の盾』の異名をとる戦士。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『王城』~」』にて
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて
・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』参照
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて
・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。『287.「半分の血」』にて名称のみ登場
・『シーザス』→勇者一行のひとりであり、ヨハンの兄。『夜会卿』に仕えている。『黒の血族』と人間のハーフ
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて
・『近衛兵』→グレキランスの王城および王を守護する兵隊
・『治癒魔術』→読んで字のごとく、治癒の魔術。それほど高い効果はない。他者を癒すことは出来るが、術者自身にかけることは出来ない。詳しくは『131.「ネクスト・ターゲット」』にて
・『洗脳魔術』→魔術の分類のひとつ。読んで字のごとく、対象を洗脳するための魔術
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて
・『記憶の水盆』→過去を追体験出来る魔道具。魔王の城の奥にある。初出は『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『王城』~」』
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域。今は魔物の住む土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷




