334.「教祖と信者と夜と」
外は狂ったように風が吹き荒れていた。シンクレールもヨハンも、どこか緊張した面持ちである。これからなにが待っているのか。どう物事が転ぶのか。なんにせよ、最悪のケースは何度も想像した。そもそも、テレジアと戦う前提でキュラスを訪れている。覚悟なんて、とっくに出来ているのだ。
「『教祖』様は街の外れよ。ついてきて」
言って、マドレーヌは坂を下りはじめた。分かりやすいほど張り詰めている。なんとか抑えているようだったが、不安定に増減を繰り返す魔力を見るに明らかだ。きっと彼女も、何事かを予感しているのだろう。決して平和的ではないなにかが展開されるのではないか、と。
テレジアが治癒魔術を存分に駆使して戦うなら、最も厄介な相手になるのはマドレーヌかもしれない。後方でテレジアが傷を癒し、マドレーヌが前線で三人を相手にする。きっとそんな戦法になるだろう。テレジアが強力な攻撃魔術を持っているなんて話は聞いたことがない。真実かは分からないが、勇者との旅でも回復役に徹していたという噂だ。あれほどのメンバーの治癒を一手に担っていたという事実だけで、彼女の治癒魔術がどれだけ洗練されたものかは容易に想像がつく。
一般的な治癒魔術は、所詮暗示と変わらないほどに微々たるものである。その基準でテレジアを判断すると、間違いなく痛い目に遭うだろう。
「妙に風が強いですねぇ」
沈黙に耐えかねたのか、歩きつつヨハンがこぼした。するとマドレーヌはちらりと振り向く。
「別に普通よ。ここが山頂だってことを忘れたの?」
あまりに生活が整っているので頭から抜けてしまいがちだが、彼女の言う通り、ここは頂なのだ。天気は変わりやすく、平地とは比べ物にならないくらい環境は悪い。この場所で生きているだけでも随分と鍛えられるだろう。精神的にも肉体的にも。
見上げると、広大な夜空を覆いつくすごとく星が散っていた。周囲にその光を遮るものがないのだから当然か。空気が澄んでいることも、星灯りが強くなる要素かもしれない。
夜は濃く、しかし、まだ魔物の時間には足を踏み入れていない。あと一時間もすれば、ぽつぽつと気配が現れることだろう。
「説明って、なんだろう」
シンクレールはぽつりと呟く。彼には先ほど、こうなった事情を教えたのである。テレジアはわたしたちと手を結びたいと考えており、ニコルにもわたしの生存を報告していない、と。その理由はシンクレールが回復してから説明する、と濁されたことも。
昨晩、増え続けた魔物の気配。和平交渉の理由。ニコルへの秘密。これらがひとつになるような事情なんて想像出来ない。彼女が魔王の味方なら魔物を討たないのでは、とも考えたが、だったら魔王に魔物の数をコントロールしてもらえばいいだけだ。山頂までの森は魔物が出現せず、キュラスや街道でだけ現れるというのも妙な話である。
「すべて、これから話してくれるはずよ」
そして、語られた内容次第でこちらの行動も決まる。九分九厘、彼女を討つことになるだろうけど。
廃屋群を横目に眺め、黙々と歩を進めた。ヨハンは腹を括ったのか、やけに厳粛な表情である。シンクレールはというと、緊張しているようだがどこか気落ちした雰囲気もあった。
無理もない。彼は高山蜂に襲われ、窮地を助けられたのだ。そして数日間の看護も受けている。討つべき敵であることは理解しているだろうけど、その事実に感情が反抗しているような具合だろう。騎士時代も、戦闘前に憂鬱になっている彼を見たことがある。けれど、いざ夜に繰り出せば迷いをすぐに断ち切って、本来の力を発揮してくれるのだ。
廃墟群を抜け、マドレーヌはさらに進む。街外れと言っていたが、いったいどこまで進むのやら。まあ、こちらとしても施設から離れれば離れるだけありがたい。住民がテレジアの味方をして押し寄せるようなリスクが薄まるから。
牛は眠っているのか、昼間はうるさいくらいだった鳴き声は少しも聴こえない。疾駆する風の音色と、狂おしく吹き踊る下草のざわめき。そして、四人分の足音。それで全部だ。
やがて前方に橋が見えた。風のためか、ゆらゆらと不安定に揺れている。が、それ以上に異様な光景が広がっていた。
橋の手前の草原。そこに大勢の住民がひと塊になっていたのだ。彼らは一様に座り込み、一方向を眺めている。
彼らの視線の先――橋に寄った位置にふたつの人影があった。テレジアとモニカである。
胸騒ぎがする。どうして住民が勢揃いしているのだ。
「ご足労、ありがとうございます」
たどり着くと、テレジアはぺこりと頭を下げて迎えた。モニカは口元を結んでじっとしている。彼女の背負った魔具――長い柄の先に球体が取り付けられた鈍器――が星灯りを鈍く反射していた。
ちらりと住民のほうを見ると、誰もがぎこちない笑みを湛えていた。
「……どうしてこんなにたくさんの人がいるのかしら?」
自分でもそれと分かるくらいには、警戒心に満ちた声だった。
テレジアはゆったりと、しかし有無を言わせぬ語調で返す。「皆様には、立ち会っていただく必要があります」
「なぜ?」
「理由は、じきお分かりになります」
理由か。おおかた、交渉決裂した際に手駒として使うつもりなのだろう。どれだけ善人ぶっていても、やはり、最悪の場合を想定して計算を重ねているに違いない。
さすがにこの人数が相手となると、突破するのは難しい。しかも、人間なのだ。純粋な信徒を切り伏せることなんて出来ない。それに……マドレーヌとモニカもいる。こうやって明らかな圧力をかけて『良き関係』とやらを半強制的に結ばせるつもりか。
それにしても、すべての住民がここにいるのではないかと思えるくらいの数である。ひと塊になっているので正確な判断は出来ないものの、何度か目にした顔をあった。ただ――どうしてかハルツが見当たらない。あの巨体がこの場にいるのなら嫌でも分かる。ということは、全員が集合しているというわけではないということか。よくよく見ると、ゼーシェルの姿も見当たらなかった。
谷を渡る風の音が、笛のように響き渡る。これだけの数がいるのに、人の声は絶えていた。衣擦れさえしない。
ヨハンに目配せすると、彼は頷きを返した。シンクレールにも視線を投げたが、彼は困惑を顔に出したまま目を泳がせている。状況が状況だ。面食らうだろう、そりゃあ。けれども、彼が落ち着くのを待っているわけにもいかない。
「それで、説明してくれるのよね?」
「ええ」とテレジアは落ち着き払った口調で答える。微笑したまま。余裕があるのか、それとも腹を括っているからなのか……。
「音吸い絹は――」
言いかけたところ、テレジアに遮られた。「必要ありません」
それもそうか。密談をするつもりならこんなに大勢揃えない。しかし、実力行使だとか圧力の意味で住民を呼び込んだのなら、どうしてここにハルツがいないのだろうか。彼ほどの巨体なら、より分かりやすい威圧になると思うのだが。
「ハルツさんはいないのかしら?」
「彼は施設におります」
「どうして仲間外れにするの?」
「それも……事情があってのことです」テレジアは『事情』とやらを語るつもりがないらしく、空を仰いで続けた。「夜が来る前に、少しお話ししておきましょう」
彼女の指す『夜』がなんなのかは、自然と理解出来た。人々が恐れをなす時間帯。真昼の喧騒を、別の存在に譲り渡す瞬間。魔物たちが自由に闊歩し、人の身を脅かそうと迫る時間のことだ。
「まずは、わたくしが彼との旅でなにを見たのか……それをお話しします」
星灯りの下、彼女の胸の十字架がやけに白く、鮮やかに見えた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて
・『治癒魔術』→読んで字のごとく、治癒の魔術。それほど高い効果はない。他者を癒すことは出来るが、術者自身にかけることは出来ない。詳しくは『131.「ネクスト・ターゲット」』にて
・『音吸い絹』→音を遮断する布状の魔術。密談に適している。詳しくは『216.「音吸い絹」』にて
・『高山蜂』→標高の高い地域に生息する蜂。針には毒がある。崖に巣を作る。巣は甘く、食料として高値で取引されている。詳しくは『300.「幸せな甘さ」』『303.「夜の山道」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷




