318.「人の恋路を邪魔する奴は」
一瞬、思考が止まった。
メス猫?
マドレーヌはじっとこちらを睨んでいるが、いったいどうしてわたしの名前を指してメス猫だなんて言うのだろう。そこにポジティブな意味なんて欠片もない。
「早く答えなさいよ。アンタがクロエなんでしょ?」
マドレーヌは不愉快そうに言葉を続けた。
いかにもわたしはクロエだけど、それを素直に答えていいかどうか判断がつかない。テレジアからなにか知らされているのだろうか。
いずれにせよ、ぶつかってみるしかない。シンクレールが捕らわれている以上、下手な嘘を言って逆上されるようなことになったら困る。
「……そうよ。わたしがクロエ」
答えて見せると、マドレーヌは小さく舌打ちをして顔を歪めた。敵意に溢れた眼差しがわたしを射る。
「『教祖』様がなんて言っても、アンタだけは排除するわ」
低く、唸るような声が広間に溶けた。柱時計の規則的な音が静寂を縫う。
排除か。相手がそのつもりなら、こちらも応戦すべきだろう。仲間を人質に取られているといっても、無抵抗でいるつもりはない。けれど……。
マドレーヌの言葉は、なんとも不透明だった。わたしだけは排除する? 『教祖』がなんて言っても? テレジアはわたしたちに対して手出しはするなとでも命じているのだろうか。考えても真相は見えてきそうにない。そもそも、これほどまでにマドレーヌの怒りを買う真似をしたとも思えない。確かに失礼な態度はあったかもしれないけど。
「話が見えませんね」とヨハンが助け舟を出した。わたしがなにか言っても逆鱗に触れそうな予感がしていたので、本当に助かる。
「分からなくていいわ。アタシはクロエって奴が消えてなくなればそれでいいのよ」
物騒な台詞に反して、マドレーヌの魔力は落ち着いていた。極端に昂っているのは言葉だけで、魔術を行使する気配はない。少し揺さぶってみるか。
「なんだか唐突ね。あなたに嫌われるようなことをしたかしら? さっきはちょっと失礼な態度を取っちゃったけど、それは謝るわ」
「別に。態度なんてどうでもいいし、アンタは悪いことなんてなにもしてないわよ。ただ、邪魔なだけ」
「邪魔? どうして?」
問いかけると、マドレーヌはまたもや舌打ちをした。そして今度はゆっくりと立ち上がり、こちらを見下ろす。その目は冷たく、やはり敵意に満ちていた。
邪魔だと言うなら、その理由くらい教えるべきだろうに。まあ、どんな事情があろうとも引き下がるつもりなんてないけど。
「アンタは」一旦言葉を切り、マドレーヌは妙にうっとりとした表情を見せた。「一目惚れってしたことある? アタシは何度もあるわ。実ることはなかったけどね……。もう恋なんてしないって誓ってキュラスに来たのに、まさかこんな出会いがあるなんて意外だったわ」
こいつ、なにを言ってるんだろう。一目惚れだの恋だの、今のわたしとなんの関係も――。
そこまで考えて、ひとつ心当たりを見つけた。こいつ、まさか……。
マドレーヌは「ふん」と不快そうに鼻で笑った。「気付いたみたいね、メス猫ちゃん」
目ざとい。顔に出さなかったつもりだけど、わたしの変化を敏感に読み取ったのだろう。こんな種類の面倒が待っているとは思ってなかったけど、誤解させたままでいるのは得策ではない。
「シンクレールとは、なにもないわ」
そう、シンクレールとはただの仲間だ。
「嘘おっしゃい。あの子をたぶらかして悦に浸ってるんでしょ? アンタみたいなメス猫は大嫌い」
やはり、シンクレールからなにか聞いているのだろう。マドレーヌが彼に一目惚れしたのなら、こちらの存在を邪魔に感じるのも無理ない。
それにしても、シンクレールはなにを語ったんだ。マドレーヌの誤解の仕方を見ると、まるでわたしが彼を振り回して遊んでいるみたいじゃないか。そんなこと一度だってしたことはない。
「誤解よ。彼からなにを聞いたのか知らないけど、あなたの恋路を邪魔するつもりなんてないわ」
嘘は言っていない。テレジアを討伐したうえでキュラスを去るつもりだが、恋路を邪魔しようだなんて思っていないから。
「アンタはそう思ってるかもしれないけど、あの子は違うのよ。だから目障りなのよ!」
彼女の叫びが部屋を震わす。
シンクレールがわたしを想ってることは薄々気付いていたけれど、こんなふうに責められるだなんて想像もしていなかった。思わずヨハンを見ると、彼は白けた表情で壁を見つめている。関わり合いになりたくない、ということか。まあ、わたしも同じ立場だったらそう思うに違いない。
「あなたの気持ちは分かったし、それを否定するつもりなんてないわ。とりあえず落ち着きましょうよ。目障りだから排除するだなんて、あなたたちの信仰とは相容れない考え方じゃないの?」
言ってから、しまったと思った。
マドレーヌは、すっ、と無表情に変わったのである。そして、その身に溢れる魔力にはじめて変化が見られた。彼女の身体を覆うそれは、輪郭がくっきりと表れたのである。いつでも魔術を行使出来る状態だった。
「それとこれとは、無関係よ」
怒りを抑圧した声。ほんの少しのきっかけで決壊してしまいそうなあやうさがあった。
信仰が生き方を規定するなら、無関係ではないだろうに。そう思ったが、口にしても火に油を注ぐだけである。
「そうね、ごめんなさい。こんなふうに責められるだなんて思ってなかったから、つい」
「……分かればいいのよ」
マドレーヌの魔力が、先ほどの落ち着きを取り戻した。取り乱すと危ない人なのかもしれない。気をつけなきゃ……。
「マドレーヌさん。お嬢さんの言うように、私たちはそんな関係ではないんです。シンクレールさんがどう思っていようとも、です。お嬢さんを消すぐらいなら、シンクレールさんを説得すべきでしょうなぁ」
ヨハンの言う通りだ。これじゃ八つ当たりでしかない。
ようやくマドレーヌもそのことに気が付いたのか、額に手を添えてため息をつくと椅子に座った。
「さて、マドレーヌさん。私たちを晩餐に招いたのはそれが理由ですか?」
ヨハンはすかさず話を変える。いつまでもくだらない話題で時間を浪費するわけにはいかないのだ、わたしたちは。きっとマドレーヌだって、それだけを言うためにわざわざ呼びつけたわけではあるまい。
しかし――。
「ええ、それが理由よ。アタシにとって大事なのは、それだけだもの」
……なんだそれ。テレジアの策略かと思っていたのだが、拍子抜けだ。あるいは、マドレーヌの言葉自体がブラフなのだろうか。
「なら、私からご質問が――」
ヨハンの言葉が途切れて消えた。理由は明白である。部屋の外から、規則的な靴音が聴こえたのだ。それは真っ直ぐこちらへと迫り、扉の前で停止した。
誰か来る。集中力を研ぎ澄まし、マドレーヌに警戒されない程度に腰を浮かせた。ここは敵の拠点深くである。どんな物騒な展開が待っていても不思議ではない。シンクレールを取り戻すまでは大人しくしている気だったが、それも相手の出方次第だ。
やがて、扉が開け放たれた。
「モニカじゃない。なにしに来たのよ」
マドレーヌはつっけんどんに言う。
扉の先から、ちんまりとした少女がてくてくと歩いてきた。マドレーヌと同じく白のローブ姿ということは『救世隊』の一員なのだろう。鮮やかな金髪が永久魔力灯の光を吸ってきらきらと輝いている。真ん中分けにして額を出したヘアスタイルの髪は、胸元まで真っ直ぐ伸びていた。たぶん、わたしよりも半周りくらい年下だろう。まだあどけなさは抜けていないものの、どこか背伸びした印象の顔立ちだった。
口からは、なんだろう、白い棒切れが伸びている。
モニカと呼ばれた少女は、ツン、と口を尖らせた。
「暇だから来ただけよ」
彼女が喋ってはじめて、咥えているのが飴だと分かった。白い棒の先に、鮮やかなブルーの球体が見えたのだ。
ここにきて敵がひとり増えたことになる。が、それは想定済みだ。こうして宗教施設に招かれているのだから、相手が一人か二人かなんて変わらない。ただ、ひとつだけ問題がある。
少女の背には身の丈に合わない巨大な武器――ちょうど、彼女が舐めている飴と同じかたちをしたもの――が負われていた。たっぷりと魔力の籠った武器が。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『救世隊』→キュラスの宗教団体の幹部を指す。
・『永久魔力灯』→魔力を施した灯り。光度や色調は籠められた魔力に依存する。魔道具。詳しくは『38.「隠し部屋と親爺」』参照




