316.「宗教施設と桃色の髪」
夕暮れの草原を歩きつつ考えるのは、隣にいる骸骨男のことだった。雄大な景色に吹き飛ばされたモヤモヤが徐々に戻って来る。
わたしはいつ眠ってしまったんだろう。そして、ヨハンはいつ自分のコートを毛布代わりにかけてくれたのだろう。
「さっきは……ありがとう」
やっとのことで口にしたけれど、ヨハンはへらへらととぼけて見せた。
「なんのことです?」
「だから……コート。かけてくれたんでしょ? ……わたしが寝てたから」
「ああ、そのことですか。とんだ勘違いですな。出発までにコートを温めておこうと思っただけですよ。私は基礎体温が低いですからねぇ……お嬢さんに預けておけば万全だと思っただけです。おかげさまでばっちりでさぁ」
下手な嘘……。ヨハンがこうして優しさを見せるのは、裏切りに対する後ろめたさなのだろうか。いや、たぶん違う。彼は自分のしたことを振り返ってアレコレと反省したりするような奴じゃないはず。なら、単なる気まぐれな親切だろうか。……そう考えたくはない。ヨハンのことを過剰に否定するつもりはないけど、彼に心を許すような真似は絶対駄目だ。
思い出すのはあの夜の光景だった。月夜に君臨する裏切り者の悪魔。わたしを殺すことになんの抵抗もなかった彼。あれがヨハンの真の姿なのだ。だから――。
だから、あんまり優しくしてわたしを揺さぶらないでよ。
そんなこちらの気も知らず、ヨハンは平然と呟いた。「ぐっすり眠れましたか?」
「おかげさまで……。そっちは?」
「私は早々に目が覚めてしまいましたので、ひたすらぼんやりしていましたよ」
なんだそれ。
「寝たいって言ったのはあなたじゃない。それならわたしを起こしてでも街に行ったほうが良かったんじゃないの?」
すると彼は、口の端に一瞬だけ笑顔を浮かべ、肩を竦めた。
「気持ち良さそうに眠るお嬢さんを起こすなんて、そんな真似はしませんよ。それに、陽が落ちれば厄介事が待っているんです。万全じゃない状態で出し抜ける相手ではないでしょうから、お嬢さんには充分な睡眠が必要だったわけです」
「ちょっと待って。それじゃ、わたしを眠らせるためにひと芝居打ったみたいじゃない」
ヨハンはへらへらと笑いながら、曖昧に首を振った。
「私だって休んでおきたかったんですよ。まあ、結果として短眠にはなりましたが。しかし、充分です。半分とはいえ『黒の血族』ですからねぇ。眠りなんて些細なオプションですよ」
この男はどこまでも……まるで人を馬鹿にしてる。わたしの状態を見抜き、片意地までも勘案に入れて休ませたわけか。
「あんまり優しくしないで」
「なぜです? 照れるから?」
「違う……もういい」
これ以上このことについて話していると下手な言葉が飛び出てしまいそうだった。
少し歩調を早めると、彼は悠々と合わせた。
ゆるやかな坂道が延々と続いていたが、先のほうに家屋の頭が覗いている。――が、様子がおかしい。
やがて道が平坦になり、違和感は確信へと姿を変えた。
「これはこれは……」と、隣から不信感に満ちた声が聴こえる。
何十軒と広がった家屋の群は、ことごとく廃墟と化していた。倒壊した家か、その間際でなんとか形を保っているものがほとんどである。そしてずっと奥には、明らかに周囲の景色から浮いた真四角の白い建造物がひとつ。そのさらに奥は急坂になっており、頂点には白く煌めく縦長の建物が鎮座している。三角屋根に、ステンドグラス。あれが教会なのだろう。すると、坂の下に設置されているのは教団の施設に違いない。
施設と教会は、遠目からもよく整備されていることが分かるくらい綻びがなかった。廃墟群との対比が痛々しいほどである。
「共同生活をしている、ということはここにある家を捨ててあちらに移ったのでしょうなぁ」
ヨハンは施設に視線を釘づけたままこぼした。
「ええ、きっとそうね」
街のすべてを教団が呑み込み、施設に押し込めてしまったような印象である。
「そういえば、晩餐はどこでするのかしら。『救世隊』から聞いてるの?」
「いえ。街に入れば案内するとだけ言われましたから……。ともかく、進むしかないでしょう」
そう、進むしかない。街の奥――最初に会った老人が街の中心と呼んだ場所へ。
あたりにはぽつぽつと人影が見えた。てっきりなにか言われるかと思ったが、皆一様に会釈をするだけだった。にこにこと、陰りのない笑顔で。
こんな山頂の街に旅人が来るなんて珍しいはずなのに、住民たちは詮索するような真似なんてしなかった。微笑んですぎゆくだけ。なんだか薄気味悪い。
廃墟を進むうちに分かってきたのは、キュラスの家屋はその機能を失っていたが、代わりに畑はしっかりと栄えていることだった。施設で寝起きする住民が毎日農作業をしているのだろう。叫ぶ鶏や鳴く牛も、健康そのものである。
特殊な街。そう考えて間違いはない。こんな形式で生活を営んでいるような場所はきっとキュラス以外にない。住民全員が綻びなく意志を共有していないと成立しないだろう。ひとりでもエゴを出してしまったら途端に崩壊する。この秩序を守っているのがテレジアの宗教……そう考えて歯噛みした。
施設は地下にも生活スペースがあるという話だから、単純な人口で言えば街と称して然るべき人数を抱えているだろう。街ひとつぶんの大量の意志を束ね、ひとつの方向へと導いていくテレジアという人物はやはり異様だ。もし彼女が住民全員にわたしたちの捕縛を命じたら、きっと抵抗する間もなく捕まってしまうに違いない。
住民たちは誰もが質素な装いだった。褪せたズボンに、丸首のシャツ。シンプルなジャケット。全員が硬そうなブーツを履いているのは、山頂独自の理由だろうか。雪が降っても家畜の世話や畑仕事が出来るように、という……。
「夕方なのに働き者ですなぁ」
「ええ。真面目なのね」
山頂で生きる厳しさは想像も出来ない。きっと少しの油断や甘えも許されない環境なのだろう。そこに信仰心が加わればなおさら真面目にもなる。
施設に近付くにつれ、身体が強張ってきた。魔物との戦闘でもこれほど張りつめることはないくらいに。たぶん、状況のせいだ。
シンクレールが捕らえられ、彼を餌に敵陣へと招かれる。敵はわたしと同じ人間で、しかし討ち取らねばならない相手……。ハルキゲニアでも人間同士の思惑に巻き込まれたが、あれは女王側とレジスタンス側の、あくまで集団戦だ。今は多勢に無勢。なおかつ、弱点も握られてしまっている。言いなりになる気なんてないけれど、のっぴきならない状況なのは確かだ。
「おや」
ヨハンが声を上げると同時に、わたしも気が付いた。
施設の入り口らしきドアの前に、それまでの住民とは装いの違う人物が立っているのだ。壁に背をもたせかけて、腕組みをしながらこちらにじっと視線を注いでいる。身体の中心に深紅の十字架が描かれた白のローブ姿。明らかに教団の重要人物――おそらく『救世隊』だろう。その衣装もそうだが、遠くからでもはっきり目立つのがその頭髪である。綺麗な桃色に染まった肩までの長髪。なんとも珍しい色合いだ。
すぐそばまで来ても、その人はじっとこちらを見つめているだけだった。睨んでいるわけではないようだが、じろじろと観察されるのは気分のいいものではない。
それにしても、美麗な顔立ちをした女性。顔かたちはくっきりしているし目付きも良くはないのだけれど、美人には違いなかった。
「どうも、こんばんは。『救世隊』のかたから晩餐のご招待をいただいたのですが、もしやあなたがホストですか?」
ヨハンは豪胆にも、いつものごとくへらへらと笑みを浮かべて話しかけた。
あれ。確かヨハンが話したと言っていたのは男じゃなかったっけ。この人は関係者だろうけど、ホストではないだろう。
すると、ローブの女性は薄く唇を開いた。
「そうよ。アタシがアナタがたを誘ったの。随分と早いお出ましね」
思わずぎょっと目を見開いてしまった。どういうことだ。
そんなわたしのリアクションが気に入らなかったのか、ローブの人はぎろりと睨みを利かせる。
「なによ。なにか文句でもあるの?」
「い、いえ。なにも」
不機嫌そうに腕組みをする『救世隊』のひとり。口調は女性そのものだったが、その口から漏れた声は野太く、明らかに男性のそれだった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて
・『救世隊』→キュラスの宗教団体の幹部を指す。
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて




