312.「教義」
男は柔らかな笑みを浮かべて会釈を返した。牧歌的な土地の温厚な老人といった風情である。どこにも敵意はみられないどころか、警戒心さえ感じられない。
「おはよう、お嬢さん、お兄さん」
老人は見た目通り温和な声をしていた。口調も丸みを帯びている。ヨハンのことを『お兄さん』だなんて呼んだのがどうも納得いかないけど。
「いい天気ですなぁ。キュラスはいつもこんな具合なんですか?」とヨハン。
「いや、日によるよ。半時間で大雨になることだってある。なにせ山の上だからねぇ。だから、お天気のうちに仕事を済ますのさ」
「働き者ですなぁ」
「健康の秘訣さ」
老人はずっと笑みをたたえて愉快そうに喋っている。わたしたちが何者なのか気にならないのだろうか。知っていてあえて平静を装っているのだとしたら、随分と狡猾だ。
「ところで、おじいさん」と、ヨハンから話の主導権を奪うべく口を開いた。「ここはキュラスで間違いないのよね?」
「ああ、そうさ。お二人はここを目指して旅してきたんじゃないのかい?」
察しがいいのか、それとも事前に通知があったのか……。果たしてわたしたちが旅人として捉えられているのか、実は警戒すべき侵入者として見られているのかなんとも判断がつかない。
「ここはいい土地ね。空気も美味しいし、景色も綺麗」
「自然の恵みさ。わしもそうだが、移り住んできた人らはみんなこの場所が一番と言うなぁ。厳しい土地ではあるが、それゆえに風光明媚で恩恵も多い。それに『教祖』様もおる」
ぴくり、と反応しそうになったが努めて平静を装った。こんなにもこだわりなく『教祖』を出すということは、どんな裏があるのだろうか。それとも、本当になにも知らない住民なのか……。
口を開きかけたところで、ヨハンに先を越された。
「私たちは『教祖』様の話を聞きつけて旅してきたんです。とても素晴らしいお考えをお持ちだと……。よろしければ、あなたが知ってることを教えてくださいませんか? 直接伺うのも恐れ多いので、ぜひともあなたにお話ししていただきたいのです」
あまりにもストレートにたずねるものだから内心で驚いてしまった。虎穴に入らずんば、という意図だろうか。いかに平凡な老人といえども、ここは敵の拠点である。そう迂闊に進めてしまったら、あとでとんでもない災難に遭うかもしれない。
しかし老人は今まで通りなんの警戒心も見せず「もちろん」と快く返した。
テレジアの語る教義は、決して特殊なものではなかった。天上に神がおり、慎ましく嘘のない人生を送れば精霊として天の国に迎えられる、というものである。それ自体はむしろ手垢のついた考え方だ。
王都でもたまに宗教家が現れては似たようなことを叫ぶが、決して浸透しなかった。その理由は様々だったが、大雑把にまとめると魔物の存在と神の存在が両立しえないという点にある。もし救いの神がいるならば、どうして魔物のような邪悪な存在を放置しているのか、というわけだ。
キュラスの宗教は、魔物を『罪の結晶』と捉えているようである。人間の罪科がかたちをとったものだと。したがってそれらに対抗するため、人間は二つの武器を持たなければならないらしい。ひとつは純真で偽りのない心。もうひとつは、罪を焼き払う力。罪科に対抗するために武装しなければならないわけだ。その考え方も、王都の宗教家が懲りずに口にしてきたものである。つまりキュラスで栄えている宗教は、その教義においてなんら特別な要素を持っていないのだ。
にもかかわらず求心力を持っているのは、まず土地柄があるだろう。山頂の街となれば、いかに設備を整えても自然に阻まれて孤立化してしまう。ゆえに、価値観が固定されがちなのは想像に難くない。そしてもうひとつ――重要なのは『教祖』の存在であろう。
老人の語るテレジア像は、まさに聖女そのものだった。慈愛に溢れ、穢れなど少しも持たない。夜間の防衛では前線に立ち、誰よりも教義を体現している。昼には住民の『懺悔』を聞き、その罪を洗うのだという。懺悔するだけで消えてしまう罪なんてあるのか疑問だけど……。
「王都でも『教祖』様のことは噂になっております。素晴らしいお方だと……」と、ヨハンは同調した。「『教祖』様は教義に則って、魔王討伐の旅に同行したのですね」
すると老人は、力強く頷いた。
「そう、『教祖』様は罪科を洗うために旅立ち、そして成し遂げた……。こうしてキュラスに戻ってからも、残った罪を雪いでいるのさ」
魔物が罪の結晶なら、魔王はその最たるものだろう。
あなたの信じているテレジアは人類最大の罪を放置して、あまつさえそれと手を結んでいるのよ。そう返したくなったが、ぐっと呑み込んだ。いたずらにトラブルの種を増やしても仕方がない。
「ご立派な方ですなぁ。ぜひとも入信したいものです」
思わずヨハンを見ると、彼は目を閉じて両手を組み合わせていた。演技だろうけど、信じられないくらい似合わない。
「なら、街の奥に行くといい。そこに教会がある」
教会。そこがテレジアの根城か。懺悔とやらもその場所でおこなっているのだろう。自分は決して口に出さない最大の罪を抱えているのに……。
「どうもありがとう」
頭を下げてニッコリと微笑む。すると老人も穏やかな笑顔を返した。どうやら彼は、本当になにも知らないらしい。わたしたちのことも聞かされていないし、魔王の生存なんてなにも知らない様子だ。
「最後に、この街についてお聞かせいただけますか?」
ヨハンは抜け目なく街の構造を聞き出し、別れを告げた。
「どう思います?」
一旦情報を整理する必要があった。一見すると草原が延々と続いていたが、ぽつぽつと木々が生えており、隠れ蓑にするにはちょうどよかった。
「どうって……やっぱり敵としか思えないわよ」
「いえ、『教祖』のことではありません」
すると、街のことか。
老人から聞き出した街の構造は、確かに一考すべき奇妙なものだった。
住民全員が、教会付近の施設で共同生活を送っているらしい。昼間は外で農作業などをして過ごし、夜はその施設とやらで休む。だからこそ住宅はほとんどない。そんな街があるなんて想像もしていなかった。開かれた宗教という外聞ではあったが、共同生活と土地柄を鑑みるに、隔離だとか洗脳だとか、そんなイメージが浮かんでしまう。
「施設を攻めるしかないんでしょうけど、上手く侵入出来るかしら」
まず考えるべきはシンクレールのことである。もし彼がテレジアに捕らえられているなら、居場所は施設に違いない。施設内は地下に大量の部屋があるらしいのだが、さすがに細かい造りまでは聞き出せなかった。
「懺悔でもしてみますか?」とヨハンは苦笑交じりに言う。
「冗談にしてもセンスがないわ……もう少し詳しく聞けるような人を見つけるべきね」
とはいえ、街の中心部へ乗り込むのはリスキーだ。テレジアはもちろんこちらのことを知っているだろうし、教団の幹部である『救世隊』とやらも同様だろう。いいアイデアが浮かばない。
と、不意に騒がしい足音が聴こえた。ひとり分の音なのだが、やたらと大きく鳴っている。
「おーい!! 旅人さーん!!」
快晴を貫くような、野太い声が鳴り響いた。木から顔をちょっぴり出してそちらの方角を見ると、ヨハンよりも身長が高く、がっちりした体躯の大男がこちらへ向かってくるのが見えた。ごつごつした顔付きで、茶の短髪。丈の短い上着に、質素な茶のズボンを履いていた。まるで盗賊みたいな見た目である。
彼はわたしを見やると、破顔して手を振った。
彼が歩いてきた方角は傾斜の上――つまりは街の中心部へと向かう方向である。老人はこの場所よりも降りた位置にいた。事前に示し合わせることは出来ない。つまり、あの男はわたしたちが『旅人』であり、今日ここを訪れることを知っていたに違いない。
誰から知らされたか。そんなもの、決まってる。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。現在はナンバー4。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。




