302.「彼らの二枚舌」
シンクレールを見つめると、彼は露骨に困り顔を浮かべていた。彼にとってテレジアは凱旋式の印象――つまり、聖人の姿――が強かったはず。それが、わたしの敵であり王都を脅かす存在だと言われ、ただでさえ半信半疑の状態だったのだ。そこにロジェールの澄み切ったテレジア像が語られたら判断に困ってしまうのも当然である。
結局はロジェール個人の視点で綴られた『教祖』でしかない。どれほどの説得力を持つかは怪しいが、ヨハンに見抜けない嘘なんてなかなかないだろう。彼が騙されたのは、わたしの知る限り一度きりである。ノックスをハルキゲニアの使者――ザクセンに預けたときばかりは、その裏に気付くことはなかった。ただあれは例外のようなもので、ザクセン本人が邪悪さを正義と信じ込んでいただけの話である。ロジェールもそうではないとは言い切れないが、事実を捻じ曲げられるほど強烈な自己暗示なんてそうそうあってたまるものか。
つまり、ロジェールの言葉には一定の信頼を与えるべきではある。それを頭から信じ込むのは違うけど。
「それはそうと」とヨハンがいかにも今思いついたとでも言わんばかりの調子で口を開いた。「森に逃げたことが、どうして秘密なんです? 話を聞く限り『教祖』はあなたを追いかけ回すような人には思えませんが」
それもそうだ。単に後ろめたさや恥じらいだけでは納得出来ない。それこそ、キュラスの人々にこのことを知られたら困るなんて奇妙だ。
「それは……」
ロジェールは言葉に詰まり、わたしたちを落ち着かない視線で眺め回した。そしてやはり、気乗りしない口調で呟く。「警戒されているからです。信者とはいえ、キュラスを離れたことは事実ですから……良く思われていないのは分かっていただけますよね?」
まあ、理解出来る理屈だ。ただ、具体性がない。
「警戒って、なにかされたりしてるの?」
ロジェールは首を横に振って「そういうわけじゃありません。ただ、伏せたほうがいいことくらいはぼくにも分かりますから」と答えた。
なんとも曖昧な答えだったが、彼の表情は必死そのものだった。顔には汗が浮き、声も震えている。どうにも怪しい。
「ロジェール、あなた――」
言いかけた言葉はヨハンに遮られた。
「いやぁ、どうもありがとうございます。そこまで話してもらえれば私としてもぐっすり眠れそうだ」
思わずヨハンを見ると、彼は飄々と肩を竦めただけだった。あれほど追及にこだわっていたのに、どうしてこうもあっさり引き下がるんだろう。
彼はわたしとシンクレールが口を開くより先に続けた。
「さて、最後にひとつお願いがあります」
「なんでしょう?」
外はすっかり暗くなっていた。本来ならこれから魔物の時間なのだが、ロジェールの言う通りだと出現しないだろう。昨晩、平和な夜を味わった以上疑いはない。別れ際のロジェールの複雑そうな表情を思い出すと、なんとも言えず苦々しい気持ちになった。
家から充分離れるとようやく肩の荷が下り、口を開くことが出来た。
「ねえ、どうしてあんなこと言ったの?」
「なんのことです?」
とぼけて見せるヨハンが腹立たしい。それはシンクレールも同じだったらしく、苛々した様子で口を開いた。
「なんで僕たちが盗賊ってことになるんだよ」
ヨハンはロジェールに地形図を要求したのだ。気球を飛ばすくらいだからその程度は把握しているはずだし、資料があってしかるべきだ、と。そして半ば強引に地形図を奪ったのである。「なぜ地形図を」と訝しがるロジェールにヨハンが言い放ったのは「盗賊だからですよ」という、まったく的外れな言葉だった。そしてヨハンは矢継ぎ早に、自分たちが高山蜂の巣を大量に手に入れて売りさばこうとしていると告げたのである。「ギブ・アンド・テイクですよ。秘密には秘密を」なんて嘘八百を付け加えて。
「シンクレールの言う通りよ。あなたのやってることがまったく分からない。なんであんな嘘をついたの?」
するとヨハンはへらへらと笑った。
「第一に、私たちは身分を偽らねばなりません。こんな山奥をうろついている人間はそうそういません。高山蜂の巣を出してくれて助かりましたよ……。あれ目当ての賊と見せかければ奇妙ではないですからね」
まあ、そうかもしれない。盗賊ということにしておけば、人目につかないように行動をするのは不自然ではない。加えて、高山蜂の巣が目当てであればこんな奥地まで進んできた理由にもなる。
それにしても、納得のいかないことはほかにもある。
「なんで今の時間帯にロジェールの家を出る必要があるんだ。ひと晩世話になれば良かったじゃないか」とシンクレール。
ヨハンはやはり飄々と、なんでもないことのように返す。
「あれ以上彼と過ごすのは却って危険ですよ。あれは『教祖』と関係のある人間ですから。ほかの信者が家を訪れる前に出発したかったのが本音です」
顔を見られてはならない立場というのは理解している。けど、それだとロジェールの語った内容と矛盾する。
「どうしてロジェールの家に信者が来るのよ。だって彼は、教団を避けてる節があるじゃない」
あれだけ警戒しているのだ。そう簡単にキュラスの信者とコンタクトを取るなんて考えづらい。
シンクレールも「そうだ」と頷く。
「まあ、そうでしょうね」と前置きしてヨハンは続けた。「彼の言葉が真実なら、その通りです」
「じゃあ、ロジェールは嘘を言っていたってこと?」
「ええ」
平気そうなヨハンの顔が憎らしい。こいつにはどれだけの物事が見えているというのか……。
「嘘を言ってるなら、なんで追及しなかったのよ」
「深掘りする意味があるなら私だってそうしました。あの場で私が確かめていたのは一点だけです」
言って、彼は人さし指を立てる。
「ロジェールさんの嘘が、揺さぶりやらなにやらで破れるかどうかだけです」
あのときのヨハンの奇怪な目付きは、ロジェールの言葉の裏表を判断すると同時に、それがどれほどの強度を持っているかまで見抜こうとしている目だったとでも言うのか。
「……じゃあ、ロジェールはどんなに揺すっても嘘を覆さないって判断したのね?」
「ええ。だからこそ、さっさと切り上げる気になったんですよ」
まったく、なにもかもヨハンの手のひらの上だ。
「嘘が分かるなら」とシンクレールは不機嫌そうに腕を組む。「ロジェールの本意も分かるんだろ?」
するとヨハンは、肩を竦めて首を横に振った。
「真実はロジェールさんしか知りません。まあ、『教祖』の人間性に偽りはないようでしたが、森の主だとか、秘密めいた態度の理由だとかはまったくの嘘です」
すると、魔物が出ないということも……。
こちらの懸念を察したのか、ヨハンは「魔物が出ないのは真実です。現に私たちだって出くわしてないでしょう?」と付け加えた。
「なら、余計に食らいつくべきじゃないか。ロジェールの嘘は僕らの今後にも影響する内容だろうし。簡単に諦めていいことじゃない。今から戻ってでも聞くべきだ」
シンクレールは強い口調で詰め寄る。ヨハンはと言うと、相変わらずへらへらと不健康な顔を夜闇に浮かべていた。
「私は無駄なことはしない主義なんでさぁ……どうしてもって言うならシンクレールさんだけで戻るといいです。無論、私は先に進みます。余計な面倒を呼び込んでグズグズの状況になることが明らかですからね」
シンクレールが舌打ちをひとつして、ヨハンから目を逸らした。
「ヨハン……あなたの判断は正しいのかもしれないけど、過信出来るものじゃないのよ。だから、今度からそういうことは先に言って頂戴。耳打ちの魔術でも使えば造作ないでしょう?」
ヨハンは「はいはい」と返し、それから空を仰ぐ。
風の音に混じって「いやはや」と聴こえた気がした。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。現在はナンバー4。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて
・『ザクセン』→ハルキゲニアからの使者。笛の魔具を所有。『アカデミー』でグールに襲われ、命を落とした。詳しくは『98.「グッド・バイ」』『141.「ハルキゲニアの笛吹き男」』にて
・『耳打ちの魔術』→交信魔術。初出は『31.「作戦外作戦」』
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて




