300.「幸せな甘さ」
ロジェールは困ったようにこちらへ視線を送った。さすがに気の毒である。ヨハンの疑問自体はわたしも知っておきたい内容だったが、それにしても聞き方というものがあるだろう。
ヨハンをたしなめようと口を開きかけると、先手を打たれた。まるで釘を刺すみたいに。
「お嬢さん。今私たちがどこにいるのか、よく考えたほうがいいですよ」
かすれた声。口調こそおだやかだったが、有無を言わせぬ威圧感があった。
確かに、彼の言葉には反論出来ない。わたしたちは『教祖』テレジアを討伐するために歩を進めている。そしてここは彼女の故郷――キュラスへと至る森。ロジェールが妙な企みを持っているとも思えなかったが、こんな奥地でぽつんと生活していること自体が異様ではある。そこにテレジアの影を感じないわけではない。
けど、こうして逆にたしなめられるとちょっと反発したくもなる。
「ごめんなさいね」と、ロジェールに微笑みかけて続けた。「彼、ちょっとコミュニケーションが苦手なのよ。気になることがあると聞かずにいられないの。悪意はないから安心して頂戴」
ちょっぴり反撃。横目でヨハンを見ると、薄気味悪いニヤニヤ顔をしている。
「そういうわけなんでさぁ……一度疑問が浮かぶと頭を離れてくれないんです。四六時中、それこそ夢に出てくるくらいですよ。私を救うためだと思ってぜひ教えてください」
逆に利用されたかたちである。本当にどこまでもしたたかだ。状況すべてを味方につけようとするんだから。
シンクレールは、まるで奇妙な生き物でも見るような顔でヨハンへ視線を注いでいる。迎撃しようにも上手い言葉が見つからないのだろう。それとも、嫌味さえも栄養にしてしまう人間性を不気味に感じているだけだろうか。
気持ちは分かる。わたしだってはじめてヨハンに出会ったときは、彼が異常者にしか見えなかったし。信頼が崩壊した今となっては憎しみが勝ってしまっているけど、ヨハンのことを恐ろしく思わないわけではない。なにを仕出かすか分からないから。
「それなら少しずつ話しましょう。せっかくだから食事でもいかがですか?」
そう言ってロジェールは立ち上がると、部屋の隅に置かれたひと抱えの布袋を持ちあげた。なんだろう。
彼はわたしたちの前に布袋を置くと、いそいそと開いて見せる。
「大したものではありませんが腹は膨れます。ご馳走を振舞えなくて申し訳ありません」
袋のなかにはぎっしりと、なにやら板切れのようなものが詰まっている。ビスケットにしては随分と色が薄い。手に取ってみたものの、食べ物という感じがまったくしなかった。細かく砕いた薪と言われたほうがしっくりくる。
「これは?」とシンクレールが不思議そうにたずねる。
そんな彼の横で、ヨハンがひょいっとそれを口にした。
ぼりぼりと痛ましい音が部屋に響く。ヨハンは平気そうに食べているが、いったいなんだろう、これは……。
「高山蜂の巣ですよ」
言うと、ロジェールもヨハンと同じくぼりぼりと美味そうに食べはじめた。
「高山蜂ってなんだい?」と小声でシンクレールがたずねる。
「山奥に住む大型の蜂よ。崖にしか巣を作らないんだけど、運よく手に入れることが出来れば保存食になるわ。高山蜂の蜜は固まるとこんなふうに素っ気ない色になるんだけど、しっかり甘い……らしいわ」
もちろん、図書館で得た知識だ。こうして袋いっぱいの巣をお目にかかるなんて。板切れみたいだと思った自分が恥ずかしい。
「山奥まで行けば高山蜂の巣は簡単に見つかります。取り放題と言うと語弊がありますが、非常食には不便しないですね。とはいえ、これだけだと偏食になりますので山菜を食べたりしますが。まあ、断然これのほうが美味いです」
ロジェールは愉快そうに食べながら話す。行儀は良くないが、確かに美味しそうだ。
勢いにまかせてひとつ頬張り、ぐっと歯に力を込める。すると、ボリッ、と巣が砕け、なんとも形容しがたい甘さが口に広がった。嫌悪感なんてかけらもない。むしろ、幸せな甘さだ。
シンクレールはおそるおそるといった様子で口に運んだが、すぐに顔が綻んだ。
「なんだこれ、すごく美味しい」
彼はもごもごと感動を言葉にする。その気持ちには大いに賛同したい。これは美味しくて、幸せな味だ。『蜂蜜もいいけど、高山蜂の巣は格別』という謳い文句が書物に記されていたっけ。あの一文は真実を示していた。
「いやはや、美味いですなぁ。こんな森のなかでご馳走にありつけるとは思っていませんでした。まったく、ロジェールさんは謙遜が過ぎますよ」とヨハンはニヤニヤ笑いを浮かべる。
「土地柄、そう珍しいものでもないですから。昔からよく口にしていたんです」
「ほう。すると、この辺の出身ですか?」
「ええ……その……はい」
ヨハンが話の流れを当初の疑問へと誘導したが、ロジェールは妙に口ごもってしまった。気乗りしない理由でもあるのだろうか。
そんな彼の態度を、ヨハンはさらに追及する。
「故郷のことはあまり話したくないんですか?」
「……大した話じゃないんですよ、本当に。だから、あまり気にしないでいただけると助かります……」
そう言われると気になってしまうのが普通だと思うけど。
しかしヨハンは、それ以上深堀りするのは避けた。さっきはわたしに釘を刺したのに、どういう風の吹き回しだろう。いちいち態度を変えてロジェールを――そしてわたしとシンクレールを――惑わしているのだろうか。
「そうおっしゃるなら、別のことを伺いましょう。……そう、重要な問題です。まもなく夜になるかと思いますが、どうやって生き延びているんです?」
「確かに、気になるわね」
この問題ははっきりさせておきたい。わたしたちの身にも降りかかってくる問題である。もしロジェールに画期的な方法があるのなら知っておくに越したことはない。だからこそヨハンに同調してみせた。
出身の話とは打って変わって、ロジェールは不思議そうに首を傾げつつ答えた。本当に、何気なく。
「魔物が怖いからこの土地まで来たんじゃないんですか?」
「……それって、どういう意味?」
さっぱり分からない。魔物が怖いのにどうして森に入らなくてはいけないのだ。視界も足場も悪いんだから、余計に脅威が増すと思うのだが。
しかし彼が返した言葉は、あまりにも奇妙なものだった。
「この森に魔物は出ませんよ」
「「え?」」
シンクレールと言葉が重なった。思わず彼と顔を見合わせる。
今なんて言った? 魔物が出ない?
意外過ぎて言葉が続かない。確かに昨晩魔物に遭遇することはなかったけど……この森の特性だとでも言うのだろうか。
「どういう理屈なんでしょうね。魔物が出そうな雰囲気はないと思っていましたが、本当に出ないだなんて」とヨハンはなぜか素っ気なく口走る。
そういえば彼は昨夜『なんとなく魔物が出ないような気がする』だなんて言っていたっけ。わたしが魔物の気配を感知出来るように、彼も自分なりの方法で連中の気配を嗅ぎ取っているのだろう。
「さあ……理屈は分かりません。街道付近は出ますから、どうも奥地だけ特殊なようですね。……ぼくがここに住みはじめたのも、それが理由なんですが……」
それは理解出来る。魔物が出ない土地があるとするなら、人間にとっての聖域だ。そんな安全地帯を見つければ活動拠点にするのも至極当たり前の話である。
ロジェールは深く知らないようだが、必ずどこかに理由があるはずだ。まったくの偶然から魔物が出現しないなんて話は聞いたことがない。どんな辺鄙な場所であっても、人がいる限り魔物の影はつきまとうのだから。
ロジェールはやや俯いて、ぽつりとこぼす。
「もしかしたら、あの人のおかげかもしれませんね」
「あの人とは?」とすかさずヨハンが口を挟むと、ロジェールは控えめに息を吐いた。そして複雑な表情で、小さく返す。
「『教祖』様です」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。現在はナンバー4。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』にて




