291.「魔術の由来」
イフェイオンの東に広がる山岳地帯――王都とは逆方面――を目指して進んでいた。あえて街道から逸れて歩んでいるので、当然のごとく誰ともすれ違わない。そもそも山岳方面への往来なんてないようなものなんだから街道をたどっても問題ないとは思うのだが、念には念を入れておくべきだ。
わたしの背丈ほどもある草地をどんどん歩んでいく。
目指す地は山岳地帯の頂点に位置するキュラスという街。勇者一行のひとり、別名『教祖』と呼ばれる信心深い治癒魔術師テレジアの故郷であり、彼女が信仰によって牛耳る地である。
草地はゆるやかな傾斜になっていたが、遥か前方に鎮座する山々は少しも近付かない。かれこれ三時間近く歩いているというのに。
「今夜は野営でしょうなぁ」と、ヨハンのため息交じりの声がした。
「きっとそうね。キュラスまではまだまだかかるわ」
地図上でもそれは明らかだった。街道を順調にたどっても二日ほどかかるだろう。整った道を避けているのだから、それ以上に時間が必要だ。街道沿いには宿場がいくつかあるようだが、さすがに寄るわけにはいかない。どこで誰が見ているか分からないのだ。死者が生きていたら――それも、王都を脅かした裏切り者が生きていたら――大問題である。
ともあれ、危険は承知している。夜間防衛を繰り返したとしても進まなければならない。今さら楽な道のりなんてないのだから。
「それにしても、キュラスか……」
シンクレールはいかにも落ち込んだ調子で言う。なにか思うところがあるのだろうか。
「キュラスについて知ってるの?」
「いや、一番王都から遠いって言われてる場所だから、ちょっと……」
ちょっと、なんだろう。王都から離れるのが寂しいのだろうか。
「不安?」
そうたずねると、シンクレールは弱々しい笑いをこぼした。「あはは……。別に、不安っていうわけじゃないんだ。なんだか現実味がなくて」
それもそうか。ついこの間までは王都の騎士として生きて、そして死ぬはずだったのである。それが名ばかりの死者となり、こうして王都から離れた地を目指して進んでいるのだ。現実味とかいう次元の話じゃない。
「随分と繊細な性格なんですねぇ」とヨハンがニヤニヤ笑いを浮かべてからかうと、シンクレールは舌打ちだけを返した。魔女の邸を去っても、二人の関係は相変わらずだ。
「口の減らない悪魔め」
シンクレールがぼそりと漏らすと、ヨハンは「言い得て妙ですなぁ」なんて軽く返す。
「今は言い争ってもいいけど、戦いのときはちゃんと協力してよ……」
そう言ってみたものの、両者返事をしなかった。ヨハンはこの状況を楽しんでいるような雰囲気があったが、シンクレールは心底不快に感じていることだろう。その証拠に、眉間に皺が寄っている。
「協力するかどうかはそのとき次第だ」
「不安になるようなことをおっしゃいますねぇ。おお、恐い恐い」
まったくもって頭が痛い。全面的にヨハンが悪者には違いないけど、どうにかならないものだろうか。
「それにしても」とシンクレールが話題を変える。「魔王がまだ生きてるなんて……ちょっと信じられないな」
そう思うのも当然か。シンクレールは魔王が討伐された前提で、各地の魔物発生状況を調査していたのだから。
「この目で確かに見たわ。奴は今も生きてるでしょうし、ニコルと手を組んで王都を壊そうとしてる」
虎視眈々と、環境を整えつつ。たぶん、ヨハンが真偽師を欺くのも計算に入っていたのだろう。真偽師さえ潰してしまえば、いくらでも従者を潜り込ませられる。そう考えると、今後ニコルの動きは加速していくかもしれない。
「そうすると、ニコルさん――いや、ニコルとその仲間も二重思考を使ったことになるな……。魔王討伐を報告する場に真偽師が立ち会わなかったなんてありえないだろうし」
確かにそうだ。ニコルの裏切りが露見しなかった理由は、今回ヨハンが使ってみせたものと同じく二重思考とみて間違いないだろう。
今までは魔具職人に技術内容を漏らさないようにさせるための魔術だと思っていたが、こうして考えると、真偽師を欺くのにおあつらえ向きである。あまりにもぴったりだ。
「二重思考なんて……どうして生まれたんだろう」
ぽつり、と疑問を漏らす。すべての魔術には発明された背景があるはずだ。二重思考も同様に、歴史を持つ。
「コーティング技術を守るためだろう?」
シンクレールはさも当たり前のように返したが、どうにも納得出来ない。王都の部外者――ヨハンにまで使用出来ているのだから、王都の自治だけでは理由として充分ではない。
「どこにだって、大なり小なり真偽師じみた魔術師はいたんですよ。連中に対抗するための魔術が二重思考です。グレキランスでどう扱われていたかは知りませんが、私の知る限りはそういった理由で使われていましたね」
よほど卓越していないと扱えませんけど、と付け加えて、ヨハンは退屈そうに首の骨を鳴らした。
真実を見抜く魔術と、それに対抗する魔術。どこまでも人間同士の争いだ。本来魔物相手に駆使されるべき『魔術』という財産が争いのもとになるなんて……。ヨハンみたいな皮肉屋にとってはそれが当たり前なんだろうけど。
シンクレールは不快そうに眉間に皺を寄せ、ヨハンに詰め寄った。「そういえばあんたはニコルの手下だったんだろ? なら、彼の計画だとか弱点だとか、知ってる限り教えるべきじゃないか?」
「残念ながらそれは出来ません。理由はひとつ――忘れたからですよ」
忘れたから?
「なんだそれ」とシンクレールが苛々と口走る。
そんな彼に「言葉通りですよ」とへらへら返すヨハンは、いかにも不誠実だった。
「ちゃんと説明しなさいよ」
わたしからも促すと、彼は肩を竦めてようやく語り始めた。
「ニコルさんの目的やら今後の動きに関しては全部忘却したんです。自分自身に忘却魔術をかけて。彼とは、そこまで含めた契約でしたからね」
ヨハンが反旗を翻すことも想定していたのだろうか。だとするなら、やり口が半端だ。
「なら、全部の記憶を消すべきだったんじゃないのかしら。契約内容だとか、勇者一行に関する知識も全部。どうしてそんな中途半端に……」
「さあ、私にも分かりません。たとえ私が契約の内容を覚えていようとも、今後の動きに差しつかえないと判断したんですかねぇ。核心だけを伏せればいい、と。現に手持ちの記憶だけでは、彼の動きは分かりかねます」
ヨハンが知っていて隠してる可能性は――いや、考えても意味がない。だとするのなら、ヨハンがわたしと契約することさえニコルのプラン通りになってしまう。そこまで計算されていたなら、わざわざトリクシィにわたしを追い詰めさせたりしないはずだ。
「信じられないな」
シンクレールは不機嫌そうに呟いて、ずんずんと先を歩いた。
「なに、信じてくれなくとも結構です。私は賭けの報酬を得るために動くだけですから」
きっとそうだろう。ヨハンは契約をもっとも重んじる奴だ。そこに優しさや甘さなんて介在しない……。
「それでいいわ、別に」
もう二度と、優しさなんて見せてほしくない。泣きたいような気持ちになったが、不思議と目は乾いている。
遥か遠くの山並みを目に焼き付け、長いまばたきをした。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。現在はナンバー4。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢」の使い手。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』『幕間.「王位継承」』にて
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『真偽師』→魔術を用いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を担う重要な役職。王への謁見前には必ず真偽師から真偽の判定をもらわねばならない。ある事件により、真偽師の重要度は地に落ちた。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『261.「真偽判定」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『コーティング技術』→魔具の出力を整えるための技術。王都では魔具工房のみで継承されている門外不出の技術とされている。詳しくは『26.「アカツキの見る世界」』にて
・『二重思考』→魔具職人のコーティング技術が外部に出回らないように使用されている魔術。あくまでも噂であり、全貌は不明。記憶の一部を思い出せなくする魔術、とされている。詳しくは『26.「アカツキの見る世界」』『257.「すべては因果の糸に」』『271.「二重思考」』にて
・『イフェイオン』→窪地の底に広がる豊かな町。王都に近く、特産品の『和音ブドウ』を交易の材としている。『毒食の魔女』によって魔物の被害から逃れているものの、住民一同、彼女を快く思っていない。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




