289.「あまりに不幸だからこそ」
翌日、早朝に目を覚ました。夜間防衛後に短い睡眠をとったのみである。
防衛の合間合間で今後のことを魔女に相談したが、彼女は「好きにするといい」の一点張りで相手にしてくれなかった。ただ、ノックスの回復具合については教えてくれた。まだ本調子ではないが、生活する程度なら問題なく、魔力の抜き方についても徐々に把握してきているとのことである。一緒に旅を続けることには危険が伴うが、やれないことはないらしい。
ノックスを連れて行くかどうかは、なかなか答えが出なかった。こうして寝起きの頭でぐずぐずと考えても同じである。彼をこれ以上危険な目に遭わせてはいけないという自制心と、本当に彼の幸福を考えるなら魔女に預けるべきではないかという想い。
いずれの選択肢も、無責任という言葉がついて回る。
ベッドを抜け出して大きく伸びをした。窓から見える外は快晴で、心地良い陽気に満ちている。青空をじっと見ていると目の裏側がずきずきと痛んだ。
「おはようだにゃ~」
不意にドアが開く音がして、ジェニーの呑気な声が聴こえた。彼女もすっかりわたしに慣れてくれたのか、今ではノックなしに部屋を訪れる。その遠慮のなさが、彼女なりの親愛の表現なのだろう。
「おはようジェニー。なんだか眠そうね」
彼女は目をごしごしとこすり、ふにゃふにゃと笑った。
「ぽかぽか陽気は眠くなるにゃ~」
「気を抜いて物を壊さないようにね」
ジェニーはよく物を取り落とす。花瓶などがその代表だ。床に落ちて壊れる前に素早くキャッチするのだが、そのときの丸く見開かれた目には「しまった」と言わんばかりの焦りがありありと表れている。彼女と一緒に掃除やらなにやらしていると、そんな場面ばかりだ。いつだってスリル満点である。
「ジェニーはおしとやかだから、なにも壊さないにゃ」
「実際に壊したところは見てないけど、よく花瓶を落としてるじゃない」
「落とした場面も見ないでほしいにゃ~」
ジェニーは窓辺に顔を乗せて気持ちよさそうに瞼を閉じた。本当に本能的な人だ。
彼女と一緒に窓の外を眺めていると、ふと、窓に人影が映っていることに気が付いた。わたしたちの背後に、上背のあるシックな身なりの男――ウィンストンが立っている。
あ、と思ったときにはジェニーが首の後ろを掴まれて持ち上げられていた。
彼女はバタバタと手足を動かして抵抗する。
「にゃにゃにゃ! やめるにゃ!」
「仕事をサボってお客様と日向ぼっこか。いいご身分だな、ケダモノ」
ウィンストンは冷然とした口調で言い放つ。この光景にもすっかり慣れてしまった。
「ジェニーはジェニーだにゃ! ジェニーがケダモノならお前は裏切り者の殺し屋だにゃ!」
「それで結構。さっさと仕事をしないと主人に嫌われるぞ」
嫌われる、という言葉を聞いたからか、ジェニーは大人しくなった。首は掴まれたままだけど。
「では、失礼します」とウィンストンは一礼し、ジェニーを引きずって去っていった。
ため息が出てしまうほどの平和な時間。目的を忘れたことなんて一度もないけれど、緊張の糸がゆるんだり張ったりして忙しい。
「さて、と」
ひとり呟き、部屋を出た。そのまま階段を降りて応接間へと向かう。
昨晩、魔女と話をつけておいたのだ。本日中に邸を出る、と。その際にノックスをどうするかについては、彼も交えて話し合わなければフェアではない。
応接間は最初に訪れたときと同様、清潔に整っていた。光を反射するくらい磨き込まれた大理石の床に、豪壮なソファ。
白を基調としたその部屋には張り詰めた緊張感が漂っていた。すでにヨハンとシンクレールが座っていたせいだろう。
「待たせてごめんなさい」
言うと、シンクレールは気疲れしたみたいなぎこちない笑顔を浮かべた。「いや、僕も今来たところだよ」
「一時間も前から座っていましたが、シンクレールさんは時間の感覚が随分とルーズなんですねぇ」とヨハンが余計なことを言う。
即座に彼を睨むシンクレールと、余裕たっぷりに肩を竦めるヨハン。一触即発というほどではないが、二人を見ているとこれからの旅路が不安にしかならない。仲良くしろだなんて思わないけど、いざというときに協力し合えるくらいにはなってほしいものだ。今の状態じゃ共闘なんて不可能だろう。
「喧嘩するなとは言わないけど、一緒に戦う相手なんだからちょっと冷静になって頂戴」
無理だろうけど。夜間の共闘を何度か試してみたのだが、ヨハンとシンクレールはどうも協調し合えそうになかった。シンクレールは決してヨハンを守ろうとしない。ヨハンも、それを前提に戦っている節が見えた。手を合わせれば今以上に効率的な戦い方が出来ると思うのだが……望み薄だ。
「僕はいつだって冷静だよ。こいつのことが許せないだけだ」
シンクレールの低い声が響く。ヨハンは諦めているのか、へらへらと天井を見つめて頭を掻いた。
「まあ、それだけのことをしましたからねぇ。言い訳するつもりなんてないですよ。お好きに憎むといいです」
「ああ、そうさせてもらうよ」
頭が痛い……。これから勇者一行のひとりを討ち取りに行こうというのに、こんな状態でいいのだろうか。
二人の間に腰を下ろすと、ちょうど魔女がノックスを連れて入って来た。
煌びやかなスリットドレス……羨ましくなるくらいスタイルがいい。それにしても、指や胸元に輝く宝石類が毎日違う。魔術的な理由があるのかと思い、いつだったかおそるおそるそのことを聞いたが、返って来た言葉は月並みだった。
曰く「着飾ったっていいだろう? 人と違って、衣装や装飾は裏切らないんだから。安心して身を預けられるのさァ」。魔女らしい。町を守る魔術師なんて数寄者ばかりと聞いていたが、彼女は別格だろう。
「さて、揃ったねぇ」
魔女とノックスが隣り合って座った。緊張した様子のノックスを見ているとこっちのほうが落ち着かなくなってくる。これからどうすべきか決めかねていることが見透かされないか心配だ……。
ともあれ、ヨハンと魔女、そしてシンクレールとノックスを交えて考えるべきことだ。誰ひとり置いてけぼりにすることなく、今後のことを決めねばならない。
「早速で悪いんだけれど」と前置きを入れて、頭を下げた。「今日までお世話になりました」
旅立ちの日取りは昨晩、ヨハンとシンクレールとともに決めたのだ。
行動は早いほうがいい。焦ってしかるべき日数が経っているのだから。シンクレールとの共闘にも慣れたことだし、ある程度の戦闘ならば問題あるまい。勇者一行のひとりを相手取るにはまだまだ不安だったが、加速度的に強くなれるわけでもないのだ。
「頭なんか下げなくていいさァ。退屈凌ぎにもなったしねェ。……それで、この子も一緒に連れて行くんだろう?」
水を向けられて、思考が止まった。もはやお見通しなのだろうけど、正直に答えるしかない。
「それが――」
言いかけて、言葉が引っ込んだ。ノックスが立ち上がり、魔女に向き直ったのである。そしてどうしてか、彼は深々と頭を下げた。
「なんだい、いきなり」と魔女は怪訝な顔付きでノックスを眺めやる。
ノックスが息を吸う音が、やけに大きく響いた。
「ありがとうございました……!」
今までの礼――それで終わるかと思ったが、そうではなかった。口を開きかけた魔女を遮るようにノックスは続ける。
「魔術を――魔術を教えてください!」
彼は頭を下げたまま、そう叫んだ。彼にしては随分と強い口調である。
「……お嬢ちゃんと一緒じゃなくていいのかい?」と試すように魔女が言う。
するとノックスは顔を上げてわたしを見た。その目には、迷いと、それを断ち切ろうとする努力が浮かんでいる。
「クロエを守れるくらい、強くなりたい」
ノックスの視線が、ヨハンへと移る。彼の瞳が、ほんの少し潤んだ。なんとも寂しそうに。
ノックスの口からこぼれ出た言葉に、なにも返せない自分が不甲斐なかった。いたわりも、喜びも、あるいはたしなめる言葉さえ、なにひとつ。
尋常でない量の不幸を背負い、命を何度も脅かされたにもかかわらず――いや、だからこそ――強くあろうとしている。その理由が『わたしを守るため』というものなんだから……まいってしまう。
ダメだ、泣きそう。
魔女はクスクスと笑った。「お嬢ちゃんを守る、か。随分と大きく出たねェ。……あんたは、あたしが断ると思わないのかい?」
思いのほか鋭い目付きで魔女は言う。そうか、彼女が拒絶すればノックスの選択肢は――。
「断っても、ずっとお願いし続ける」
ノックスらしくない強情さだった。ただ、口調には迷いがない。きっと本当に、魔女がうんざりするまで頭を下げ続けるのだろう。
「困ったねェ……。それじゃ、こうしよう」
言って、魔女は指を立てた。
「二ヶ月。それであんたを放り出す。泣こうが喚こうが、それで終わりさァ。それから先あんたとあたしが会うことは二度とない。――これでもかまわないかい?」
元々ノックスをほしがっていたのに、随分な条件だ。なにか事情があるのだろうか。
二ヶ月。決して長い期間ではない。魔術の修行と考えればあまりに短かった。それに、テレジアを倒して二ヶ月以内に邸まで戻ってこれるかも怪しいものである。
けれど――。
「それでいい」とノックスは言い切った。
「お嬢ちゃんが迎えに来るなんて期待しないほうがいいよ」と魔女は釘を刺す。いくらなんでも厳し過ぎるのではないかと思ったが、元より彼女はそんな性格なのだ。
ノックスは迷いなく答える。澄んだ声で。
「かまわない」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。現在はナンバー4。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『ジェニー』→『毒食の魔女』の邸にメイドとして住み込む少女。愛嬌たっぷりで天真爛漫。語尾に「にゃ」を付けて喋る。『ケットシー』と呼ばれる獣人の一種。興奮すると耳と尻尾が出てしまう。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『ウィンストン』→『毒食の魔女』の邸の執事。丁寧な口調の壮年男性。ジェニーとは犬猿の仲。昔から魔女の命を狙って暗殺を繰り返している。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『279.「物好きな主人」』参照




