282.「だからせめて、友達に」
空が薄く白む頃、わたしたちの戦いは終わった。
最後の魔物が靄となって消える。手はすっかりかじかんでいたし、胸の傷もじくじくと痛んだ。けど、それらを吹き散らすくらいの充実感があった。
わたしはまだ戦える。課題は多いけど、一夜を乗り切るだけの力はあるのだ。
トリクシィにはサーベルを折られたけど……この心は無事だった。前に進もうとする意志だけは確かな強度で存在している。
「負担をかけてごめん。まだまだ精度が足りないな」
シンクレールは眉尻を下げてそう言った。その自信なさげな姿は、わたしのよく知る彼だ。
「胸を張って。あなたがいなきゃ丸腰で戦う羽目になってたんだし……。課題が見えるのは悪いことじゃないわ」
全部本心だ。彼の魔術がなければ魔女のうしろで見学しているだけだったろう。それでも意味はあるのかもしれないけど、実際に戦ったほうがいいに決まってる。
それに、シンクレールが落ち込むのは見当違いだ。彼の魔術は正確で、繊細で、けれども力強い。
「そう言ってもらえるとなんだか……照れるね」
頭を掻いて「へへへ」と笑う彼は、ほんのちょっとだけ誇らしげだった。
「相変わらず見事な剣術ですなぁ」とヨハンが茶々を入れる。彼も気まぐれにグールの群に突っ込んではナイフを振るって戦ったのだ。けれども、そこに善意を見出すつもりはない。むしろ、協力者としての演技をしていると考えるのが正しいだろう。
しかしながら、見事と言われて悪い気なんてしない。だから「どうも」とだけ返した。あくまでも素っ気なく。
「さァ、邸に戻るよ。夜が明ければあたしたちの出番なんてないからねェ」
魔女はコートを翻し、さっさと歩き出した。
その背を追いかける。
確かに、魔女にとってはそうなのだろう。夜だけ矢面に立たされ、昼間は存在を黙殺される。そんな経験をした魔術師はきっと少なくない。
強大な魔力を持つ者は、その分だけ魔物を引き寄せてしまうのだ。たとえ彼らが地域の防衛に尽力しても、その事実は覆せない。彼女の背に、なんとなく寂しさを感じた。
草原を歩きつつ、魔女の隣に並ぶ。そして控えめな視線を投げ、切り出した。
「ジェニーのことなんだけど、説明してくれるのよね?」
実を言うと、魔物と戦っている間もずっと気になっていた。あの不思議なくらい純粋な振る舞いと、異常な身体能力。そして――ふさふさした耳と尻尾。
「ああ、話してやるさァ。けど、薄々勘付いてるんだろう?」
嘘をつく理由はなかったので素直に頷いた。そんなわたしを魔女はちらりと目で流し、呆れたように口をゆるめる。
「説明なんて必要なさそうだけど、話しておくよ。約束だからねェ。それに、誤解されてるとうちのメイドが可哀想だ」
そして魔女は淡々と語りはじめた。足を決して止めず、視線を前に向けて。
「ジェニーは人間じゃないのさァ。あたしがこの町へ来る前に拾ったケダモノだよ。……ケットシーは知ってるかい?」
「……知ってるわ」
その存在は書物で語られていた。獣人のなかでも猫に近い種族。それを指してケットシーと分類されている。彼らは人里離れた山に集落を作って暮らしているらしい。狩りは得意だが集団生活が苦手で、しょっちゅうグループ間の争いがあるとかなんとか。
「なら話は早い。あたしは独りぼっちのあの子を山で拾ったのさァ。親を亡くしたらしいけど、細かいことは知らないよ。耳と尻尾だけしか獣の証を持たないケットシーなんて珍しくてねェ、放っておけなかった」
魔女はきっと、嘘は言っていない。物珍しいから拾ったのは確かなのだろう。
けれど、それだけじゃないような気がした。その程度の気持ちで受け入れたのなら、きっとすぐに捨ててしまうだろう。
「それからジェニーには、耳と尻尾の隠し方を教えてやったのさァ。町なかで獣のパーツを見せたらどうなるか……想像してごらんよ」
石を投げられるくらいじゃ済まないだろう。小人しかり、人間はほかの種族を忌避している面がある。魔物と間違えることだってしばしばだ。
『人間以外の種族はみな、魔物と繋がっている』――大嫌いな考え方だし、決して口に出したくないことだった。けれどそれが一般論なのである。王都でも……そしておそらくは周辺地域でも。
「……ジェニーはなんとか隠し方を身に着けたけど、完全じゃなかった。興奮すると出るんだよ、耳と尻尾が。そればかりはどうにもならなかったねェ」
嫌われた、というジェニーの言葉が蘇る。これまで彼女のたどってきた道や、受けてきた仕打ちを思わせる言葉が……。
ジェニーが『おしとやか』と呟く本当の理由が、今はっきりと分かった。彼女が興奮しないよう、自制させる意味で魔女が命じたのだろう。
「うちのメイドをどう思おうと勝手だけれど、人外に抵抗があるなら干渉するんじゃないよ。そのほうがお互いのためだからねェ。」
彼女はそう締めくくった。
人外。
そんな括りでジェニーを見るつもりはない。
「ひとつだけ教えて。――ジェニーは今どこにいるの?」
真っ直ぐ見つめると、魔女は口の端に薄っすらと笑みを浮かべた。
邸の裏にある納屋。その前にわたしは立っていた。なぜかヨハンとシンクレールも一緒に。
「なんであなたたちも来たのよ」と小声で囁く。
「私だってジェニーさんが心配なんですよ」とヨハン。
「なんとなく気になって……」とシンクレール。
ヨハンはともかくとして、シンクレールは気にかけているようだ。出会ってから一日も経っていないというのに、情にほだされやすいやつ……。わたしも彼のことを言えないけど。
「あんまり刺激しないであげてよ」
そう呟くと、二人は小さく頷いた。
ジェニーは拗ねたり落ち込んだりしたときに、よくこの納屋に籠るらしい。魔女がそう教えてくれたのだ。意外なくらいすんなりと。
彼女は、身内の未来は視ないと言っていた。すると、今後の展開をわたしたちに委ねてくれているのだろう。それなりに信頼してくれているのだろうか。
深呼吸をひとつして、納屋の木戸を開け放った。
埃っぽい空気。薄明りに照らされた農具。
奥の暗がりに、うずくまる影があった。
「ジェニー」
呼びかけても、彼女は返事をしなかった。膝に顔をうずめている。彼女にとっては相当デリケートな問題なのだろう、きっと。
人間とケットシー。仲良く手を取り合うことなんて考えられない――それが普通の感覚だ。
縮こまった彼女にゆっくりと近寄る。そして手を伸ばせば触れられる距離で、しゃがみ込んだ。
彼女の頭にはまだ、ふさふさした耳が存在している。それがときおり、ぴくりと震えた。
「ジェニー」
「……ジェニーはいないにゃ」
ぼそり、と返す彼女に苦笑してしまう。こんなふうに落ち込んでいても、ジェニーはジェニーだ。
その肩にそっと触れると、びくり、と震えが伝わった。
「ジェニー。わたしはあなたのことを嫌いになったりしないわ。どんな姿をしていてもジェニーはジェニーよ」
しばしの沈黙が流れる。
悩みや迷いが、ぎゅっと詰まったような沈黙だった。
やがてジェニーはゆっくりと顔を上げた。その瞳は丸く、そして潤んでいる。
「……ジェニーを嫌いになってないにゃ?」
「全然。わたしたちはジェニーに助けてもらったし、それがなくても絶対に嫌いになんてならない。むしろ、あなたみたいに明るくて純粋な人は大好きよ」
ニッコリと笑いかけてやる。本当に、彼女がいなければスピナマニスを撃退出来なかったかもしれないのだ。人間じゃないことには驚いたけど、だから嫌うだなんて馬鹿げてる。
ふとスパルナのことを思い出した。彼の肌は紫の斑模様で、その身体には魔物の血が流れている。けれども大切な友達だ。少なくとも、わたしはそう思っている。
出自や見た目なんて、心に比べれば些細なものだ。
「……本当にゃ?」
不安なんだろうな、きっと。今まで苦しい経験をしてきたのだろう。
それを帳消しにしてやることは出来ないけど、せめて、良き友人でありたい。
だからわたしは満面の笑みで言った。「本当だにゃ」
するとジェニーは、バッ、と抱きついてきた。なかなかの勢いである。
「クロエ大好きだにゃ!」
すっかり回復した口調。ちらりと彼女の頭を見ると、耳がひょこひょこと機嫌良さそうに動いている。尻尾はゆらゆらと踊っていた。
不意に隣で、ヨハンの声がした。「元通りの元気なジェニーさんに戻ってよかったですよ」
「ヨハンもジェニーのこと嫌いじゃないにゃ?」
彼女はおそるおそるといった口調でたずねる。
すると、軽やかな笑いが聴こえた。ヨハンの口から発せられたと思えないくらい爽やかな笑い声。
「大事な友達なんですから、嫌うわけないですよ」
「……友達にゃ?」
「ええ、友達です。クロエお嬢さんもそう思っているでしょうし、私だって同じ気持ちですよ」
一緒にするな、とまでは思わなかった。抵抗はあったが、彼の口にしたことは事実だから。
「ヨハン大好きにゃ!」
パッと身を離したジェニーを目で追うと、ちょうどヨハンの腹のあたりをジェニーが抱きすくめるところだった。「ヴ」という音が彼の口から漏れ、こらえきれずに笑ってしまった。
やがてジェニーはおずおずと、シンクレールを見つめた。
「新しいお客さんも、ジェニーのこと嫌いじゃないにゃ?」
シンクレールは困ったように頭を掻いて「嫌いではないよ。……会ったばかりでなんだけど、君さえよければ僕も友達にしてくれないかな」と呟いた。
「友達にゃ! 大好きにゃ!」と言ってやっぱりジェニーは抱きつく。その顔には笑顔が溢れていて、わたしは心底安心してしまった。
シンクレールは顔を赤らめて「ちょ」とか「え」とか言っていたが放っておくことにした。少しくらいスキンシップに慣れたほうがいい。ただでさえ控えめすぎるくらいなんだから。
納屋を出ると、外はすっかり明るくなっていた。
綿のような雲が呑気に浮かぶ、真っ青な空。どこまでも長閑で、幸福で、落ち着いた空気。深呼吸をすると、まるで身体が洗われるような感覚になった。
魔王とニコルのことさえなければ、なんて完璧な朝なんだろう。いつか本当に、なんの不安もなく、幸福な朝を謳歌出来るのだろうか。
不意に、邸のほうから足音が聴こえた。目を向けると、ウィンストンが走ってくる。あの冷静沈着な執事――兼、魔女にとっての殺し屋――が忙しない姿を見せるなんて意外だ。
けれども、彼が口にした言葉はそんな疑問をすべて吹き飛ばすものだった。
「クロエさん――坊ちゃんが目を覚ましました!」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。現在はナンバー4。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢」の使い手。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』『幕間.「王位継承」』にて
・『ジェニー』→『毒食の魔女』の邸にメイドとして住み込む少女。愛嬌たっぷりで天真爛漫。語尾に「にゃ」を付けて喋る。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『ウィンストン』→『毒食の魔女』の邸の執事。丁寧な口調の壮年男性。ジェニーとは犬猿の仲。昔から魔女の命を狙って暗殺を繰り返している。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『279.「物好きな主人」』参照
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『スパルナ』→人型魔物。英雄を目指す律儀な青年。一時的にシェリーを保護していた。本名はボリス。詳しくは『第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」』『178.「白銀の翼」』にて
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『小人』→人間とは別の存在。背が低く、ずんぐりとした体形が特徴。その性質は謎に包まれているものの、独自の文化を持つと語られている。特に小人の綴った『小人文字』はその筆頭。『岩蜘蛛の巣』の小人たちは、人間を嫌っている様子を見せた。詳しくは『第七話「岩蜘蛛の巣」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




