277.「晩餐と、幸福の記憶」
見て、笑った。
ああ、本当だ。
なんだか奇跡みたい。
みたい、じゃなくて奇跡なんだよ。
ええ、あなたの言う通りね。
この子には呪いなんて少しもないじゃないか。
終わったのよ、なにもかも。
これからは幸せな未来がはじまるんだ、きっと。
大地を裂くような轟音が耳を震わした。その暴力的な音で、ぱっちりと目を覚ます。どくどくと、心臓がうるさいくらいに鳴っていた。
窓を打つ雨音。永久魔力灯がやけに白く照らす部屋。
いつから雨が降り出したのだろう。昼間の平穏な空模様からは考えられないような天気の崩れ方だった。
ぼんやりと窓の外を眺めていると、閃光が外を白く照らした。ややあって、雷の轟きが鼓膜を震わす。
こんな悪天候はいつぶりだろう。『最果て』にいるときは曇りばかりで、嵐も雷もなかった。
嵐の夜は、どこか憂鬱な気分になってしまう。シーツにくるまって、間を置いて訪れる白い光を眺めた。
夢を見ていた気がする。なんだかしっとりと湿った夢だったように思うけれど、はっきりしない。まあ、夢なんていつだってそんなものだ。
不意にノックが鳴り、びっくりして「ふぁい!」と間抜けな声を上げてしまった。
「失礼します」と言って入ってきたのはウィンストンだった。
「そろそろ晩餐ですが、まだお休みになっていますか?」
悪気のない口調である。嫌味ではなかったが、それだけにちょっぴり悔しい。
シーツを取り払い、ベッドを降りた。
「なにからなにまでお世話になって申し訳ないわね。手伝えることがあったらいつでも教えて」
ウィンストンはわたしの申し出を、首を振って押しとどめた。
「クロエさんはゲストです。客人の役目は歓待を受けること……どうぞ、役割に忠実でいてください」
ジェニーとは対照的な人である。四角四面な型通りの召使いなのだが、決して不快感のある態度ではない。それも踏まえて、なにからなにまでカッチリしている。
「ところで、傷の具合はいかがでしょう」
これも、決して悪気のない言葉だろう。けれども、わたしにとってはあまりにデリケートな問題なのである。
顔を逸らし「おかげさまで健康よ」とだけ答えた。ああ、恥ずかしい。
「それはなにより。食事の準備は出来ておりますので、ぜひいらしてください。……では、失礼」
ウィンストンは軽い会釈を残して出て行った。
それにしても不思議である。なんで彼のように真面目一辺倒の男が魔女の召使いをしているのだろう。お互いに相性の良い性格とは思えない。ただ、それを言ってしまえばジェニーも同じだ。
魔女は自分で語った通り、物好きなのだろう。きっとそうだ。
食堂に降りると、すでにヨハンとシンクレールが斜向かいに長テーブルに腰かけていた。ヨハンは余裕たっぷりなニヤニヤ笑いを浮かべ、シンクレールはむっつりと口を閉ざしている。二人に仲良くなってほしいなんて毛ほども思わないが、どうにも先が思いやられる光景である。
シンクレールはいち早くわたしの姿に気付き、ニッコリと微笑んだ。
「やあ、クロエ。遅かったじゃないか」
「ちょっと仮眠を取っていたのよ」
シンクレールの隣に腰を下ろして答えると、彼は「それは」と言いかけて口をつぐんだ。
それは夜に魔物と戦うためなのか、とでも言おうとしたのかもしれない。
半分正解で、半分間違いだ。今のわたしに武器はなく、トリクシィから受けた傷を考えても激しい運動は避けたほうがいい。ただ、ひと晩中邸に籠っているつもりはなかった。
魔女に同行し、彼女の魔術を観察しておきたい。それはきっと、今後の道のりの糧になる。
「真面目ですねぇ、お嬢さんは」とヨハンは薄笑いを浮かべつつ呟いた。
「あなたよりは百倍真面目で正しい人間のつもりよ」
「そりゃそうだ。私は稀代の裏切り者ですからね」
隣でシンクレールが、ぎゅっと拳を握った。当然、ヨハンに対して怒りはあるだろう。愛する王都を滅茶苦茶にされたんだ。
「それにしても」と、ヨハンはシンクレールの様子などおかまいなしに続ける。「よくもまあ、私なんぞと協力関係を結びましたね。それしか方法がなかったとはいえ、良い子ちゃんのクロエお嬢さんがこんな手に打って出るとは思いませんでしたよ」
わたしだって、こんな日が来るとは思わなかった。手酷く裏切られたその相手を呑み込んでやろうと考えるなんて……。
あの夜のわたしは、確かに滅茶苦茶だった。けれど、間違いだとは思わない。今後訪れる悲劇を消し去るためには悪魔の手だって借りてやる。
とはいえ、今まで通りの関係でいるつもりなんてなかった。
「そうやって気安い無駄口を叩いてこっちを油断させようとしてるんでしょ。なにもかもお見通しよ。もうあなたがどんな存在かは分かったんだもの。協力はするけれど、それは目的のためでしかないわ。必要以上の慣れ合いは期待しないで頂戴」
「心外ですなあ。私だってそれは百も承知でさぁ……。しかし、黙ったままじゃ憂鬱なだけです」
「憂鬱に浸ればいいじゃない」
いかにも憂鬱な顔付きをしてるんだから、お似合いの態度だ。
ヨハンは肩を竦め、肘を突いて天井を見上げた。そうやって拗ねていればいい。
気まずい沈黙を裂くように、魔女が姿を現した。相変わらず煌びやかな格好である。
「おや、お揃いで……。さて、食事にしようじゃないかァ。存分に食べておくれ」
言って、彼女は指を鳴らした。軽快な音を合図に、ウィンストンとジェニーが次々と料理を運んでくる。香草を散らせた蒸し鶏や、琥珀色のソースが格子状にかけられたパイ。瑞々しいサラダ。絹状の卵が浮くスープ。桃色の果肉が鮮やかなザクロ。そして、和音ブドウ。
「いただきます」と呟いて鶏肉を口に運ぶと、香ばしさが鼻まで抜けた。柔らかな食感で、わずかな辛さが食欲をさらに引き立てる。
パイの中には厚切りの林檎が忍ばせてあって、これまた頬が溶けるような甘さだった。
合間にスープを挟んだのだが、思わず飲み干してしまいそうになるくらい、まろやかで美味しい。
サラダとザクロは調味料を加えていないようだったが、それで完結しているような豊かな味わいだった。
極めつけは和音ブドウである。ポォンと景気の良い音を出して食べると、果汁が口の中で弾けた。きっと今朝採れたばかりのブドウなのだろう。初々しく、張りのある食感。
シンクレールも料理に夢中になっているようだった。ヨハンは言わずもがな、遠慮など一切なく次々と口に運んでいる。
なんだか、胸がいっぱいだ。
フォークをゆっくりと皿に置き、立ち上がった。
「クロエ、どこ行くの?」
そうたずねたシンクレールをたしなめるように、魔女は言う。
「女性に行き先を聞くのは失礼さァ。あんた、繊細そうに見えてデリカシーがないねェ」
魔女のクスクス笑いを背に聴きつつ、食堂を出た。そのまま真っ直ぐ玄関を出る。
冷たい風が肌を刺し、雨粒が玄関口の屋根を叩く音が鳴っていた。
深く息を吸い、そして吐く。
落ち着け。
なんでだ。
なんでわたしは、泣いてるんだ。
理由ははっきりとしているのに、決して直視したくなかった。ノックスとわたしと、ヨハン。三人で摂った平和な食卓が頭に蘇ってしまったのだ。
なんの疑問もなく、軽口を言いながら囲んだ食事。わたしもノックスも、幸せだったのだ、あの瞬間は。
けど、ヨハンはあの時点からすでに――。
大馬鹿者。
何度自分を罵っても足りない。
雨は止むことなく、滝のように大地へと降り注いでいた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。現在はナンバー4。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。詳しくは『169.「生の実感」』にて
・『ジェニー』→『毒食の魔女』の邸にメイドとして住み込む少女。愛嬌たっぷりで天真爛漫。語尾に「にゃ」を付けて喋る。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『ウィンストン』→『毒食の魔女』の邸の執事。丁寧な口調の壮年男性。ジェニーとは犬猿の仲。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』参照
・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢」の使い手。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』にて
・『永久魔力灯』→魔力を施した灯り。光度や色調は籠められた魔力に依存する。魔道具。詳しくは『38.「隠し部屋と親爺」』参照
・『和音ブドウ』→イフェイオンの特産品。皮から果肉を出す際に、独特の音が鳴ることから名付けられた。詳しくは『230.「和音ブドウと夜の守護」』にて
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




