265.「空想の矢」
一同の視線がヨハンへと向く。
かくいうわたしも、彼に注視していた。なにを口にするのかは分からないけど、ヨハンのことだ。きっと不利になるようなことは口走らないはず。鮮やかに状況を一変させ、王や王子、そして真偽師やスヴェルさえも巻き込んでしまうに違いない。
「お主は……彼女の用心棒か?」
王の疑問に、ヨハンは肩を竦めて答えた。「まあ、そんなところです」
飄々とした仕草だったが、どこか開き直っているような具合だ。いつもの彼なら頭の天辺から足の先まで余裕たっぷりなのだが、どうにもそんな気配は見えない。
王が相手だから緊張しているのだろうか。
「それで、なにを言いたいの?」と王子が口を挟む。
腕組みをして嘲笑的な笑みを浮かべるその姿は――失礼は重々承知しながらも――『黒兎』を思い出してしまう。身の丈以上に振る舞って見せる態度と、高所から見下ろすような物言いがそっくりだ。とはいえ彼は本当に人の上に立つような位置にいるのだから当然といえば当然だが……。
「恐れながら、申し上げます」と前置きをしてヨハンは王子を見据えた。「クロエお嬢さんを疑う気持ちは私にも良く分かりますが、それでは真偽師が同席する意味自体がないのではないですか? 彼は言葉の真意を見抜けるのでしょう? ならば、疑いを挟んで動揺を誘うような真似はせずとも良いはずです。にもかかわらず疑惑を隠さず、あまつさえ魔王の手下に見えるなどと仰る――失礼、まだ話の途中です」
口を開きかけた真偽師を手と口先で遮ってヨハンは捲し立てる。「真偽師さん。先ほどあなたは語順などで言葉の意味が変わると仰いましたが、なるほど、確かに一般的にはそうでしょうなぁ。しかし、です。あなたがた真偽師は特別な魔術師だ。口にした内容の正誤は完全に判断出来ると思いますが、いかがでしょう」
真偽師はこれだけ煽られても顔色ひとつ変えず、王に呟いた。「彼の言葉は確かです。私の存在意義などないと思っているようですね。……差し出がましいようですが、彼はノイズでしかありません。退席を願うべきかと」
ここでヨハンが摘まみ出されるのは困る。中途半端に場を乱しただけになってしまうし、それに、まだ完全に真偽師とスヴェルを信用出来たわけではない。彼の弁舌なくして切り抜けられる状況ではないだろう。
なにか言わなければ、と口を開きかけたわたしより先に王子の声が飛んだ。
「退席だなんて、それはありえないよ。確かにノイズかもしれないけどさぁ……ともかく聞いてみてもいいんじゃないの? 嘘で惑わそうとしてるなら判断出来るでしょ?」
挑発的に口角を上げる王子に、真偽師はやや目を伏せて無言を貫いた。もしかすると二人は不仲なのかもしれない。それまで無反応だった真偽師がこうして感情の断片を覗かせているのも、王子がけしかけるように言うのもその証明に思えた。
あるいは、単に王子の性格が悪いだけなのかだ。人と人とをぶつけて愉しむような奴は少なくない。
「ともかく、続きを話すがよい」と王は呆れ声で促した。
ヨハンはぺこりとお辞儀をすると、矢継ぎ早に続ける。
「光栄に思います。私が申し上げたいのは難解でくだを巻いた、混乱の元のような内容ではありません。あくまでシンプルなのですよ」彼は人さし指を立て、真偽師に薄気味悪い笑みを送る。「それは――あなたがた真偽師が絶対ではないという可能性です」
思わず耳を疑った。
真偽師が絶対ではない?
それではこれまでの王都の自治はなんだったというのか。真偽師を頼ってここまで旅してきたわたしはなんなのか。
「貴様は自分がなにを言っているのか分かってるのか?」と真偽師は冷めきった目付きで返した。
「ええ、存じておりますとも。真偽師さんも、それは見抜いておられるでしょう? あなたの力が確かなら、そんな問答は無意味です。……先ほどから、どうも雲行きが怪しいですなぁ。語順がどうのとか、あまりに無意味な問い返しをしたりだとか、はたまた、真偽を見抜く材料になるであろう私を退席させようとまでした……いやはや、嫌疑をかけられるべきはあなたですよ。まったくもって不合理です」
わたしは少しも言葉を挟む余裕がなかった。
ヨハンはどうして場の温度を上げるような真似をしているのか。真偽師が敵だと彼は読んでいるのだろうか。
考えれば考えるほど混乱してくる。ヨハンははじめから真偽師を疑ってかかっていたのだろうか。その理由が、先ほどの語順だとかなんだとか言っていた言葉にあるのだろうか。……分からない。
分からないけど、今は事の成り行きを見守っておこう。
「……彼の疑念は真実です。無論、思い込んでいる、という意味でですが」
真偽師は律儀に呟く。
真偽師としてあるべき振る舞いなのだろう、それが。しかし、彼自身が嘘に塗り固められている可能性は残る。
不意に、玉座に甲高い笑い声が響いた。
それが王子のものだと気付くまでしばしかかってしまった。あまりに場の雰囲気とは不似合な、軽薄な笑いだったのである。愉快でたまらない、といった具合に。
ひとしきり笑うと、王子は目尻を拭って笑い混じりに言葉を紡いだ。
「面白いね、君。王都の財産と言われてる真偽師を疑うなんて。まるでそうしてほしくてたまらないみたいだ」
「お褒めいただき光栄です。疑われるような物言いをするほうが悪いのでしょう? 真偽師流の言い分では」とヨハンはさらに煽る。
「確かにねぇ」と王子は呟いた。その表情は相変わらず軽薄ではあったが、瞳の奥には考えをめぐらすような思慮深い色が沈んでいる。「実は僕も似た意見なんだよ。……お父様。今まで口にすることは差し控えておりましたが、真偽師――つまりは己以外の人間の言葉を絶対だと思い込むのは浅慮ではないですか? 思考停止は腐敗の原因です。今まで長らく彼らを信頼してきたようですが、いかがでしょう、この際ですから今までのやり方を考え直すというのは」
もはやわたしは、完全に蚊帳の外だった。
場は王子とヨハンが呑み、なぜか王と真偽師と対立している。
こんなことになるなんて完全に予想外だし、なにより、話が逸れすぎている。
「馬鹿なことを言うな。真偽師を疑うことは、今までの王都の在り方を疑うことにもなるのだぞ。それを真に理解して言っておるのか?」
王の目付きはあまりに真剣で、そして威圧的でさえあった。
王子は多少怯んだものの、すぐに元の軽薄な表情に戻った。
「お父様。過去は過去です。重要なのは未来ですよ」
王子の言葉に重ねるように、ヨハンが一歩前に踏み出した。「そうですよ、王様。……もしあなたが頑なに真偽師を信じると言うなら、良いでしょう……私にも考えがある。ときに、真偽師さん。私は現在、この場にいる誰にも危害を加えるつもりはありません。これは真実だと判断しますか?」
真偽師はぼそりと「確かです」と呟いた。それをヨハンが満足そうに頷いて眺める。
「結構……それならひとつ、賭けをしましょう。そうですねぇ、たとえば、私のこの腕が弓矢だとしましょう」と言って、ヨハンは腕の先を王に向けた。「たとえ話ですがね……。まあ、魔術師の言うたとえ話なんて信用に値しないでしょうなぁ……ああ、すみません、話が逸れました。たとえばこの腕が弓矢なら、今私は王に凶器を向けていることになる。しかし真偽師さんは私の敵意をまったく察知出来ない。――賭けというのはシンプルです。これから真偽師さんは私に三つの質問をする。私はそれにひとつずつ答える。三つまでに私の嘘を暴ければあなたの勝ちだ。私は大人しく、投獄でもなんでもされますよ。さて、この言葉に偽りはありますか?」
「偽りはないが、下らないゲームに乗るつもりはない」
「真偽師の沽券がかかっているのですよ? あなたは王の信頼を勝ち得ているようですが、それをここにおいてより強固なものに変えようとは思いませんか? かつて私のように盾ついた人間がいたのなら別ですが……あなたも妄信だなどと言われるのは心外でしょう。特に、王子に見直してもらうのが今後のあなたにとっても重要かと思いますが……」
首を振って拒絶の意志を示す真偽師とは裏腹に、王は厳かに頷いた。
「良かろう。いずれにせよ、真偽に誤りはない」
物事が上手く転んでいるのだろうか、ヨハンにとっては。彼は、腕をそのまま王に向けている。
真偽師を揺さぶってなにが得られるというのだろう。あるいは、やっぱり真偽師が敵なのか……。
王子はニヤニヤと真偽師を見つめるばかりである。
「それでは、ひとつ目のご質問をどうぞ」とヨハンは促す。
真偽師にとって質問は得意なはずである。今まで何人もの人間の嘘や真意を暴いて来たのだ。なにを聞けばどうなるかくらい良く知っているはず。
「お前に嘘を言わせればいいんだな?」と真偽師は慎重に言った。
「ええ、それが賭けのルールです。さあ、ふたつ目のご質問をどうぞ」
え、それってカウントに入ったのか。
ずるい、とか、卑怯、とかは、今のヨハンには通用しないだろう。こうしてよく分からない賭けに打って出ている彼は、いつものごとく勝利を確信しているかのように見えた。
真偽師は抗議せず、冷静に問いを投げる。静かに、そして、確信的な口調で。
「お前は空想の弓矢で王を撃ち抜けると言うのか? 撃ち抜けるのなら、今すぐやってみよ」
「ええ、出来ます」
瞬間、真偽師は「ハッ!!」と勝ち誇ったような笑いを漏らして王へと振り向いた。
「奴は虚言を言い放ちました! 確かに真偽は見えました! 所詮詐欺師です。私は王都の、そして真偽師の積み上げてきた歴史を守りました! さあ、今すぐあの男を――」
真偽師の声が途絶える。
玉座の音という音が消えた。
――いや、ただひとつ、静寂を縫った呟きがひとつ。
「私は嘘など言ってませんよ」
なにが起こったのか、わたしにも把握出来なかった。どうしてこんなことになっているのか、さっぱり意味が分からない。
ただ、自分の目が捉えた事象だけを並べることは出来る。
まず、ヨハンの腕から漆黒の靄が漏れ出て、瞬時に弓のかたちをとった。誰もが呆気に取られたまま、それが放たれた。黒の矢は曲線的な軌道で王の胸に突き刺さり、真偽師の声が途絶えたのである。
そして王は血を吐いて玉座から転げ、近衛兵や王子、そして真偽師が叫びを上げるさなか、ヨハンがこちらを振り向いた。
ノックスとわたしの肩に手を置き、それから――一切が遠く過ぎていったのだ。
その感覚は、ニコルの転移魔術に似ていた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『黒兎』→ハルキゲニアの元騎士。ナイフを複製する魔具『魔力写刀』の使い手。残忍な性格。本名はクラウス。詳しくは『127.「魔力写刀」』『Side Alice.「卑劣の街のアリス」』にて
・『スヴェル』→ニコルと共に旅をしたメンバー。近衛兵の指揮官。『王の盾』の異名をとる戦士。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『王城』~」』にて
・『真偽師』→魔術を用いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を担う重要な役職。王への謁見前には必ず真偽師から真偽の判定をもらわねばならない。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『261.「真偽判定」』
・『近衛兵』→グレキランスの王城および王を守護する兵隊。
・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地




