253.「帰郷」
「やめろ、トリクシィ。団長命令だ」
トリクシィはぼろぼろと涙をこぼしながら、不思議そうに団長を見つめた。どうして制止するのかが分からない、とでも言いたげに。
自分の呼吸が乱れていることに気が付いた。手は無意識にサーベルの柄を掴んでいる。
涙に濡れるトリクシィの瞳――その奥底に宿った殺意。まさか団長の前で彼女が戦闘態勢に入るとは思わなかった。すんなりと行かないことは想像していたが、まさかこんなことになるなんて。
トリクシィは涙声でたずねた。「団長さん……。彼女の言葉を信じられないのでしょう? 当然のことよ。合理的に考えれば、クロエさんはあたくしたちを騙して王都に混乱を持ち込もうとしていると、そうは思いませんか? ねえ、シンクレールさん。あなたはどうお感じになったかしら?」
シンクレールは俯いたまま身体を震わせた。そしてぽつりとひと言、呟く。
「信じられない」
「トリクシィ。そうやってシンクレールを脅さないで頂戴。無理に言わせたって――」
「違うよ」
わたしの言葉を遮ったのは、意外にもシンクレール本人だった。彼は沈んだ口調で、しかしはっきりと告げる。
「言わされてなんかいないよ、クロエ。……正直、僕は君を信じることが出来ない。話が突飛なのもそうだけど……そんな大変な事情があるなら先に言ってほしかったよ。音吸い絹なんていつでも使えるんだからさ……」そして彼はこちらへ顔を向けた。失意から脱力した、そんな表情。「つまり、君は僕のことを本当には信頼してくれなかったんだ。……そんな君を、信じられない」
なにか言わなければ、と思ったが言葉が出てこない。
事情を伏せられたことは、彼にとって酷く辛いことだったのだろう。裏切りと感じるくらいには。いくら『内容が内容だから理解して』と叫んでも打ち破れない失意である。
「かわいそうなシンクレールさん……あたくし、もう耐えられないわ。団長さん、先ほどの命令は撤回してくださるかしら?」
「撤回はしない。座れ、トリクシィ」
団長は頑とした口調で命じた。彼の鋭い目付きに射すくめられたからではないだろうが、トリクシィは長い息を吐き、ソファに腰を下ろした。そして指でトントンと目元を拭う。涙は止まっているようだが、その胸の内には殺意が残っていることだろう。
「クロエ。見ての通り、ここにいる誰もが君の言葉を鵜呑みにすることは出来ない」と、団長は厳かに言う。「そこで、はっきりさせておくべきだろうと俺は考えている。もし君の言うことが真実なのだとしたら、放置しているのは大罪だ」
それってつまり――。
「君を真偽師に引き渡す。明日中にはなんとかしてみせよう。そこから先、王に謁見出来るかどうかは君次第だ。……この件に関して俺が助力出来るのはここまでになるが、それでかまわないな?」
そして団長はニヤリと笑って見せた。彼は立場上の疑惑は抱えているものの、信じてくれているのだ、わたしのことを。
気を抜くと涙腺がゆるんでしまいそうだった。
「本当に……ありがとうございます」
トリクシィは無表情だったが、明らかに気分を害している。シンクレールも同様だろう。
団長は笑みを消し、厳粛な表情で返した。「ただ、これだけは忘れるなよ。もし君に嘘があれば、我々は容赦しない。トリクシィの言うように『黒の血族』の手先だったら……どうなるか分かるな?」
「ええ、承知しています」
「まあ、そんなことはありえないだろう。ところで、今夜は本部に泊まっていくのか?」
ぜひ、と言いたいところだったが、一度ヨハンたちと合流する必要がある。
「いえ、宿を取ってありますので、そちらで休みます」
「そうか。……最後にひとつだけ、言っておくことがある」
なんだろう。首を傾げてみせると、団長は手を差し出した。
「非正規の魔具は預からせてもらう。君が持っていても不利な立場になるだけだ。なに、疑いが晴れたら返してやるから安心しろ」
トリクシィ同様、団長もサーベルがコーティングされていないことを見抜いていたということか。
鞘に納まったサーベルを渡すと、団長はしげしげと見つめた。抜き放ちはしなかったものの、ちらりと刀身を露出させて眺めたり、重量を確認したりしている。
「あの、なにか……」
すると団長は我に返ったように苦笑し、首を横に振った。
「ああ、すまない。コーティングされていないようだが、良い品だったのでね。誰の手だろうかと考えていただけだ。王都へ来る道中でモグリの職人に会ったんだろう?」
「ええ、そんなところです」
間違ってはいない。道中、というのが『最果て』を指しているが……。
「おっと、もうこんな時間か……。俺はこれから城で交渉してくる。明日には宿屋まで馬車を走らせるつもりだが、誰の名義で部屋を取ってあるんだ?」
「ええと……ヨハン、です。ここまでの旅の同行者が、すでに宿屋にいますので」
多分、彼の名義で部屋を借りてくれていることだろう。
「そうか。よし。じゃあ、また明日」
団長は朗らかに言ったが、シンクレールは拗ねたように俯き、トリクシィは無表情で日傘を掴んでいる。
なんとも不穏な状況だったが、上手く事が運ぶよう祈った。
去り際、シンクレールは『マントを返さなくていい』と告げた。随分とへそを曲げたものである。確かに、これまでも多少頑固なところはあった。それも、いくらか子供じみた頑固さが。けれども今の彼にアレコレ言うのはフェアではないだろう。真相を話すことを避けたのは事実だ。それで関係が悪くなるなら、やむをえないことである。
マントを羽織り、フード越しに街路を見つめた。久しぶりに歩く王都は、なにも変わらない。豊かな街路樹も、整然と並んだ敷石も、似た様式の三角屋根が建ち並ぶ様相も、人々の賑やかな声も……。
帰って来たんだ、と思うとしんみりした気分になった。見知った風景はやはり落ち着く。
けれど、この場所で養った感性や常識はことごとく打ち破られた。勇者の裏切り。異様な呪術。未知の魔術に、醜悪な実験。血族と人間のハーフに、未来視。
でも、そんなものばかりを経験したわけではない。
街路の脇に立ち止まり、目をつむった。
月光に濡れた丘。巨大な崖に阻まれた道。海峡の青と、爽やかな潮風。森の聖域。洞窟の花畑。
どの町でも、どの村でも、人々は必死に生きていた。王都で聞いていた通り、外の世界は粗野で乱暴で、そして――。
どこまでも美しかった。
ニコルによって『最果て』に飛ばされたことは事実だけれど、そこで得た経験を無駄だなんて思わない。ようやく王都にたどり着いたのだ。
街路を吹く風は涼しげで、永久魔力灯は鮮やかに道を彩っている。
ちょっぴり泣いてしまいそうだ。トリクシィとはまったく別の、純粋な意味で。
――不意に肩を叩かれて、びくりと身体が震えた。おそるおそる振り返ると、見知った顔が笑みを浮かべる。
「お嬢ちゃん、こんなところに突っ立ってなにしてるんだい。暇ならあたしに付き合いな」
アリスである。彼女は魔銃こそ隠していたが、明らかに住人とは思えない出で立ちである。宿で待機していればいいものを、どうしてわざわざ外をうろついているのだろう。
「なにしてるの、アリス」
「なにって、散歩さ。観光したっていいじゃないか、とびきりの大都市に来たんだから。ねぇ」
観光するつもりなんて少しもないくせに。その証拠に、アリスの顔には企みを含んだニヤニヤ笑いが浮かんでいた。
「……なにが目的なの?」
「お嬢ちゃんなら、ここへの行き方が分かるんじゃないかと思ってね」
そう言って彼女が取り出したのは一枚の地図だった。街区を拡大した地図のようだったが、家屋のひとつが赤い丸で覆われている。その横には走り書きで『魔具職人カルマン』と書かれていた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。詳しくは『169.「生の実感」』にて
・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』にて
・『騎士団長』→王都の騎士を統括する存在。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』にて
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的使用出来る。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『真偽師』→魔術を用いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を担う重要な役職。王への謁見前には必ず真偽師から真偽の判定をもらわねばならない。初出は『6.「魔術師(仮)」』
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地。
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『音吸い絹』→音を遮断する布状の魔術。密談に適している。詳しくは『216.「音吸い絹」』にて
・『呪術』→魔物の使う魔術を便宜的に名付けたもの。質的な差異はない。初出は『4.「剣を振るえ」』
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて
・『コーティング』→魔具の出力を整えるための技術。王都では魔具工房のみで継承されている門外不出の技術とされている。詳しくは『26.「アカツキの見る世界」』にて
・『永久魔力灯』→魔力を施した灯り。光度や色調は籠められた魔力に依存する。魔道具。詳しくは『38.「隠し部屋と親爺」』参照




