幕間.「魔王の城~永久の園~」
月から届いた白光が城をぼんやりと照らしていた。城の中庭は種々様々な季節の花が咲き乱れており、それを称して『永久の園』と呼ばれている。
中庭に面してぐるりと回廊が造られており、それぞれにベンチが設置してあった。そのひとつ――ちょうど月を仰げる位置に置かれたベンチに、ニコルは腰かけていた。鼻腔をくすぐるのは溶け合うように複雑な花の香り。湯上りの身体を冷ますにはちょうど良い場所だった。
ただ、ニコルの目的は火照った身体を鎮めるためではなく、月――そこに映った幼馴染の冒険にある。
ハルキゲニアを突破し、『鏡の森』と『岩蜘蛛の巣』を越え、イフェイオンを過ぎゆく。彼女は順調に歩を進めているようにニコルは感じた。多少の迂回や足止めはあるにせよ、想定の範囲内だ。
こうして彼女が王都に近付くにつれ、ニコルは却ってナーバスな気持ちになっていった。望んだ通りに事が運んでいるにもかかわらず。
「やっぱり、切なくなるなぁ」
独り言のつもりで呟くと、頬にひんやりした感触が広がり、やがて目を覆われた。
「だ~れだ!」
魔王の声が耳元から聴こえ、ニコルは苦笑した。
「まるで君は悪戯っ子だね」
「冷たいぞニコル。ちょっとは乗ってくれても良いではないか」
頬を膨らませて隣に腰かける魔王を、ニコルはやっぱり苦笑して眺めた。こういうところがあるんだから、『魔王』なんて仰々しい呼称がチグハグに思えてしまう。
「あー! またあの女を見ておるな! まったく、浮気者! 馬鹿!」
どうして魔王がクロエに嫉妬するのか分からなかった。今は魔王を最優先にしているし、もちろん、愛してもいる。
「浮気者って……。僕は君が一番大事さ。それに、クロエを羨ましがる理由なんてどこにあるんだい?」
すると魔王は首をぶんぶんと横に振った。艶やかな黒髪が月光を反射して滑らかに揺れる。
「羨ましくなんてないぞ! ただ……」
「ただ?」
魔王は唇を尖らせて、口籠った。「むぅ……。その……幼馴染という特権的な立場がズルいのじゃ。幼馴染はステイタスじゃ」
ニコルは思わず吹き出してしまった。なんだ、その程度のことであれこれ嫉妬していたのか、と。
そんな彼の笑いに気分を害したのか、魔王はポカポカと叩く。
「笑うでない、馬鹿者!」
「分かった分かった。はは……おっと、ごめんよ。なに、君がそんな小さなことに気を取られているとは思わなくって、つい」
「小さなことではないのじゃ! わらわもニコルの幼馴染になりたかった!」
とうとう本音が出たな、とニコルは笑いを押し殺した。
その直後、感情が冷え、少ししんみりとした気分になってしまった。魔王も自分の失言に気付いたのか、わずかに俯いている。
彼女の頭を撫で、ニコルは微笑んだ。
「さて、僕はそろそろ戻るよ。君も一緒に来るだろう?」
魔王はニコルの誘いに、首を振って断った。「夜風にあたってる……」
「そっか……。ところで、ひとつ言っておきたいことがあるんだけど」
ニコルが口にした瞬間、魔王は『とうとうバレたか』と覚悟した。本気で怒られるかもしれないし、愛想を尽かされるかもしれないと思うと不安だった。
「なんじゃ」
「君は……クロエを本気で死なすつもりなんだね? 正直に話してご覧よ。僕だって鈍感じゃないんだ。君がどういうふうに動いているかは察しがついてるんだよ」
あくまで優しげな口調で追及するニコルを恨めしく思いながらも、魔王はぽつぽつと話し始めた。
「メフィストに頼んだのじゃ。全部終わったらあの女を殺すように、って……」
沈黙が流れる。
ニコルは、なにも映していない白い月を眺めて憂いに満ちた表情をしている。魔王はぎゅっと目をつむり、彼の言葉を待った。
――言葉よりも先に訪れたのは、頭を撫でる優しい手つきだった。
目を開けると、彼に目隠しをされてしまい、なにも見えなくなってしまう。
「ニコル、なにも見えな――」
その言葉を遮るように、ニコルの言葉が届く。
「許すよ、全部。君のやったことは、大筋では間違っていないだろうから。僕は生かすように働きかけたけど、そうか……」
彼の声は不自然なほど落ち着いていた。まるで魔術かなにかで取り繕っているかのように。
「きっとクロエは死ぬだろうね。君が依頼した通りだと、そう遠くない未来に。ゲームは君の勝ちだ。……ねえ、ひとつだけお願いがあるんだ」
「なんじゃ」
「幼馴染の死を嘆くことだけは、許してほしい」
魔王は胸を貫くような孤独を感じた。けれどすべては、あの女が消えてしまうまでのことである。この孤独をニコルは埋めてくれるだろうし、未来を約束してくれてもいる。だから、心配なんてしなくていい。
月光の下、むせ返るような花の香り。閉ざされた視界。
魔王は、これから訪れるであろう明るい未来を、強く、強く、信じた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。
・『メフィスト』→ニコルおよび魔王に協力する存在。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて
・『鏡の森』→ハルキゲニアの北に位置する海峡を渡った先の森。初出は『104.「ハルキゲニア今昔物語」』
・『岩蜘蛛の巣』→王都を追放された者が放り込まれる洞窟。王都へ戻るために突破しなければならない場所。初出は『110.「もしもあなたがいなければ」』
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地。
・『ゲーム』→クロエが生きるか死ぬか、賭けをしたことを指す。詳しくは『幕間.「魔王の城 ~バルコニー~」』にて




