244.「今すべきこと」
「大口を叩くじゃないかァ。ただの無謀にしか見えないけどねェ」
魔女は余裕たっぷりに言ってのける。灰色の巻き髪が月光を含んで煌めいていた。
「無謀を恐れたら騎士失格よ」
魔物と戦うときは、いつだって死の匂いがつきまとう。それに怯えて剣を握れなくなった瞬間から、ただ守られるだけの人間になってしまうのだ。王立騎士団のなかでもそうなった奴はいた。自治担当に回されて剣の錆だけ増やしていくような、そんな奴が。
「早死にするよ、お嬢ちゃん」
「未来が視えるなら、早死にするかどうかも分かるでしょ?」
魔女の眉間がぴくりと震えた。そしてあからさまにため息を漏らし、呟く。「そうさねェ。未来は知ってるよ。けど、変わらないわけじゃない。お嬢ちゃんの身の振り方ひとつでねェ」
馬鹿馬鹿しい。なにが未来視だ。それならただの予測に過ぎないではないか。
「なら、視えても視えなくても大差ないわね。……わたしはノックスを助けるために全力を尽くすつもりよ。たとえ『毒食の魔女』様が相手でもね」
もう言葉は必要ない。立ちはだかる敵に向かうだけだ。
「助けるなんて言うけどねェ……それがあの子にとって毒にしかならないとしたら、どうなんだろうねェ……。まァ、いいさァ。あんたの驕りを叩き潰してやるとしよう」
魔女の全身に魔力が溢れるのと、こちらがサーベルを振るうのはほぼ同時だった。魔女は刃を避けようともしない。
――鋭い金属音が鳴り響く。肌を斬り付けたはずの刃は、虚しく弾かれた。魔女はただ佇んでいるだけだったが、なにもしていないわけではない。
硬質化の魔術か、あるいは全身を膜のように覆った防御魔術。服や装飾品さえ裂けなかったことを鑑みるに、後者だろう。刃を一切通さないほどの強力な防御魔術を一瞬で展開出来る人間なんてそうはいない。やはり、トップクラスの魔術師だ。
刃の鳴らす硬質な音が響き続ける。どんなに弾かれようとも、斬撃を止めるつもりはなかった。たとえ一切傷をつけられなくとも、一撃ごとに魔力は散るはずである。
一般的な防御魔術は衝撃を与えるごとに魔力が散逸し、強度が下がっていく。その都度修復する必要があるのだが、それにも魔力を消費する。魔女の総合的な魔力量がどの程度かは計り知れなかったが、町を覆う防御魔術に、アリスとヨハンを閉じ込めた箱型防御魔術、そして自身に施した案山子。並の魔術師ならとっくに根をあげている。
しかし、どれほど切りつけても魔術の強度が落ちる気配はなかった。魔女はわらわらと寄って来るグールを、まるで小虫のように手で払う。すると、奴らの身体が四散した。
「そんなにビックリしなくっていいじゃないかァ。ありきたりな攻撃魔術だよ」
彼女はなんてことなく言ってのけたが、複数の魔術を同時に維持しつつ新たな攻撃魔術を放つなど尋常ではない。
このままじゃ埒が明かない。ノックスのほうは迫りくるグールをなんとか避けつつも魔球を練っているようである。ただ、それがいつまで持つか分からない。
集中力を高めろ。もっと速度を上げて斬れば魔女だって限界に達するはず――。
「馬鹿のひとつ覚えだねェ。痛くも痒くもない。弱っちい攻撃をいくら重ねたって意味なんかないよ、甘ったれのお嬢ちゃん」
「うるさい!!」
そう叫びながらも、彼女の言葉に納得している自分がいた。このまま続けたとしても、ノックスに危険が振りかかるだけだ。
なら、どうするか。
当初の条件を逸脱しない方法でノックスを助けるのなら――。
そうだ。やり方はある。こちらが武器を失わず、かつ、ノックスを救う方法が。
グールの身体にサーベルを突き刺し、渾身の力を籠めて振った。その歪な体躯が宙を舞い、標的――ノックスへと迫るグールへと命中した。
よし、当たった。グールごときなら、単なる衝撃だけでも存分に動きを奪える。グール同士の衝突であっても同様だ。ノックスのほうにグールが一体追加されたとはいえ、どちらも手負い。避けつつ戦うなら今の状況のほうがずっと――。
パシン、と鋭い音がして頬に痛みが広がった。一瞬なにが起きたのか分からず、思わず魔女を見つめる。
冷めた瞳がわたしを射た。
魔女の平手打ち。それも、なんの魔術も籠っていないただの平手……。
頬がじんじんと痛む。こんなもの、痛みのうちにも入らないはずなのに……。
「お嬢ちゃん」と魔女は諭すように言った。「あんたはあの子を連れて行くことに決めたんだろう? あの子も死を覚悟してるんだろう? ……なのにどうして甘やかすんだい」
サーベルを握り直そうとしたが、一度途切れた集中力を再度高めるのは難しい。なにより、わたしは魔女の言葉に聞き入ってしまっていた。
「残酷だなんて言うんじゃないよ。これでも随分譲歩してるんだ。たかがグール三匹ごときを相手に出来なくてどうするってんだい? お嬢ちゃんが守り切れるならそれでいいけどねェ。……ところで、あんたの敵はそんなに甘いのかい? 無力な子供を守って戦える程度の敵なのかい?」
ニコルと魔王の姿が脳裏に蘇る。彼らが子供相手に容赦するだろうか。それに魔王の城に至るまでの道のりで、膝を突いてしまうような強敵に出くわさないわけがない。
そのとき、ノックスが彼女の言うような『無力な子供』のままだとしたら、どうなる?
魔女は周囲のグールを片手で蹴散らしつつ、視線だけはこちらへと注ぎ続けた。試すような、厳しい眼差し。
「あの子は守られるままの存在でいいとは思っちゃいないよ。昨日の晩、なにがあったか教えてやろうかァ? あたしが簡単な魔術を教えたあと、魔物の討伐に出ようとしたら引きとめられたのさァ。それで、『一緒に戦わせて』だなんて生意気なことを言いやがる。……まったく、まいったねェ。戦力にならないくせに口だけは一人前だ。けどねェ――今のお嬢ちゃんよりはずっとマシだよ」
言葉が出なかった。
ノックス自ら夜間の戦闘を望んだとは、まったく思わなかったのだ。
そんなことを露とも知らず、わたしは……。
「あああぁぁ!!」
ノックスの叫びが夜を貫く。それは悲鳴ではなく、咆哮だった。彼は魔球をグールに放ち、もう一体のグールの爪をかわし、その腹を蹴ったり殴ったりしている。
その様子はどこまでも必死で、真剣で――。
なんだか、自分が恥ずかしくなった。
「理解したかい? 甘ったれのお嬢ちゃん」
魔女は勝ち誇ったような目付きでこちらを見つめた。
怒りや悔しさなんて感じない。あるのは自分の愚かさを恥じる心。
今本当に自分がすべきことと向き合わなければならない。
魔女に背を向け、接近するグールを切り裂いた。連中は際限なく涌き出て、その唸りで夜を満たしていく。
今は夜で、目の前には魔物がいる。
背後で魔女のため息が聴こえた。それは落胆というよりも、物分かりの悪い子供がようやく物事をひとつ理解したときにこぼれる、疲労の吐息みたいだった。
どうして魔女がこんなにも甘い条件を提示したのか。そして、未来が視えるにもかかわらずこんな一場を演じさせたのか。
ようやく分かった。
彼女の指摘した通り、結局わたしはノックスを仲間ではなく、守るべき子供としか見ていなかったのかもしれない。いや、誤魔化すのはもうやめよう。自分が守らなきゃならないと、はっきりとそう考えていた。
彼の体質と、わたしの目的。それを鑑みれば、魔女の言う甘い考えは双方の寿命を減らすことにしかならない。
敵わない。あらゆる意味でそう思い知った。魔女に認められるべきなのはノックスではなく、わたしのほうなのだ。
「こんな面倒は二度とごめんだ」
魔女の呟きはグールの唸りに掻き消されることなく、はっきりとわたしの耳に届いた。
空が白む頃、大量のグールが蒸発した。それは朝靄のように草原を覆い、そして晴れていく。
魔女の指摘があってから、わたしは意図してノックスを振り向かずに戦い続けた。もちろん、彼に迫るグールの数は勘案に入れていたが、魔女の提示した条件以上のことは決してせず、目の前の敵に集中したのである。
わたしは、後方にいるであろうノックスを振り向くのが恐かった。自ら選び取った厳しさの、その結果を知るのが恐かったのだ。
けれど、いつまでも空ばかり眺めているわけにはいかない。
振り返ると――ボロボロになったノックスがいた。
身体のあらゆる箇所を裂かれ、それでも立っている。そしてなにより、視線に気付いた彼はニッコリと笑顔を見せた。
今まで見たノックスの表情のなかで、なによりも自然で豊かな、とびきりの笑顔だった。
◆改稿
・2018/05/20 ルビ修正。
◆参照
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。
・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて
・『案山子』→魔物引き寄せの魔術。自身の肉体を中心に、魔力のハリボテを作って引き寄せる。
・『魔球』→魔力球、魔力弾、魔力塊とも呼ぶ。初歩的な攻撃魔術。




