243.「苦痛を喰らう者」
人ならざる者の気配。それらは徐々に数を増していく。魔術師と魔具使いが一箇所に集まっている状況は、彼らにとって垂涎ものだろう。
思い通りにさせてやるもんか。その爪と牙は、決してノックスには届かないと思い知らせてやる。
グールの唸りが次第に大きくなっていくなか、目を閉じて呼吸を整えた。肌を撫でて過ぎゆく風が心地良い。尖った神経がおだやかさを取り戻していく。
目を開ける。草原を渡るグールの群。十や二十ではきかない数の軍勢が百メートル四方まで迫りつつあった。
サーベルを抜き去ると、刃が、りぃん、と涼しげな音を立てた。刀身は軽く、手足のごとく操れる。『鏡の森』と『岩蜘蛛の巣』での疲労もすでに感じない。ほとんど万全と言ってもいい体調だ。
振り向くと、ノックスが魔球を練っている最中だった。彼の捧げた両手の上に、ぼんやりと青白い魔力が浮いている。
分かってはいたことだが、ノックスは本気で戦おうと思っているようだ。その覚悟に応えてやらなきゃ――。
腰を落とし、グールの群へと突っ込んだ。爪と牙が月光を反射してぬらぬらと暗い光を見せる。奴らの凶刃か、わたしのサーベルか。
どちらがより脅威か、身をもって知るといい。
一体裂き、二体刻み、三体斬り飛ばす。踊る刃の閃きは魔女の眼にも映っていることだろう。
乱舞を続けながらも、ノックスのほうに注意を向けた。彼の放った魔球が命中し、グールが転んだのが見える。一発で無力化出来るほど高い練度の魔球を出すことは出来ないようだが、上出来だ。
とはいえ、接近を許すわけにはいかない。魔物は四方八方から迫ってくるのだ。
全力で駆けつつ、サーベルを振るい続ける。幸いにもグールの数自体は大したことがない。斬る速度と増える速度が拮抗する数が、ちょうど三十体ほどだろう。この調子なら夜明けまで戦ってもおつりがくる。ノックスにとっても良い実践になるだろう。
一時間ほど経っただろうか、不意に魔女の声が聴こえた。それは呟きに違いなかったが、はっきりと言葉が耳へと届いたのである。
「つまらないねェ。実につまらない。これじゃ体のいいお守りだよ。いい加減オママゴトも飽きたねェ。少し刺激的な夜にしてやろうじゃないかァ」
思わず声のほうを向くと、箱型の防御魔術に腰かけた魔女の身体に魔力が集中していくのが視えた。
「待って! 今さら状況を変えるなんて卑怯よ!」
思わず叫んだわたしに返ってきたのは、嘲笑うような声だった。「事前に伝えた条件は二つ。子供の半径五メートルに寄らないことと、仲間の助力はナシってことだけさァ。つまり――あたしが盛り上げるのはルール上これっぽっちも問題ないのさァ」
瞬間、魔女の身体に煌々と魔力が迸り、そのまま維持された。魔物誘引の魔術――案山子。自分自身の身体を餌にして魔物をおびき寄せる魔術……。
魔女の魔力量でそれをやられたら、きっと大変なことに――。
直後、グールの数が急激に増加するのが分かった。その気配は百を超えており、奴らの口から漏れる唸りが不協和音を奏でる。
ノックスの半径五メートルに寄らず、これほどの数を相手にすることが可能だろうか。
――いや、やるしかない。魔女はこの展開をより愉しむために、わざと一時間、わたしたちを泳がせたのだろう。未来が視えるのなら、すべて承知のはずなのに……。
奥歯を噛み締め、サーベルを握り直した。そして、疾駆する。
限界の速力で駆け、瞬時に敵を裂く。決して簡単なことではないし、いつまでこれが可能かも分からない。けれど、わたしは夜明けまで決して足を止めるつもりはなかった。
「残念だねェ。グールしか出ないじゃないかァ。はずれクジだねェ、まったく。こんな雑魚どもなら楽勝だろう? 甘ったれのお嬢ちゃん」
煽りたければ好きなだけ煽るといい。返事をするだけの余裕をすべて、速力と集中力に注ぎ込む。それだけのことだ。奴の言葉は夜風と同じく、ただ過ぎていくだけの環境音である。
――走れ!
頭を使ってる余裕があるなら、全身を駆動させろ!
グールの身を切り裂く手応えさえ、速力を下げる余計な要素に思えてならない。
もっと速く! もっと、もっと――。
「頑張るじゃないかァ、お嬢ちゃん。騎士様は伊達じゃないんだねェ」
わたしが元騎士であることも、ニコルと魔王に立ち向かおうとしていることも、全部知っているのだろう。未来が視えるのなら、それくらい分かって当然だ。
「――けど、あの子のほうは厳しいだろうねェ」
その声で、ハッとした。ノックスのほうに一瞬視線を向けると、魔球を練る彼へと三体のグールがゆらゆらと接近している。討ち漏らした奴がいたのか。
「ノックス! グールと距離を取って!」
わたしの叫びが届いたのか、彼は魔球を維持しつつグールから距離を置いた。……が、結局は時間稼ぎにしかならない。グールはすでに彼の半径五メートル以内の位置に入ってしまっている。
考えるより先に、声に出していた。
「ノックス! グールから五メートル以上離れて! わたしが倒す!」
彼へと駆けようとした瞬間、視線が交差した。ノックスは頷きもしなければ五メートル以上逃げようともしない。一定距離で魔球を練り続けている。これでは追い縋られてその凶刃に――。
「野暮なことをするなら、あたしも黙っちゃいないよ」
魔女の声が、真後ろから聴こえた。
全身に悪寒が駆けめぐる。
振り返ると、そこに彼女の姿があった。箱型の防御魔術に腰かけていたはずなのに、一瞬で移動したことになる。
「転移魔術――」
「そう。お嬢ちゃんにとって因縁の転移魔術さ」
わたしがニコルに転移させられたことまで知っているのか。ともあれ、今はそれどころじゃない。
「ノックス! 早く五メートル以上――」
瞬間、腹部に鮮明な痛みが走り、声が止まった。呼吸が上手く出来ない。
「おや。手加減したつもりだけど、そんなに痛かったかい?」
魔女の左手には、今しも魔球を放ったと言いたげな魔力の残滓がこびりついていた。
「邪魔しないで!!」
サーベルを振りかぶる――と、腕が止まった。一定以上前に進まないのだ。まるで硬い壁に阻まれているかのように。
空中の魔力を凝固させてこちらの行動を妨げているのだろう。
後方に跳び、距離を取る。魔女を睨みつつも、周囲のグールを薙ぎ倒した。
不幸中の幸いだったのは、魔女が移動したことによって、グールもこちらへ寄って来るのがほとんどだという点である。
だが、ノックスを標的に定めた三体のグールは、依然として彼へと迫り続けていた。
「こんなことして、なにが目的なの!!」
「目的なんてないさァ。あたしは珍しい物を手に入れたいだけ。そのついでに、お嬢ちゃんのドロドロの甘さも叩き直してやろうと思ってねェ」
『毒食の魔女』。まさにその異名の通りだ。人を苦しめ、その反応を喰らって愉しんでいる。
「あなたがその気なら、わたしだって容赦しない」
啖呵を切ると、魔女はくすりと見下すように笑った。
「へェ。容赦しなければ勝てると思ってるのかい? そもそもお嬢ちゃんとあたしは対等ですらないのさァ。自分でも分かってるだろう? 絶対に勝てないし、あたしが本気でやらないってことくらい」
言われなくとも理解している。けど、立ちはだかる相手に背を向けるのはありえない。
「あなたが強いのは分かってる。勝てないのも分かってる。でも――」
集中力を最大限まで高める。周囲に寄るグールを切り裂くスピードが格段に上がった。
わたしの目は、もはや通常の夜を映してはいなかった。
舞い踊る花吹雪。狂ったように駆けるつむじ風。涼やかな風と、草原のイメージ。『風華』。
「――実力差は、背を向けていい理由にはならない」
魔女の瞳が、珍奇な物でも見るように細まった。
◆改稿
・2018/05/20 ルビ修正。
◆参照
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『ニコル』→魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。
・『魔球』→魔力球、魔力弾、魔力塊とも呼ぶ。初歩的な攻撃魔術。
・『案山子』→魔物引き寄せの魔術。自身の肉体を中心に、魔力のハリボテを作って引き寄せる。
・『風華』→花弁の舞う脳内世界。集中力が一定以上に達するとクロエの眼前に展開される。この状態になれば、普段以上の速度と的確さで斬撃を繰り出せる。詳しくは『53.「せめて後悔しないように」』『92.「水中の風花」』『172.「風華」』にて
・『鏡の森』→ハルキゲニアの北に位置する海峡を渡った先の森。初出は『104.「ハルキゲニア今昔物語」』
・『岩蜘蛛の巣』→王都を追放された者が放り込まれる洞窟。王都へ戻るために突破しなければならない場所。初出は『110.「もしもあなたがいなければ」』
・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて




