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236.「嘘と弾丸、踊る舌」

毒食(どくじき)の魔女』は黙ってグラスを手に取ると、まず鼻先へ持っていき、うっとりとため息をついた。そしてひと口(ふく)んで、グラスを置く。


 魔女の(のど)が上下するのが見えた。


 随分(ずいぶん)と余裕のある仕草(しぐさ)だ。わたしたち三人を前にしてそんな態度でいられるのは、自分の魔術に自信があるからなのだろうか。それとも、執事とメイドの力を合わせれば簡単に撃破出来ると考えているのか。魔術師二人と、魔具使い。ちょうどこちらと同じ内訳(うちわけ)だが、ノックスと二重歩行者(ドッペルゲンガー)を捕らえられている分、わたしたちのほうが不利ではある。


 焦ってへまをしてはいけないが、こちらは優雅(ゆうが)な午後を楽しむつもりなんてない。


早速(さっそく)で悪いんだけど、ノックスを返してくれないかしら?」


 わたしの言葉は魔女の耳に届いたはず。しかし彼女は、ゆったりした手つきで再びワインを飲んだ。それらしい反応もなく、まるで、ただの環境音を耳にしているように。


「あの――」


 言いかけると、彼女と目が合った。妖艶(ようえん)な紫の瞳。長く見つめていると眩暈(めまい)がしそうだ。


「ノックスってのは誰のことだい?」


 とぼけてるのか。


 苛立(いらだ)ちを(おさ)えて返した。「あなたが(さら)った子供のことよ」


 すると魔女の目元が愉快(ゆかい)そうに(ゆが)んだ。


「そう。あれに名前をつけたのは誰だい?」


 くだらない問答(もんどう)を……。思わず拳を握ると、隣でヨハンが「私です」と弱々しく答えた。『関所(せきしょ)』からの出発の日、ノックスに名前を与えたのはヨハンである。


「へェ。あんたみたいな奴に名付けられたんじゃ、あの子も不幸になるだろうねェ」


 ぴん、と空気が張りつめる。ヨハンは相変わらずの様子だったが、目付きだけは先ほどよりも鋭かった。


「私の見た目を当てつけないでください。そりゃあ、とてもじゃないが健康体には見えないでしょうよ、私は。ところが、これが普通なんでさぁ……。それに、今はあなたに半身を奪われているから普段以上に弱々しく見え――」


 ヨハンを(さえぎ)って魔女は返した。いかにも不愉快そうな口調で。「やけに饒舌(じょうぜつ)じゃないかァ。あんたの長広舌(ちょうこうぜつ)を聴いていると耳が腐る。簡潔(かんけつ)に喋りなよ。……それと、弱った振りはやめな。鬱陶(うっとう)しい」


 思わずヨハンを見ると、彼は(うつ)ろな目で真っ直ぐに魔女を(にら)んでいた。弱った振りとはどういうことなのか。彼は沈黙したままで、なにも言葉を返さない。


「ここに入った時点で、あんたの体調は戻ったはずだよ。お嬢ちゃんがたにも分かりやすく言うと、ここはほかとは隔離(かくり)された場所なのさァ。だからこそ、その男は二重歩行者(ドッペルゲンガー)との正常な連絡が取れなくなった。……逆に、この場所に足を踏み入れた瞬間から、具合を悪くするような要素はなくなったのさァ」


 隔離による不調が消えたとはいえ、魔術を維持し続けるのは並大抵の消耗(しょうもう)ではない。「けど、魔力消費はなくならないんじゃ……」


 魔女は目を細めてこちらを見つめた。


 なんだか落ち着かない。ヨハンの薄気味悪い目付きとは違った感じである。彼の目は虚偽(きょぎ)を見抜こうとして覗き込むがゆえの薄気味悪さだが、魔女はというと、奥底まで見通した上で視線を(そそ)がれているような、別の不快感がある。


「その男の魔力は、ひと晩やふた晩魔術を維持したくらいで揺らぐものじゃないよ」


 確かに今までのヨハンを思い出すと、納得出来ないわけではない。彼が本当に魔術由来(ゆらい)の不調をきたすのは、魔女の言う『隔離』状態に置かれるか、あるいは二重歩行者(ドッペルゲンガー)を失って急激に魔力を喪失(そうしつ)するかしかないだろう。


 なら、ヨハンはなんのために弱った振りなんてしていたんだ。隣に視線を送ると、彼はため息をついて肩を(すく)めて見せた。


「……ああ、バレましたか。いやはや、鋭いお方ですねぇ。なに、大したことは考えていませんよ。弱く見せかければ容赦(ようしゃ)してもらえるんじゃないかと思いましてね」


 そんな浅いことを考えていたのか。らしくない。


「全部お見通しだよ、全部(・・)、ねェ。……とんだペテン師だ」


 ヨハンがペテン師であることは同意するが、どうも話の流れがおだやかではない。なんとか穏便(おんびん)に運ぼうと口を(はさ)もうとしたが、ヨハンに先を越された。


「それで、あなたの目的はなんです?」


どれ(・・)に対する目的を知りたいんだい? 子供を(さら)ったことに対してなのか、それとも、あんたの半身を捕まえたことに対してなのか、あるいは――」


 ヨハンは即座(そくざ)(さえぎ)った。「ノックスを攫ったことだけで結構です。どうせ私の半身を捕らえた理由なんて、邪魔だったからに決まっていますし。さあ、お答えを聞かせてください。私たちはあまり長くここにとどまるつもりはないんですよ」


 魔女はうんざりしたように和音(わおん)ブドウをひとつもいで(・・・)、口元に運んだ。ポォン、と小気味(こぎみ)の良い音が鳴る。アリスが顔をしかめて舌打ちするのが分かった。


「ああ、喉打(のどう)ちブドウは美味(うま)いねェ。……いいかい、さっきも注意した通り簡潔に話しなよ。別にあんたたちの旅路を邪魔するつもりはないさァ。あたしは誰の味方でもないしねェ」


 (ふく)みのある言葉。誰の味方でもない?


 すると彼女は、ニコルの裏切りについて知っているのだろうか。


「ちょっといいかしら。……あなたは、わたしがどうして王都を目指してるのか知ってるの?」


 魔女はさも訳知(わけし)り顔で口を開く。真っ赤な舌が踊った。


「ああ、お見通しさァ。なんたってあたしには未来が()えるからねェ」


 おどけ半分の口調。見え()いた嘘で人をからかうのが好きなのだろうか。それとも、本当に未来が視えているのか。わたしたちが井戸から出ることも、招待された通りにやってきたことも、そして、この先のことも全部。


 だとすると――。


 わたしの未来は、そしてグレキランスの未来はどうなるのか。それを聞こうとして躊躇(ためら)った。


 駄目だ。そもそも彼女を信用出来ない。未来が視えているだなんて、やっぱり馬鹿げている。


「信じてないねェ。いいさァ、別に。あたしは自分の得になればなんだっていいのさァ」


 この魔女こそペテン師ではないだろうか。人を(まど)わすような言葉ばかりを(つむ)いで、知ったふうな態度を取る。


 今まで黙っていたアリスが、身じろぎするのが分かった。彼女は静止する間もなく魔銃(まじゅう)をかまえる。その銃口は魔女の額を向いていた。


「不愉快なことばかり言うんじゃないよ。いい加減あたしも腹が立つ。さっさと子供を(さら)った理由を答えな」


「アリス! お願いだから刺激するようなことはしないで!」


「うるさいよ、お嬢ちゃん。こいつの口車に乗ってグダグダと話してたって意味ないさ」


 だからといって(おど)すのはまずい。ノックスが人質(ひとじち)に取られていることなんておかまいなしなのか、彼女は。


 直後、魔女のため息が聴こえた。


 彼女の目的はいまだに不明だが、こうして脅していること自体が失策(しっさく)だ。早くアリスを止めないと。


 そう思って口を開きかけたが、先に声を発したのは魔女のほうだった。


「ジェニー」とメイドのほうへ顔を向ける。「掃除の用意をしな。この馬鹿娘の飛び散った血を拭くタオルも忘れるんじゃないよ。きっちり二枚持ってきな」


 ジェニーは「はいにゃ!」と答えてトコトコと部屋を出て行った。


「あたしの血だって?」とアリスが苛立(いらだ)ちの(こも)った声で聞く。


 すると魔女は、見下すような目付きでアリスを眺めた。


「ああ、そうさァ。あんたが撃ったら、あたしが(はじ)く。先に言っておくけど、ちゃんと命中させるからねェ。後悔する暇なんてないよ」


 アリスの魔弾をこんな近距離で弾けるのだろうか。今のところ魔女は防御魔術を展開する素振(そぶ)りもない。魔弾が(はな)たれてから魔術を使うつもりなのだとしたら、とんでもない自信家だ。


 とにもかくにも、止めなければ。


「待って、アリス! 挑発(ちょうはつ)に乗らないで!」


 アリスの肩を掴むと、彼女の舌打ちが聴こえた。しかし実際に口を開いたのは魔女のほうだった。


「優しいのは結構だけどねェ、邪魔しちゃいけないよ。安心しな……もしあたしが少しでも傷を負ったら、すぐに子供は解放してやるさ。約束する。だから――その馬鹿娘が銃を下ろす機会(きかい)を与えるんじゃないよ。……ねェ、そうだろう? 優しい優しいお嬢ちゃんにお願いされて銃を下ろすのがあんたの想定してることなんだから。血の()の多い奴がいると思わせておいて、今後なにか要求されたときのためのプレッシャーにしたかったんだろう? 浅知恵(あさぢえ)だよ」


 アリスは答えずに、銃口を向けたまま立ち上がった。照準(しょうじゅん)は魔女の(ひたい)(とら)えている。ヨハンは沈黙したままで、わたしも迂闊(うかつ)に止められなくなってしまった。


「あんた、撃たれたいのかい?」とアリスは呟く。先ほどまでの威圧的な調子は多少収まっていた。


勘違(かんちが)いするんじゃない。撃たれて倒れるのはあんたのほうさ、馬鹿娘。なんなら、目をつむってやってもいい。それとも、銃口を額に押し当ててみるかい? ……なんだっていいさ。かまわないよ。ただ――」言葉を切って、魔女は真顔になった。低く、冷たい言葉が響く。「一度抜かれた銃は、弾丸を吐き出さなきゃならない」


「挑発と知って――」と魔銃を下ろしかけたアリスを、魔女は即座(そくざ)(さえぎ)った。


「挑発と知ったら撃てないのかい? なら、あんたの魔銃は飾りだね。大人しく故郷に帰りなよ。もちろん、分不相応(ぶんふそうおう)玩具(おもちゃ)を置いて、ねェ。どうせ誰にも勝てやしないんだから、回れ右しなよ。あんたが心に思い(えが)いてる小娘は一生かかっても――」


 ――発砲音。


 目の前で散る深紅(しんく)


 そして――アリスの身体がソファに沈んだ。


「馬鹿は嫌いだよ」


 魔女の言葉が、混乱するわたしの頭にぐにゃりと(ゆが)んで聴こえた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場


・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的使用出来る。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて


・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。


・『二重歩行者(ドッペルゲンガー)』→ヨハンの得意とする分身魔術。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて


・『関所(せきしょ)』→アカツキ盗賊団の重要拠点。対立組織に奪われたがクロエたちの働きで取り戻した。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地。

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