234.「にゃ」
人攫いのメイドに連れられて丘を登る。なんとも奇妙な経験だ。おまけに、そのメイドがさも愉しげな様子だからなおさら妙である。
メイドはちらちらとこちらを振り向いては、によによと口元を歪めている。片手に提げた籠をぶらぶらと振って弾むように歩く姿は、買い物に連れて行ってもらった子供のように見えた。
ともあれ、あまり気を抜いていてはいけない。彼女の履いた靴は魔具であり、いつ攻撃が飛んでくるかも分からないのだ。人を攫った次の日にもかかわらず愉快な調子で過ごす奴なんて不審でしかない。
ヨハンは丘を登りながら荒い呼吸をしている。さすがに心配だ。
「ねえ、大丈夫? もし駄目そうなら肩を貸すけど……」
すると、彼は青白い顔でニヤリと笑みを浮かべた。「なぁに、弱ってる振りをしているだけでさあ……」
彼もなかなかに意地っ張りだ。もし倒れたときは、しっかり介抱してやろう。そう心に決めて歩き続ける。
メイドはというと、ヨハンの歩みなど知らぬ存ぜぬで距離が開いてしまった。
「ねえ!」と呼びかけると、彼女は立ち止ってこちらを振り向いた。そして、丸い目でわたしをじっと見つめる。
「どーした客人」
「彼、少し体調が悪いみたいなの。せめてもう少しゆっくり歩いてくれないかしら?」
するとメイドは口元に指を当てて「ん~」と唸ると、パッ、と笑顔になった。嫌な予感がする。
「メスは元気にゃんだろ?」
元気にゃんだろ、って。なんだその口調。仕草もそうだが、どことなく猫っぽさがある。
彼女はスタスタとこちらまでやってくると、おもむろにヨハンの首を掴んだ。
わたしがサーベルを抜いたのも、アリスが魔銃を抜いたのも、メイドが消えてからだった。彼女はヨハンの首を掴んだまま丘の頂上へと跳び上がったのである。
「ちょっと!!」
反射的に叫びが漏れる。
アリスは「あいつ……!」と舌打ちをして駆け出した。彼女の隣に並んでわたしも走る。首を掴んで丘までひとっ跳びだなんて、悪ふざけも良いところだ。
メイドは丘の頂上で腰に手を当ててこちらを眺めていた。その冗談みたいな態度も気に食わない。
ようやく丘を登りきるとメイドはによによと笑みを浮かべた。そして「遅いにゃ~!」とやけに愉しそうに叫ぶ。
ヨハンは丘の上で倒れていた。もぞもぞと動いていたので生きてはいるようだが、体調が芳しくないのは明らかである。
思わず彼のそばにしゃがみ込んだ。「大丈夫!?」
ヨハンはパチパチとまばたきを何度か繰り返し、ほんの少し笑って見せた。
「あんた、オイタが過ぎるよ」
アリスの威圧的な声がして振り仰ぐと、ちょうどメイドに銃口を向けるところだった。
「にゃにゃにゃ……! ジェニーは悪いことしてないにゃ」
ジェニー、というのは彼女自身の名前だろうか。それにしても、にゃーにゃーうるさい。
アリスも同じ思いだったらしく、舌打ちをして言った。「にゃあにゃあうるさいよ、あんた。馬鹿にしてるのかい?」
「馬鹿にしてにゃいし、ジェニーは悪くないにゃ」
「首根っこ掴んで飛び跳ねるのは良いことなのかい? あんた狂ってるよ」
アリスに狂ってると言われるだなんて相当だ。まあ、にゃーにゃーうるさいメイドはおかしな奴だと思うけど。
「私は大丈夫ですから、早く邸に……」
ふらり、とヨハンが立ち上がった。顔は蒼白で、絶えずゆらゆらしている。見ていてこれほど不安になる姿もなかなかない。
「ノッポの言う通りにゃ。早く帰らにゃいとオヤブンに叱られるにゃ」
言って、彼女は歩き出した。わたしとアリスはヨハンに肩を貸して彼女のあとを追う。オヤブン、というのは魔女のことだろうか。それとも、もうひとりの召使いだろうか。なんともはっきりしない。
不意に空気が変わった。具体的に温度や風の流れ、あるいは匂いに変化があったわけではない。ただ、肌に感じる気配のようなものが鋭くなったのだ。
この空間は、周囲の大気や景色を共有しながらも決定的に異なっている。そう思わせるなにかがあった。
辺りを見回しても別段魔力は感じられない。一体なにが……。
「にゃはっ! 気付いたにゃ?」ニヤニヤとメイドは笑う。「ここはオヤブンの縄張りにゃ!」
縄張り。それの意味するところは、この空間の異質さに直結しているのだろう。魔女の支配している領域と言い換えてもいいかもしれない。
ブドウ畑の男によると、邸の修繕に行った大工以外に、魔女の邸宅を目にした人間はいないとの話だ。
普通の人間には見ることの出来ない、巧妙に隠蔽された空間。おおかたそんなところだろう。昨晩の巨大な防御魔術を見た手前、普通の物差しで測るわけにはいかない。
「縄張りね……。ジェニーさん、でいいのかしら。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「いかにも、ジェニーだにゃ。なんでも聞くといいにゃ」
ジェニーはなぜか得意気に胸を張った。やっぱりよく分からない奴だ。
気を取り直して、ひとつ咳払いをする。「……どうしてノックス――子供を攫ったの?」
ジェニーは顎に指を当てて「にゃぁ……」と唸ると、考え込むように空を仰いだ。考えるような内容じゃないはずなのに。ふざけてるのか、それとも普段からこの調子なのか……。たぶん後者の気がする。
ひとしきり悩むと、ジェニーはぷるぷると顔を振った。
「オヤブンの命令だからにゃ。オヤブン、珍しい物が好きだからにゃぁ……」
「珍しい物が好きだから攫った? 随分と失礼な話だねぇ」とアリスがすかさず不快感を露わにした。
彼女の言う通りだ。もし『毒食の魔女』が本当にその程度の興味で人攫いなんてしたのなら、常軌を逸したエゴイストである。
ともあれ、ジェニーの言葉を鵜呑みにする気はなかった。こうしてわたしたちを邸へ招いているのだから、単なる好奇心と片付けるのは的外れだろう。ノックスだけが狙いなら、こんな真似は絶対にしない。
ジェニーは心持ち目付きを鋭くさせて言う。「……今自分がどこにいるか考えたほうがいいにゃ。オヤブンの悪口は言わないほうがいいにゃ」
ここが魔女の縄張りである以上、迂闊なことは口に出来ないわけか。確かに。どこで聴かれているか分かったものじゃない。
やがて前方に、大きな邸が見えてきた。
横長な二階建ての建物で、アーチ状の窓が等間隔に並んでいる。屋根は空色で、壁は白い。玄関ポーチは流麗なデザインの柱に支えられており、見るからに手がかかっているのが分かる。
庭も豪勢で、四角く形作られた池のそばには葉の整った木が伸び、庭全体を覆う芝は短く刈りそろえられている。
そして玄関ポーチの右横の一角に咲き乱れる花。小人の住処で見た覚えがある。確か、ハナニラ。ヨハンがそう言っていたっけ……。
ポーチの前まで来ると、ジェニーはくるりと半回転してこちらに向き直った。ワンピースの裾がひらりと揺れる。彼女はなぜか誇らしげな笑みを浮かべていた。その口が大きく開かれ、そして――。
「ブドウも客人も持って来たにゃー!!」
大音量の叫び。頭のなかをびりびりと震動させるかのような大声である。
一拍置いて、玄関ドアが開いた。姿を現したのは、昨晩の壮年男である。変わり映えのない燕尾服に、後ろに撫でつけた灰色の髪。整った髭。こうして玄関口から歩いてくる様子を見ていると、なるほど、執事じみた感じはある。
彼の魔力量は昨晩となんら変わらないように思えた。二重歩行者と術者が同じ魔力量を持っているとは考えづらいが、魔力を隠すことであえて同じに見せかけているのかもしれない。目の前の彼が本物なのか、生み出された分身なのか判別がつかなかった。
壮年男は一瞬だけジェニーを睨むと、すぐさま落ち着いた表情でこちらに視線を向けた。
「ここからは吾輩が案内しましょう。道中、さぞお疲れになったでしょうから」
言って、ジェニーを一瞥した。そんな彼を見返して、ジェニーは不機嫌そうに舌を出して見せる。
仲が悪い……というより、こんなやりとりに慣れきっているような雰囲気だった。
「さあ、遠慮なさらず。すぐ応接間までお通しします」
かくしてわたしたちは、『毒食の魔女』の邸に足を踏み入れた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的使用出来る。アリスが所有。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『ノックス』→クロエとともに旅をする少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。
・『二重歩行者』→ヨハンの得意とする分身魔術。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて




